田村 朋也(たむら ともや、1992年8月20日 - )は、愛知県豊明市出身の陸上競技選手。専門は短距離走の400mで45秒84の自己ベストを持つ。2016年リオデジャネイロオリンピック男子4×400mリレーの日本代表。株式会社キョウエイ所属。
小学生の時は水泳に取り組み、中学進学後も水泳部に入って競技を続けようとしたが、中学校に水泳部がなく断念。足が少し速かったことから陸上部に入部して陸上を始めた[2]。名古屋大谷高校時代には100mと200mを中心に練習を重ね[3]、インターハイに3年連続の出場を果たした。1年時の埼玉インターハイは男子4×100mリレー、2年時の奈良インターハイは男子200mと予選敗退に終わったが、3年時の沖縄インターハイには男子200m・4×100mリレー・4×400mリレーの3種目に出場し、男子200mで3位入賞を果たした(リレー種目は予選敗退)[4]。
中京大学(スポーツ科学部)進学後も200mをメインに活躍し、2年時の2012年に20秒台突入、3年時の2013年には東海インカレでインカレ初タイトルを獲得した。大学4年時の2014年から400mにも力を入れると、日本インカレ男子400mでは予選で46秒62、決勝で46秒10と大会前の自己ベスト(47秒28)を大幅に更新して2位に入った[5]。日本インカレ後には日本の若手選手(田村以外はジュニア選手)で編成されたコンチネンタルカップ男子4×400mリレーのアジア・太平洋代表に選出され、国際大会を経験した。
2015年、住友電工に入社。6月の日本選手権男子400mでは決勝に進出した8人のうち7人が45秒台をマークというハイレベルな予選を唯一の46秒台(46秒07・自己ベスト)で通過すると、決勝では46秒58とタイムを落としたものの3位に入った[6]。この結果、8月の北京世界選手権男子4×400mリレーの日本代表に選出。男子400mハードルの小西勇太とともに住友電工陸上部初の世界選手権日本代表となり、大会では日本チームの1走を務めた(結果は予選敗退)[7]。9月の全日本実業団選手権では、男子200mは北京世界選手権日本代表の藤光謙司と高瀬慧が決勝を欠場して不在だったものの、同じ社会人1年目の山縣亮太を抑えて初の全国タイトルを獲得。男子400mも制して大会2冠を達成すると、アンカーを務めた男子4×400mリレーは2位で3冠はならずも、住友電工の男女総合初優勝に貢献した[8]。
2016年、6月の日本選手権男子400m決勝では自己ベスト(46秒07)に迫る46秒15で4位に入り、8月のリオデジャネイロオリンピック男子4×400mリレーの日本代表に選出。住友電工陸上部初のオリンピアンとなり[9]、大会では日本チームの2走(ウォルシュ・ジュリアン、田村、北川貴理、加藤修也)を務めた(結果は予選敗退)。
2017年、6月の日本選手権男子400m予選を自身初の45秒台(45秒84)で通過するも、決勝は47秒14とタイムを落として8位に終わり、ロンドン世界選手権の日本代表の座を逃した。10月に松葉杖が必要になるほどの大怪我を負いシーズンを終えた[10][11]。
2019年、5月の世界リレーで日本代表選出される。男子4×200mリレーで第3走(宮本大輔、永田駿斗、田村、藤光謙司)を務め5位(1分22秒67)に入った。6月の日本選手権男子400mでは47秒20で予選落ちとなったが、男子200m21秒00で予算を通過、決勝で21秒06とタイムを落としたものの、9月のドーハ世界選手権男子4×400mリレーの日本代表に選出。
2022年、7月におよそ7年間所属していた住友電工陸上競技部を退部。
2023年、9月に株式会社キョウエイ(本社:愛知県小牧市)の陸上競技部へ所属。 [12]
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