レスター・シティ・フットボール・クラブ (Leicester City Football Club )は、イングランド ・レスターシャー 州レスター をホームタウンとするプロサッカークラブ。クラブカラーは青 。
概要
1884年にレスター・フォッセとして創立され、1919年に現在の名称となる。2002年に現在の本拠地、キング・パワー・スタジアム (2011年までの名称はウォーカーズ・スタジアム)に移転した。
2015-16シーズンにプレミアリーグ 優勝を果たし、1992年のプレミアリーグ創設以来、リーグ制覇を経験した7つのクラブのうちの1つとなった。
これまでにプレミアリーグ優勝1回、2部リーグ優勝8回を数える。FAカップ はこれまで決勝に5回出場し、2021年には初優勝をしている。また、リーグカップ は3回優勝し、これまでに5つの欧州大会に出場している。
地理的な関係からノッティンガム・フォレストFC 、ダービー・カウンティFC 、コヴェントリー・シティFC とライバル関係にある。その中でもノッティンガム・フォレストとの試合を伝統的なダービーと見なす傾向にある[ 1] 。
歴史
1990年代後半はエミール・ヘスキー 、ロビー・サヴェージ 、ムジー・イゼット らを擁してプレミアリーグ のトップ10圏内に食い込み、リーグカップを2度制覇、欧州リーグにも進出するなど健闘していた。しかし2003-04シーズンにチャンピオンシップ に降格してからは下部リーグでのシーズンが続いた。2007-08シーズンは降格圏内の22位に沈み、クラブ創設以来初となる3部リーグへの降格が決定した。2010年には経営難に陥り、タイ の資本家ヴィチャイ・スリヴァッダナプラバ が経営権を取得[ 2] 。以後、阿部勇樹 や岡崎慎司 といったアジア人の獲得も見られるようになる[ 3] 。2014-15シーズンに1部に返り咲き残留争いを制すると、翌2015-16シーズンには奇跡のリーグ優勝を果たした。2022-23シーズンに再びトップリーグから転落するも1年での復帰を決めた。
1884年-1914年
1884年、フォッセロード沿いのフィールドでプレーしていたことから、レスター・フォッセとして設立された。クラブは1891年にフィルバート・ストリートに移転するまで、5つのグラウンドでプレーしていた。1890年にFootball Associationに加盟。
1891年にはミッドランド・リーグに参加し、2位になったのち、1894年にはフットボール・リーグ のディビジョン2に選出された。初めてのリーグ戦はグリムスビーで4-3の敗北を喫したが、その1週間後、フィルバート・ストリートでロザラム を相手にリーグ戦初勝利を記録した。また、FAカップ の予選でノッツ・オリンピックを相手に13-0で勝利した。
1904年にはフットボールリーグ への再加盟に成功し、1908年には2部リーグで準優勝して1部リーグに昇格したものの、1シーズンで降格。1909年、ノッティンガム・フォレスト 戦で12-0の大敗を喫し、史上最悪の敗北を喫した。
1915年-1948年
1915年から4年間、リーグは財政難と第一次世界大戦 のため中断された。1919年のリーグ再開時には、財政難などからレスター・フォッセは消滅していた。伴って、クラブは現在の名称に再結成された。この時、レスター行政区 は市になったばかりであったため、タイミングとしても適切なものであったとされている。
1925年、クラブはピーター・ホッジ 監督の下、ディビジョン2のチャンピオンになった。ホッジが獲得した選手の中には、1923年から1935年の間にクラブ記録となる273ゴールを挙げたアーサー・チャンドラー や、リーグ戦528試合出場のクラブ記録を持つアダム・ブラック などがいた。
1929年には、フットボールリーグでシェフィールド・ウェンズディ に次ぐ2位となり、クラブ史上最高位の成績を記録した。クラブ史上最多最観客数は、1928年のFAカップ5回戦のトッテナム・ホットスパー 戦での47,298人であった。
1937年にはディビジョン2で1位となったが、1939年には再びディビジョン1に降格。1939年には、第二次世界大戦 によりフットボールリーグが中断され、第一世界大戦の時と同様に、他のクラブとともに地域リーグでのプレーを余儀なくされた。
1949年-1958年
リーグが再開し、1949年には、史上初のFAカップ決勝に進出したが、ウォルバーハンプトン・ワンダラーズ に1-3で敗戦。しかし、その1週間後には、シーズン最終節に引き分けたことで、ディビジョン2での残留が決まった。
1950-51シーズンには、アーサー・ローリーがフラムから移籍。
1951-52シーズン、ローリーは当時クラブ記録だったアーサー・チャンドラーの1シーズン38ゴールに並び、翌シーズンには41ゴールを挙げて記録を更新した。そのうち39点はリーグ戦でのもので、初めて2部リーグのゴールデンブーツを獲得した。
1954年には36得点を挙げ、2部リーグ優勝に貢献。さらに2年後の1957年、ローリーは自身のクラブ記録を再び更新し、1シーズンで44ゴールをマーク(これは2021年現在もクラブ記録である。)、再び2部リーグの得点王に輝いた。昇格1年目のシーズンは乗り切ったものの、1957-58シーズン終了後、ローリーはアーサー・チャンドラーが持つクラブの歴代最多得点記録まであと7ゴールというところで、シュルーズベリー・タウン に売却された。ローリーの売却はファンの不安を煽り、1958年11月、監督のデビッド・ハリデーは解任された。
1959年-1969年
