不破 弘樹(ふわ ひろき、1966年7月9日 - )は、日本の陸上競技選手。ロサンゼルスオリンピック日本代表。群馬県沼田市出身。沼田市立西中学校、東京農業大学第二高等学校、法政大学卒業。
小学生時代から沼田市内の大会において、4年生から100mにおいて驚異的な14秒7という記録を樹立し、6年生の県大会において100m12秒6で優勝。中学時代は野球部に所属していたが、中体連において中学男子としては異例の1年生で100mの県大会決勝に進んだ。1981年の関東大会男子100mで電気計時では中学生初の10秒台となる10秒95をマークし、10日後の第8回全日本中学選手権男子100mでは11秒00の大会新記録を樹立して優勝。更に、ジュニアオリンピック100mで自身の中学記録を10秒75まで伸ばした。追い風参考では10秒7を出していた。東京農業大学第二高等学校在学中に、名将鳥羽完治教諭の下で才能が開花。1982年、インターハイ100mで10秒52の日本高校新記録を樹立するも準優勝(優勝は10秒49の高校新をマークした米内聡)。1983年、インターハイで10秒46の高校新記録を樹立して優勝。200mでも21秒33の大会新記録を樹立した。翌1984年10秒34の日本タイ記録をマークし、その年のロサンゼルスオリンピックに出場。「高校生オリンピック選手」として話題となった。国体では追い風参考ながら10秒39をマークして優勝。高校卒業後、法政大学に進学する。1987年、東京国際ナイター陸上(後のスーパー陸上)で当時世界最速といわれたベン・ジョンソンとデッドヒートを繰り広げ、100m走で10秒33をマーク。19年ぶりの日本新記録を樹立した。1988年ソウルオリンピックは出場が有力視されながら落選。大学卒業後は大京陸上競技部に所属した[1]。1992年バルセロナオリンピックも出場を逃し、引退した。引退後、大京を退社し、群馬県スポーツ振興協会に勤務。2006年より上武大学陸上競技部コーチに就任した。
2017年10月に行われる第48回衆議院議員総選挙に群馬県第4区から希望の党公認で立候補するも、自民党の福田達夫に敗れ落選[2]。
太字は自己ベスト。記録は当時。順位は電気計時記録のみを対象とした。
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