井上 良智(いのうえ よしとも、1851年7月9日(嘉永4年6月11日) - 1913年1月4日)は、日本の海軍軍人、華族。最終階級は海軍中将。男爵。
現在の鹿児島県出身。薩摩藩士・井上九助の息子として生まれる。明治4年(1871年)9月、砲術生徒となり「龍驤」乗組を経て、明治5年(1872年)6月、アメリカ合衆国へ留学。1877年9月にアメリカ海軍兵学校に入学し[1]、1881年(明治14年)6月、卒業。同年8月に帰国し、翌月、海軍中尉に任官した。
東海鎮守府在勤、参謀本部海軍部第3局第1課長、在朝鮮公使館附武官、「浪速」副長などを歴任し、1892年(明治25年)12月、「赤城」艦長に就任。1894年(明治27年)2月、「愛宕」艦長となり日清戦争に出征。1895年(明治28年)5月11日、海軍大佐[2]に昇進し「筑紫」艦長となるが、同月25日には在清国公使館附武官へ転出した。
1897年(明治30年)6月、「秋津洲」艦長に就任し、佐世保鎮守府参謀長を経て、1898年(明治31年)5月、侍従武官となり、1908年(明治41年)5月まで10年間にわたり在任した。この間、1902年(明治35年)5月に海軍少将、1905年(明治38年)11月に海軍中将へ進んだ。
1907年(明治40年)9月21日、男爵の爵位を授爵し華族となり、1908年(明治41年)5月、海軍将官会議議員に就任。同年8月、待命となり、1909年(明治42年)8月、予備役に編入された。