レスターが降格圏に沈んでいた時にハリデーの後任として、マット・ギリーズが監督に就任。彼はクラブ史上最も成功した監督とされている。ギリーズは、優秀な選手を見抜く能力に定評があり、後にFWAフットボール・オブ・ザ・イヤーを受賞するゴードン・バンクス 、フランク・マクリントック、後にPFAプレーヤー・オブ・ザ・イヤーを受賞するピーター・シルトン をはじめ、クラブの人気者であったデイブ・ギブソン、レニー・グローバー、グラハム・クロスなどを獲得していった。レスターはギリース監督の下、1961年と1963年にFAカップの決勝に2度進出。1961年には、このシーズン2冠を達成したトッテナムに敗れたため、イングランド代表として1961-62シーズンの欧州カップウィナーズカップに参加したが、1回戦で優勝候補のアトレティコ・マドリード に敗戦。
1963年、クラブは2冠を達成。このシーズンの冬はここ数十年で最も寒く、レスターは試合を氷上で行うことを余儀なくされたが、当時のクラブ記録である18試合無敗を達成。1963年4月16日には1部リーグの首位に立ち、レスターはマスコミに「アイスキング」と評された。しかし負傷者が続出し最終5試合では勝ち点を1しか獲得できず、シーズンは4位まで転落した。またFAカップの決勝まで駒を進めるも、マット・バスビー率いるマンチェスター・ユナイテッド に1-3で敗北を喫している。
1964年、レスターはリーグカップ決勝でストーク・シティ を4-3で下し、リーグカップを初制覇。ギリース監督のレスターでの初タイトルであった。なお、翌年のリーグカップでも決勝に進出したが、チェルシー に敗れている。1966年、レスターで8年間プレーしていたゴードン・バンクスがイングランド代表としてFIFAワールドカップに出場し、W杯優勝に大きく貢献した。また、バロンドール(ヨーロピアン・フットボール・オブ・ザ・イヤー)にノミネートされた。レスターの選手でバロンドールにノミネートされた初の選手である(のちにジェイミー・ヴァーディ 、リヤド・マフレズ がノミネート)。
ザンビアが独立してからわずか4年後の1968年夏に、レスターはザンビアツアーを行い、ザンビア代表チームとの3試合、XIの代表チームとの3試合を含む6試合を行い全勝した。このときの訪問は、ザンビアのケネス・カウンダ大統領から「ザンビアのアソシエーション・フットボールの歴史の中で、おそらく最高の機会」と評された。
1968年11月、マット・ギリーズはシーズンのスタートダッシュに失敗。自身の病気の影響もあり、監督を辞任した。後任のフランク・オファレルは降格を免れることはできなかったが、1969年のFAカップ決勝に進出した。決勝ではマンチェスター・シティに1-0で敗れている。この降格により、クラブ史上最長となる12年間のトップリーグでの活動に終止符が打たれた。
1971年-1977年
1971年、ディビジョン1に昇格。チャリティ・シールドではリヴァプール を1-0で破り初優勝をあげた。チャリティ・シールドは通常、前シーズンのリーグ王者とFAカップの優勝チーム間で行われるが、ディビジョン1の王者であるアーセナル がヨーロッパ大会に出場していたため、ディビジョン2のチャンピオンであったレスターが招待を受け、FAカップの勝者であるリバプールと対戦することになった。新シーズンの監督にはジミー・ブルームフィールドが就任。彼が在任した6年間は1部リーグにとどまり続けた。チームには、キース・ウェラー、フランク・ワーシントン、アラン・バーチェナルなどの選手が在籍。バーチェナルは現在もクラブで活躍しており、特にハーフタイムのエンターテイメントを担当していることで知られている。1974年にはFAカップの準決勝に進出した。
1978年-1991年
フランク・マクリントックは、1950年代後半から1960年代半ばまでの7年間、レスターで活躍した選手で、1977年にジミー・ブルームフィールド監督の後を継いだが、1977-78シーズン末にチームは降格し、マクリントックは監督を辞任。その後、ジョック・ウォレスが監督に就任し、1980年にレスターを2部リーグ優勝に導き、ピーター・ホッジ、マット・ギリーズに続くスコットランド人監督の伝統を復活させた。
ウォレスはレスターをディビジョン1にとどめることはできなかったが、1982年にはチームをFAカップ準決勝に導いた。ウォレスの下では、ゲイリー・リネカー がトップチームの一員として活躍。ウォレスの後任にはゴードン・ミルン が監督として就任し、1983年に昇格を果たした。リネカーはレスターの1部リーグ残留に貢献したが、1985年にエヴァートン に売却された。クラブは彼の穴を埋めることがなかなかできずに低迷。ミルンは1986年に退任し、1987年にはデビッド・プレット が後任として監督に就任したが、1991年1月にはリーグで最下位を記録。直後に彼は解任された。ゴードン・リーがシーズン終了までクラブを指揮し、フットボールリーグ3部への降格は免れた。
1991年-1994年
ダーリントン をカンファレンスリーグから3部に昇格させたばかりのブライアン・リトルが監督に就任。1シーズン目から昇格プレーオフに出場することができた。準決勝ではケンブリッジ・ユナイテッド を6-1で下したが、プレーオフ決勝でブラックバーン・ローヴァーズ に1-0で敗れ、プレミアリーグへの昇格を逃した。この試合の唯一のゴールは、スティーヴ・ウォルシュがデビッド・スピーディーに対するファウルで与えたPKによるものであり、元レスター選手であったマイク・ニューウェル が決めたものだった。スピーディーはレスターのサポーターの間で恨まれることとなったが、1年後にレスターに加入している。
