1992年バルセロナオリンピック(1992ねんバルセロナオリンピック)は、1992年7月25日から8月9日までの16日間、スペインのカタルーニャ自治州バルセロナで開催されたオリンピック競技大会。バルセロナ1992(Barcelona 1992)と呼称される。
概要
国際オリンピック委員会 (IOC) 会長 のフアン・アントニオ・サマランチの出身地であるスペインカタルーニャ自治州バルセロナでのオリンピック開催実現に向けて、1986年のIOC総会で開催が決まった。冷戦終結後初の夏季オリンピックとなった。
これはかつて1936年の開催予定地にバルセロナが一度立候補しながらもベルリンに敗れ、その後にスペインが1936年ベルリンオリンピックをボイコットする一方で、ベルリンオリンピックに対抗する形で同時期に人民オリンピックが計画されながらもスペイン内戦の前にそれさえも挫かれた経緯を踏まえての開催であり、当時のスタジアムをそのまま用いて開催された。なお「人民オリンピック」は、ナチス政権下のドイツで準備が進められていた1936年ベルリンオリンピックを「人種差別に満ち、五輪の理念に不適」として、バルセロナが対抗してドイツからの亡命者を含む22カ国・6000人の参加が予定されていたスポーツ大会だったが、開催が目前に迫った1936年7月にスペイン内乱が勃発したために開催されることはなかった。
バルセロナ市内のオリンピック体育館を磯崎新が設計したほか、開会式では坂本龍一がマスゲームの音楽を作曲、指揮をするなど、日本人が競技以外でも活躍した大会となった。
また、このバルセロナオリンピックよりプロ選手の出場が拡大し、競技のレベルが劇的に上がった[1]。
大会開催までの経緯
バルセロナオリンピックの開催は1986年10月17日にスイスのローザンヌで開かれた第91回国際オリンピック委員会総会で決定された。
大会マスコット
大会マスコットは「コビー」。ピレネー犬をモチーフにデザインされた。作者はバレンシア出身のハビエル・マリスカル。作者によると「空想の動物」。テレビアニメ『コビーの冒険』も製作され、日本のNHKテレビでも放送されている。
公用語
開催にあたり大会の公用語として、カタルーニャ州の公用語であるカタルーニャ語がスペイン語と並んで採用された[注釈 1]。開会式・閉会式の入場順はフランス語が用いられている。
式典
文化的特徴に富み、美術、芸術面で著名な人物を輩出し続けるスペインらしく、開会式、閉会式ともに音楽監督でカタルーニャ生まれで世界的に人気の高いテノール歌手のホセ・カレーラスや、モンセラート・カバリェをはじめとする多くのスペイン人歌手の他にも多くのアーティストが参画し、近年でもまれに見る芸術性の高い開会式、閉会式であると絶賛された。
開会式
- 映像
- Barcelona 1992 Opening Ceremony - Full Length - Barcelona 1992 Replays - YouTube[4]
閉会式
ハイライト
- 柔道男子78 kg級で、後に総合格闘家としても活躍する日本の吉田秀彦が金メダルを獲得した。吉田は大会直前に同71 kg級の古賀稔彦と練習(乱取り)を行ったが、その最中に古賀が左膝を負傷するという事故が発生した。しかし古賀はその負傷をおして出場し、吉田とともに金メダルを獲得している。
- この大会から柔道女子が正式種目となり、当時高校生であった田村亮子などが出場し、7階級で銀3個、銅2個を獲得したが、金メダルを獲得することはできなかった。
- 男子陸上400mで、日本の高野進が決勝進出し、8位に入賞した。日本のオリンピック短距離選手として1932年ロサンゼルス五輪の吉岡隆徳以来となる60年ぶりのファイナリストであった。
- 当時中学2年生で14歳になったばかりの岩崎恭子が、200 m平泳ぎで当時のオリンピックレコードを塗りかえ、金メダルを獲得した。
- 男子陸上マラソンでは、森下広一が1968年メキシコシティーオリンピックの君原健二以来24年ぶりの銀メダルを獲得した。
- 女子陸上では、マラソンの有森裕子が1928年アムステルダムオリンピックの800 mの人見絹枝以来64年ぶりの銀メダルを獲得した。
- 男子バスケットボールでは、アメリカがNBAプレイヤーで固めた「ドリームチーム」を結成し、他チームを圧倒して金メダルを獲得した。
- この大会から野球が初の正式競技となり、アマチュア大会で無敗記録を続けていたキューバが金メダルを獲得した。またバルセロナオリンピック野球日本代表は予選リーグでキューバ、台湾に完敗し5勝2敗の2位で予選を通過。準決勝では台湾と再戦したが、郭李建夫の好投を許し敗戦。3位決定戦では3大会連続でアメリカと対戦し、8-3で勝利。3大会連続のメダルを確保し、背番号18を背負った伊藤智仁が1大会27奪三振のギネス世界記録。
- この大会からサッカーに年齢制限が導入された(前年の12月31日時点で23歳未満)。オーバーエイジ枠は無かった(導入は次大会から)。
- この大会からボクシングが、国家代表のみならず大陸代表でなければ出場不可能となった。ライト級2回戦で日本及びアジア代表の法大4年土橋茂之がフランス及びヨーロッパ代表のジュリアン・ロルシーに2RRSC負け。
- この大会からアパルトヘイトの緩和を受け、南アフリカの参加が承認された。1960年のローマオリンピック以来、32年ぶり(8大会ぶり)の参加となった。
競技会場
- アネラ・オリンピカ
- エスタディ・オリンピック・リュイス・コンパニス(エスタディ・デ・モンジュイック)(開・閉会式、陸上競技)
- パラウ・サン・ジョルディ(バスケットボール、ハンドボール、バレーボール)
- Piscines Bernat Picornell(競泳、水球)
- ピシーナ・ムニシパル・デ・モンジュイック(飛込、水球)
- カタルーニャ国立体育研究所(レスリング)
- マタロ(マラソンスタート)
- バルセロナ・スポーツパレス(新体操、バレーボール)
- パラウ・デ・ラ・メタル=イルギア(フェンシング)
- スペイン工業団地体育館(ウエイトリフティング)
- ディアゴナル大通り
- ヴァル・デ・ヘブロン地区
- アーチェリー場
- Pavelló de la Vall d'Hebron(バスク・ペロタ、バレーボール)
- Tennis de la Vall d'Hebron(テニス)
- Velòdrom d'Horta(自転車競技)
- パルク・デ・マル地区
- 旧バルセロナ北駅(卓球)
- オリンピックハーバー(ヨット)
- Pavelló de la Mar Bella(バドミントン)
- その他
実施競技
各国・地域の獲得メダル数
主なメダリスト
備考
脚注
注釈
- ^ このため、スペイン語・カタルーニャ語・フランス語・英語の4カ国語で場内アナウンスが行われた。
出典
関連項目
外部リンク