1992-93シーズンのディビジョン1では、プレーオフで再び敗北を喫した。3-0で迎えた後半にスウィンドンと同点に追いついたものの、またしても物議を醸すPKを献上してしまった。1993-1994年、レスターは3度目の正直で、イースト・ミッドランズのライバル、ダービー・カウンティ を決勝戦で2-1で下し、7年ぶりのプレミアシップ昇格を果たした。
1994年-1996年
ブライアン・リトルは翌年11月にレスターの監督を辞任し、アストン・ヴィラ の監督に就任した。後任のマーク・マッギーは、1994-95シーズン、リーグ戦42試合のうち6勝のみと、最下位から2番目に沈んだクラブを救うことができなかった。翌1995年の12月にはディビジョン1の首位に立つも、マッギーはウォルバーハンプトン・ワンダラーズの監督に就任するために監督を電撃辞任した。
マッギーの後任には、マーティン・オニール が就任した。オニールは、ノリッジ・シティ の監督を半年間務めた後、ウィコム・ワンダラーズ をカンファレンスからディビジョン2に昇格させ、2年連続で監督を務めていた。オニールの下で、レスターは1995-96シーズンのディビジョン1昇格プレーオフに出場し、スティーブ・クラリッジが決めたゴールでクリスタル・パレス を2-1で破り、プレミアシップへの復帰を果たした。オニールは、ニール・レノン 、ムジー・イゼット 、トニー・コッティ、マット・エリオット などの選手を獲得した移籍市場での手腕と、チームから引き出すパフォーマンスの両方で評価された。
1996年-2000年
4年連続でトップ10入りを果たし、プレミアシップでの地位を確立。1997年と2000年のリーグカップを2度制覇し、1999年には準優勝を果たした。これにより、1997-98シーズンと2000-01シーズンにはUEFAカップ への出場権を獲得し、1961-62シーズンの欧州カップウィナーズカップ出場以来のヨーロッパのコンペティションへの出場権を獲得した。オニール監督には複数のクラブからオファーがあり、1999年にリーズ・ユナイテッド からのオファーは断ったものの、最終的に2000年6月にセルティック に引き抜かれた。今日では、クラブの歴史の中で最も成功した監督の一人として評価されている。
2000年4月にはストライカーのエミール・ヘスキー の移籍金として、リヴァプールから史上最高額の1100万ポンドの大金を得ることとなった。
2000-01シーズン
マーティン・オニールの後任に、元U21イングランド代表監督のピーター・テイラー が就任した。2000-01シーズンは10月に2週間にわたってプレミアシップの順位表で首位に立つなどヨーロッパ大会への出場を目指せるところに位置していた。しかし、FAカップの準々決勝では2部リーグのウィコムに敗れ、プレミアシップの最後の10試合で9敗を喫し、順位は13位に後退した。
2001-02シーズン
スタートダッシュが悪かったため(昇格したばかりのボルトン・ワンダラーズにホームで5-0の大敗を喫した)、テイラーは2ヵ月後に解雇された。テイラーは在籍した15ヵ月間で2300万ポンドもの移籍金を費やし(これはレスターの監督の中で最も多い金額であった)、リーグ戦58試合に出場して11ゴールしか挙げられなかったアデ・アキンビイをクラブ史上最高額の500万ポンドで獲得したことやチームメイトへの暴行で解雇された34歳のデニス・ワイズ を160万ポンドで獲得したことは特に悪名高い。また、ジョン・エルソム前会長の財務処理の甘さを責める声もあるなど、後任となったデイビッド・バセットは悪い流れを断ち切ることはできなかった。降格が確定する直前、バセットはフットボール・ディレクターに就任するために辞任し、半年前にブライトン の監督を辞めてバセットのアシスタントになったミッキー・アダムスが就任することになった。2001-02シーズン最終戦の対トッテナム戦がフィルバート・ストリートでの最後の試合であった。この試合を2-1で下すもリーグ戦は5勝にとどまった。
2002-03シーズン
開幕と同時に、レスターは32,000人収容のウォーカーズ・スタジアム(2011年にタイの免税会社であるキング・パワー社に買収、キング・パワー・スタジアムと改称)に移転。このスタジアムの命名権は、クラブのスポンサーであるWalkers社が10年間にわたって取得したものであった。しかし2002年10月、クラブは3000万ポンドの負債を抱えて経営破綻。その理由として、テレビ放映権料の損失(ITVデジタル社が経営破綻していたにも関わらず、1部リーグのクラブにテレビ放映権料の支払いを約束していたこと)、多額の賃金請求、他クラブに移籍した選手の移籍金が予想以上に少なかったこと、新スタジアムの建設費が3700万ポンドに上ったことなどが挙げられている。2003年2月、ゲイリー・リネカー率いるコンソーシアムによる買収でクラブが救済された後も、シーズンのほとんどで選手獲得を禁じられが、アダムスはディビジョン1において勝ち点90以上を稼いでクラブを準優勝に導き、プレミアシップへの自動昇格を果たした。レスターの債務整理に反発したフットボールリーグは規則を変更し、管財手続きを行うチームには10点のペナルティを課すことにしている。
なお、2006年半ばのインタビューでアンドリュー・テイラー会長は、債務は約2500万ポンドで、その中にはウォーカーズ・スタジアムを所有する会社(クラブではない)への1500万ポンドから1800万ポンドの抵当権も含まれていると述べた。
2003-04シーズン
リーズ・ユナイテッド、ウォルバーハンプトン・ワンダラーズとともに、勝ち点33でプレミアリーグから降格。
2004-05シーズン
2004年10月にアダムスが監督を辞任し、デイブ・バセットが一時的に2度目の監督を務め、元FAテクニカルディレクターのハワード・ウィルキンソンが補佐した。2004年10月29日にハーツの監督を務めていたクレイグ・リベインがレスター・シティの監督に就任するまで、2人はレスターの監督を務めた。最終的には15位にとどまり、過去14年間で最低の成績となった。
2005-06シーズン
2005-06シーズンも、10試合を終えた時点で最下位に近い状態が続き、1月には降格圏に転落したため、一部のファンからはリベイン監督の辞任を求める声が上がった。FAカップにてプレミアシップのトッテナムを相手に3-2の勝利を収めたものの、その17日後の2006年1月25日に解任された。
アシスタントマネージャーであったロブ・ケリーが臨時監督を務め、4試合のうち3試合に勝利してリーグ順位を5つ上げた後、残すシーズンも指揮することとなった。ケリーはレスターを残留に導いた後、2006年4月に正式に監督の座を得た。2006年6月1日、ジム・マッケーヒルが会長を退任し、後任にはアンドリュー・テイラーが就任した。
2006-07シーズン
2007年2月、ミラン・マンダリッチが既存の55人の株主からクラブを買収した。この段階ではチャンピオンシップの中位に位置しており、昇格を目指すには低すぎるが、降格の心配はないと思われていた。しかし、8試合連続で未勝利が続いたことで降格争いに巻き込まれたため、マンダリッチは2007年4月11日にケリーを解任した。ナイジェル・ワージントンが残りの5試合の監督に就任し、最終的に19位まで順位を上げた。
5月25日、マーティン・アレン が3年契約で新しい常任監督に就任した。しかし、ミラン・マンダリッチとの関係は急速に悪化し、就任からわずか3ヵ月後の8月に双方合意の上でクラブを去ることになった。その後、ジョン・ラドキン、スティーブ・ビーグルホール、マイク・ストーウェルの3人が、9月13日にガリー・メグソンが常任監督に就任するまでの間、世話役を務めた。しかし、10月24日に彼が出て行ったことで、後任としてフランク・バローズとジェリー・タガートが一時的に指揮を執り、10月22日にプリマス・アーガイル を辞任したイアン・ホロウェイ が監督に就任した。
2007-08シーズン
2008年5月4日、ストーク・シティと0-0で引き分けたものの、他試合の試合結果によりリーグ1降格が決定。クラブ史上初、3部リーグでプレーすることとなった。また、監督のイアン・ホロウェイが解雇された。
2008-09シーズン
ナイジェル・ピアソン が就任。このシーズンではクラブ記録となるリーグ戦23試合無敗を達成。2009年4月18日にはサウスエンド・ユナイテッド を2-0で破り、シーズン残り3試合でチャンピオンシップへの復帰を決めた。また、マティ・フライヤットはこのシーズンに32ゴールを決め、52年前に伝説的なアーサー・ローリーが達成して以来、レスターの選手が1シーズンに30ゴール以上の記録となった。
2009-10シーズン
ピアソンはシーズン初めに、チームは安定した成績を収めるだけでなく、プレーオフを目指すと宣言。見事、チームは2部リーグ復帰初年度にして5位に入り、5度目のプレーオフ進出を果たした。準決勝ではカーディフ・シティ と対戦し、2点差から3-2とリードしたものの、最終的にはPK戦で敗戦。2010年夏、チームの経営状況が悪化し、オーナーがクラブをタイ出身の実業家ヴィチャイ・スリヴァッダナプラバ に売却。これに伴って契約打ち切りとなったピアソンはクラブを去り、ハル・シティ の監督に就任した。
2010-11シーズン
2010年8月31日、新戦力として当時浦和レッドダイヤモンズ に所属していた阿部勇樹 をクラブ初の日本人選手として迎え入れる。また、ピアソンの後任としてパウロ・ソウザ が就任するも、リーグ戦わずか9試合で解任。2010年10月3日、後任監督としてイングランド代表 、ラツィオ 、ベンフィカ で監督を務めたスベン=ヨーラン・エリクソンが就任。エリクソンはクラブを最終的に10位に導いた。
2011-12シーズン
最初の13試合でわずか5勝という安定しないスタートを切り、2011年10月24日にエリクソンを双方合意の上で解任。3週間後の2011年11月15日、ナイジェル・ピアソン がエリクソンの後継者としてクラブに復帰することが決定。
2012-13シーズン
昇格プレーオフ準決勝、ワトフォード との2ndレグ、後半ロスタイムにアンソニー・クノッカートが自ら得たPKを失敗。そのままカウンターを受け、最後はトロイ・ディーニー にゴールを奪われプレーオフ敗退が決まった。
2013-14シーズン
キング・パワー・スタジアムのイースト・スタンド 2014年4月4日、リーグ戦第40節のシェフィールド・ウェンズデイ に2-1で勝利し、QPR とダービー・カウンティ が敗れたため、その時点で2位以上が確定し、2003-04シーズン以来10年ぶりとなるプレミアリーグ復帰が決定した。4月22日、第44節アウェイでボルトン・ワンダラーズ に1-0で勝利したことで優勝が決定。最終的に勝ち点102で2013-14シーズンのチャンピオンシップを制した。
2014-15シーズン
2014-15シーズンはリーグ終盤まで最下位に沈んでいたが、2015年4月以降の9試合を7勝1分1敗と強烈な追い込みで最終14位まで巻き返してリーグ残留に成功。2015年6月26日、日本代表 の岡崎慎司 の獲得を発表したが、4日後の30日には残留の立役者であった監督のナイジェル・ピアソン を解任。解任の要因として5月に行われたオーナーの故郷であるタイでのツアー中にピアソンの息子であるジェームズら複数選手の人種差別 的発言を含む乱交パーティー の動画が流出し、彼らが解雇されたという一連の責任を問われたとされている[ 4] 。
2015-16シーズン
2015-16シーズンに達成したプレミアリーグ初優勝
2015-16シーズン の開始にあたり、ピアソンの後任としてかつてチェルシー などを率いたクラウディオ・ラニエリ が就任した。ラニエリ自身が強調するようにシーズン当初のチームの目標はあくまでリーグ残留であり、勝ち点の獲得目標も40程度であった。しかし、シーズン開幕後はジェイミー・ヴァーディ と岡崎の2トップからプレスをかけ、そこからリヤド・マフレズ がクロスを入れる戦術がチームにフィットし、勢いに乗る。特にヴァーディはルート・ファン・ニステルローイ による2003年のリーグ戦連続ゴール記録(10試合連続)を抜いて11試合連続ゴールを達成するなど主力選手の好調が続き、シーズン前には誰も予想もしていなかった快進撃によってアーセナル に次ぐ2位で前半戦を終えた。後半戦もチームに勢いをもたらした運動量は衰えず、5連勝を記録するなどし、2016年4月10日にサンダーランド に2-0で勝利したことでクラブ初となるUEFAチャンピオンズリーグ の出場権獲得を確実なものとした。そして2016年5月2日、前日に引き分けたレスターは試合がなかったものの、優勝を最後まで争ったトッテナム がチェルシーに引き分けたことで逆転優勝の芽が潰え、クラブ創設132年目にして、イングランドのトップリーグでは1978年のノッティンガム・フォレスト 以来38年ぶりとなる初優勝を果たした[ 5] 。この優勝は各メディアで「奇跡」と称され、大方の予想を覆してリーグを制したレスターは「ミラクル・レスター」として讃えられた。
2016-17シーズン
昨シーズンの快進撃を受け、その立役者となったヴァーディやマフレズ、ダニー・ドリンクウォーター などに移籍報道が相次いだが、最終的な流失はエンゴロ・カンテ のチェルシー移籍のみに留まり、クラブ史上最高額の移籍金を投じてスポルティング からイスラム・スリマニ を獲得。その他CSKAモスクワ からアーメド・ムサ らを補強した。
開幕戦では昇格チームであるハル・シティ に敗れ、前季プレミアリーグ優勝チームとしては初の開幕黒星となった[ 6] 。2016年9月14日、初出場となったUEFAチャンピオンズリーグ 第1節のクラブ・ブルッヘ 戦を3-0で勝利し、その後全6試合の終了を待たずして決勝トーナメント進出を果たした。しかし、リーグ戦では昨シーズンが嘘のように不用意な失点を繰り返し、ヴァーディ、マフレズもスランプに陥り、勝ち点3はおろか引き分けすら叶わない負のスパイラルに陥る。2017年2月21日のチャンピオンズリーグ決勝トーナメント 1回戦の第1戦、アウェイでのセビージャ との試合に1-2で敗れ、翌日の2月23日、ラニエリの解任が発表された。ここまでリーグ戦では5勝14敗6引分で17位で降格圏の18位との勝ち点 の差はわずか1、年明けはリーグ戦全6試合無得点で、1引き分けの後に5連敗という散々な結果となっていた[ 7] 。コーチのクレイグ・シェイクスピア が暫定監督として指揮を執る事となった。3月14日、セビージャとの第2戦では本来の堅守速攻を取り戻し2-0で勝利。2戦合計3-2の逆転劇を演じクラブ史上初のベスト8進出した。エンゴロ・カンテ の流失に伴い中盤のバランスが崩れ、様々なフォーメーションを模索していたラニエリとは対照的に、優勝した昨シーズンの配置、戦術への原点回帰を試み成功。リーグ戦でも連勝を重ね残留争いを脱出した。しかし、CLベスト8で激突した前年度ファイナリストのアトレティコ・マドリード には2戦通じて試合巧者ぶりを見せつけられ惜敗。初挑戦の欧州の舞台はベスト8で幕を閉じた。
2017-18シーズン
シェイクスピアが正式に監督に就任。セビージャ からビセンテ・イボーラ 、マンチェスター・シティ からケレチ・イヘアナチョ らを獲得。一方で、主力だったドリンクウォーター がチェルシー に移籍したが、その代役として見込まれていたアドリエン・シウバ の移籍が期間内に間に合わず、リーグへのメンバー登録ができない事態が発生した[ 8] 。アーセナル とのリーグ開幕戦やマンチェスター・ユナイテッド 、チェルシー 、リヴァプール といった強豪クラブとの試合が続き、リーグ8戦のうち勝利数はわずか1で降格圏に沈み、2017年10月17日にシェイクスピアを解任[ 9] 。後任にはクロード・ピュエル が就任した。
2018-19シーズン
クロード・ピュエル 政権2年目。リヤド・マフレズ がマンチェスター・シティ に移籍したものの、積極的な補強でノリッジ・シティ からジェームズ・マディソン [ 10] 、FCポルト からリカルド・ペレイラ [ 11] 、WBA からジョニー・エバンス [ 12] 、フライブルク からチャーラル・ソユンジュ [ 13] といったタレントを獲得。プレミアリーグを制覇した2015-16シーズンとチームのスタイルを変化させ、ポゼッションスタイルのサッカーへの移行を試みた。開幕3試合で2勝とまずまずのスタートを切るが、急速なサッカースタイルの転換と若手主体を目指す監督とベテラン選手との軋轢から、選手は不満を募らせ徐々にチームは低調に陥っていく。2018年10月27日、オーナーであるヴィチャイ・スリヴァッダナプラバ が、プレミアリーグ第10節ウエストハム 戦の試合後、同氏が搭乗したヘリコプターがキング・パワー・スタジアム を離陸した直後に墜落し、同氏を含む全乗員乗客の5人が死亡する事故 が発生した[ 14] 。プレミアリーグ第11節では全てのプレミアリーグの試合でこの事件に対する黙祷が行われた。また、この事故の後に行われたカーディフ・シティ 戦ではデマレイ・グレイ が決勝点を決め勝利。事故後、チームは6戦無敗を記録した。12月にはチェルシー とマンチェスター・シティ を相手に2連勝という大金星を挙げた。しかし、2019年に入ってからの7試合では1勝1分5敗と苦戦し、プレミアリーグ第27節クリスタル・パレス 戦で4-1で敗れた直後にクロード・ピュエル は解任。後任としてブレンダン・ロジャーズ が就任した[ 15] 。シーズン終盤までの11試合で6勝2分3敗という成績を記録した。また、シーズン終了後にダニー・シンプソン と岡崎慎司 が契約満了で退団。
2019-20シーズン
ロジャーズ体制2年目。昨シーズン、レンタルで加入していたユーリ・ティーレマンス をクラブレコードを更新して完全移籍で獲得した。また、ニューカッスル・ユナイテッド からアヨゼ・ペレス 、サンプドリア からデニス・プラート 、ルートン・タウン からジェームス・ジャスティン を獲得した。開幕から2試合こそ勝利は無かったものの、ポゼッションとカウンタースタイルの両方を組み合わせたサッカーを展開し、トッテナム 戦で逆転勝利をおさめるなど、序盤は好調を維持。第9節から第16節までの間でリーグ戦8連勝を記録。第10節 サウサンプトン 戦では、イングランド・フットボールリーグ131年の歴史で、最上位リーグでのアウェーチーム最大得点差となる9-0で大勝した。後半戦は新型コロナウイルス によるリーグ戦中断、ディフェンス陣の欠場が相次いだ事などに起因して不調に陥る。CL 出場権をかけた最終節マンチェスター・ユナイテッド 戦では敗北を喫し、クラブ史上2回目となるCL出場とはならずも、リーグ5位で翌シーズンのEL 出場権を獲得した。
2020-21シーズン
ロジャーズ体制3年目。ユース出身のベン・チルウェル がチェルシー に移籍。アタランタ からティモシー・カスターニュ 、ローマ からジェンギズ・ウンデル をレンタルで、サンテティエンヌ からウェズレイ・フォファナ を獲得。クラブ史上初のイングランド1部リーグ開幕3連勝で好スタートを切る。その後、ウィルフレッド・ディディ やジェームス・ジャスティン などの怪我による離脱により、調子を落とすものの徐々に戦績を上げ、19節から36節の間は常に4位以上をキープした。また、ケレチ・イヘアナチョ が後半戦では得点を量産し、出場時間数に対する得点率において、リーグ1位を記録した。
FAカップ では準々決勝でマンチェスター・ユナイテッド を3-1で、準決勝ではサウサンプトン を1-0で下し、52年ぶりの決勝へと駒を進めた。2021年5月15日、この年のCL ファイナリストだったチェルシー に1-0で勝利し、FAカップ 初優勝を果たした。
第37節チェルシー 戦に1-2で敗れた事により、5位に転落。自力でのCL 出場権獲得は不可能となり、最終節トッテナム 戦を迎えた。第37節終了時点で3位につけていたチェルシーとは1ポイントのみの差であったため(3位チェルシー67、4位リヴァプール66、5位レスター66)、最終節にレスターが勝利し、かつチェルシーが引き分け以下もしくは、レスターと勝ち点で並び4位につけていたリヴァプール が勝利以外の結果に終わると、レスターはCL出場権を獲得できるという状況であった。しかし、結果的にはチェルシーがアストン・ヴィラ に2-1で敗れ、レスターは後半75分まで2-1とトッテナムをリードする展開であったが、残る15分間で3失点を喫し、逆転負け。シーズンを昨シーズンと同じ5位で終えることとなった。
なお、このシーズンでチームを長年支え続けてきたキャプテンのウェズ・モーガン が現役引退。クリスティアン・フックス 、マッティ・ジェームズ が契約満了にて退団した。
2021-22シーズン
ロジャーズ体制4年目。レッドブル・ザルツブルク からパトソン・ダカ 、リール からブバカリ・スマレ 、フリーでライアン・バートランド 、サウサンプトン からヤニク・ヴェスターゴーア 、RBライプツィヒ からアデモラ・ルックマン をレンタルで獲得した。一方で、トリノ へデニス・プラート をレンタルで、カマル・ソワー をクラブ・ブルッヘ に完全移籍でそれぞれ放出した。
コミュニティ・シールド では前季リーグ王者のマンチェスター・シティ と対戦。ケレチ・イヘアナチョ のゴールで1-0で勝利を収め、丁度50年ぶりとなる同タイトルの獲得となった。
シーズン開幕前の親善試合にてフォファナ が足首骨折の大怪我を負い、守備に大きな不安を抱えたままシーズン突入。昨季から長期離脱のジャスティン に加え、ヴァーディ 、エヴァンズ 、ディディ といった主軸選手も細かな離脱を繰り返し、彼らの穴埋めを期待された獲得選手も悉くフィットしなかった。様々な組み合わせで4バックや3バックを試みるも、統率が取れないディフェンス陣は毎試合のごとく失点を許す。特にセットプレーからの失点はリーグワースト2位の数字を記録し[ 16] 、とうとうこの課題についてはシーズン終了まで策を講じることができなかった。今季は上位を一度も窺うことなく、8位でフィニッシュ。
グループステージ突破が有力視されたヨーロッパリーグ であったが、前述の守備の不安定さが露呈し6試合でクリーンシートはゼロ。失意のGS敗退でカンファレンスリーグ に回った。決勝プレーオフでラナース を退けると、決勝ラウンドではレンヌ 、PSV を打ち破り、準決勝ではローマ と激突。2戦合計1-2と健闘も一歩及ばなかった。
2022-23シーズン
ロジャーズ体制5年目。エルディン・ヤクポヴィッチ が契約満了にて退団。さらに10年以上に渡りゴールマウスを守り続けてきたカスパー・シュマイケル がニース へ電撃移籍した。ハムザ・チョードゥリー がワトフォード に期限付きで移籍。GK2人の放出に対する補強としてアレックス・スミシーズ をフリーで獲得した。移籍市場最終日、ウェズレイ・フォファナ がチェルシー へ移籍。その穴埋めとしてスタッド・ランス からヴァウト・ファース を獲得した。
開幕節で引き分けて以降、リーグ戦6連敗を喫したのち、ダービーマッチとなる第9節ノッティンガム・フォレスト 戦において4−0で完勝し、移籍したGKシュマイケルの後釜として不安視されていたダニー・ウォード の復調でクリーンシートが増え、好調に傾いたように見えたものの、第17節で好調ニューカッスル 戦で3−0の完封負けを喫し、そこからの公式戦6試合で1勝0分5敗と大苦戦。冬の移籍市場でコペンハーゲン からヴィクトル・クリスティアンセン 、ストーク・シティ からハリー・サウター 、シャフタール・ドネツク からテテ を獲得し、マーク・オルブライトン をWBA へ、アジョセ・ペレス はベティス にレンタル移籍させた。新戦力補強もあってアストンビラ 戦、トッテナム 戦と連勝し調子を取り戻したかのようにも思えたが、FAカップ5回戦で2部ブラックバーン 相手に敗北するなど、その後の公式戦7試合で0勝1分6敗を喫し、降格争いから抜け出せないことから、2023年4月2日、4年間指揮を執ったブレンダン・ロジャーズ が双方合意の下で退任、事実上の解任となった[ 17] 。
その後、新監督探しに難航し2試合は暫定監督による指揮でさらに2連敗を重ね、4月11日についにディーン・スミスを新指揮官として迎える。また、コーチとしてクレイグ・シェイクスピア が復帰した他、ジョン・テリー もコーチとして加入した。ディーン・スミスの初陣となったマンチェスター・シティ 戦は敗北するも、続くウルブズ 戦では11試合ぶりの勝利を記録し、残留争いで直接対決となったリーズ 戦でもヴァーディ のゴールで追いつき引き分けに持ち込み良い風向きに乗ったようにも見えたが、これもまた残留争いの直接対決となったエヴァートン 戦にて追いつかれるなど失点が続き、第37節ニューカッスル 戦でスコアレスドローを記録するまで、21試合連続失点であった。
最終節まで残留争いはもつれ込み、レスターが残留するにはウェストハム 戦で勝利し、かつエヴァートン が引き分け以下の場合のみという条件となった。迎えた最終節、レスターは前半を1-0のリードで折り返し、エヴァートンはボーンマス とスコアレスドローで、前半終了時点ではレスターは残留圏内に位置していた。しかしエヴァートンは後半にドゥクレが得点した1点を守りきり試合終了。レスターも2-1で試合には勝利するもエヴァートンの結果により、奇跡のプレミアリーグ優勝から7年で降格が決定した。
2023-24シーズン
2023-24シーズンのリーグ優勝とプレミアリーグ昇格
選手との契約延長交渉に難渋し、シーズン終了時に揃って契約切れとなる選手が続出。ユーリ・ティーレマンス をアストン・ヴィラ 、チャーラル・ソユンジュ をアトレティコ・マドリード 、ダニエル・アマーティ をベシクタシュ 、アジョセ・ペレス をベティス 、ジョニー・エヴァンズ をマンチェスター・ユナイテッド 、その他ナンパリス・メンディ とライアン・バートランド をフリーで放出。また2部チャンピオンシップへの降格に伴い、経費削減を強いられたレスターはジェームズ・マディソン をトッテナム 、ハーヴィー・バーンズ をニューカッスル・ユナイテッド 、ティモシー・カスターニュ をフラム 、ヴィクトル・クリスティアンセン をボローニャ 、ルーク・トーマス をシェフィールド・ユナイテッド 、ブバカリ・スマレ をセビージャ に移籍させた。新監督には、マンチェスター・シティ のペップ 政権下でアシスタントを務めたエンツォ・マレスカ が就任した。
多数の主力放出によりスカッドの再構築が急務となったクラブは積極的な補強を行い、トッテナム からMFハリー・ウィンクス 、ウルブズ からDFコナー・コーディ 、マンチェスター・シティ からDFカラム・ドイル 、ブレンビー からGKマッズ・ハーマンセン 、モンペリエ からFWステフィー・マヴィディディ 、チェルシー からMFチェーザレ・カザデイ 、ガラタサライ からFWユヌス・アクギュン 、スポルティング からFWアブドゥル・ファタウ 、エヴァートン からFWトム・キャノン を獲得した。
10年ぶりとなったチャンピオンシップ 初戦のブラックバーン・ロヴァーズ 戦を4-1で制すと、開幕から公式戦32試合で25勝3分4敗と他チームを寄せ付けない圧倒的な勢力で2位リーズ と12ポイント差をつけ首位を独走。しかし、そこからの6試合では、直接対決となったリーズに3-1の敗戦を含む1勝1分4敗という成績で急激に失速。2位以下とのポイント差を詰められ、一時は暫定ながら自動昇格圏外の3位に転落することもあった。
2024年3月21日、上位リーグであるプレミアリーグ から財政に関わる規則(PSR:profitability and sustainability rules)に抵触しているとして告発を受けた[ 18] 。エヴァートン やノッティンガム・フォレスト が勝ち点のはく奪の制裁を受ける中でレスターにも同様の処分が下るのではないかとされた。
クラブは声明を発表しこれに抗議[ 19] 。4月21日、独立委員会は現時点でのクラブはプレミアリーグ ではなくイングリッシュ・フットボールリーグ (EFL)の管轄にあり、EFLがこれらの処分を科す権限は無いとして勝ち点の減点は免れた[ 20] 。
シーズン終盤戦は、ブリストル・シティ 、プリマス・アーガイル 、ミルウォール にそれぞれ1-0の敗戦を喫するなど、シーズン序盤ほどの調子は振るわなかったものの、自動昇格権争いで4位につけていたサウサンプトンFC との試合を5−0で制すなど、ホームでの試合では健闘し、37節のリーズ対QPR でリーズが4-0で敗戦したことから、自動的にレスターの2位以上が確定し、1年でのプレミアリーグ 復帰を確実なものとした。来るアウェイでのプレストン・ノースエンド 戦では3-0で勝利し、結果的には、最終節を待たずしてチャンピオンシップ優勝を決めた。
2024-25シーズン
エンツォ・マレスカ がチェルシーFC の監督に就任。デニス・プラート 、ケレチ・イヘアナチョ 、マーク・オルブライトン が契約満了によりクラブを退団した。新監督には昨年12月までノッティンガム・フォレストを指揮していたスティーヴ・クーパー が就任した。
また引き続きプレミアリーグ が制定するPSRに抵触する恐れがあるレスターは、過去3年に遡る収支状況を整えるためにチームの主軸であったキアナン・デューズバリー=ホール をチェルシー へ移籍させた他、ハリー・サウター をシェフィールド・ユナイテッド へ移籍させた。
一方でスポルティング からレンタルしていたアブドゥル・ファタウ を完全移籍で獲得した他、チェルシー からマイケル・ゴールディング 、フリーエージェントとしてボビー・リード 、アタランタ からカレブ・オコリ 、ブライトン からファクンド・ブオナノッテ 、トッテナム からオリヴァー・スキップ 、クリスタル・パレス からジョルダン・アイェウ とオドソンヌ・エドゥアール 、KRCゲンク からビラル・エル・カンヌス らを獲得した。
2024年11月24日、成績不振によりスティーヴ・クーパー を解任。後任にルート・ファン・ニステルローイ が就任した。
タイトル
国内タイトル
EFLカップ :3回
1963-64, 1996-97, 1999-00
EFLチャンピオンシップ :8回
1924-25, 1936-37, 1953-54, 1956-57, 1970-71, 1979-80, 2013-14, 2023-2024
過去の成績
欧州の成績
現所属メンバー
プレミアリーグ 2024-25シーズン 基本フォーメーション(4-2-3-1 )
2024年8月21日現在
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルール に基づく。
※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
監督
ローン移籍
in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルール に基づく。
out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルール に基づく。
U23 アカデミー
歴代監督
氏名
国籍
就任
退任
試
勝
分
敗
勝率
タイトル
ピーター・ホッジ
000000001919-09-06-0000 1919年9月6日
000000001926-05-01-0000 1926年5月
7002310000000000000♠ 310
7002125000000000000♠ 125
7001840000000000000♠ 84
7002101000000000000♠ 101
0 7001403200000000000♠ 40.32
ウィリアム・オア
000000001926-07-01-0000 1926年7月
000000001932-01-01-0000 1932年1月
7002242000000000000♠ 242
7002102000000000000♠ 102
7001500000000000000♠ 50
7001900000000000000♠ 90
0 7001421500000000000♠ 42.15
9997 Second Division
000000001932-01-01-0000 1932年1月
000000001932-03-01-0000 1932年3月
7001100000000000000♠ 10
7000200000000000000♠ 2
7000300000000000000♠ 3
7000500000000000000♠ 5
0 7001200000000000000♠ 20.00
ピーター・ホッジ
000000001932-03-01-0000 1932年3月
000000001934-08-01-0000 1934年8月1日
7002100000000000000♠ 100
7001340000000000000♠ 34
7001260000000000000♠ 26
7001400000000000000♠ 40
0 7001340000000000000♠ 34.00
000000001934-08-01-0000 1934年8月1日
000000001934-10-17-0000 1934年10月17日
7001100000000000000♠ 10
7000200000000000000♠ 2
7000400000000000000♠ 4
7000400000000000000♠ 4
0 7001200000000000000♠ 20.00
アーサー・ロックヘッド
000000001934-10-17-0000 1934年10月17日
000000001936-09-02-0000 1936年9月2日
7001810000000000000♠ 81
7001330000000000000♠ 33
7001150000000000000♠ 15
7001330000000000000♠ 33
0 7001407400000000000♠ 40.74
000000001936-09-02-0000 1936年9月2日
000000001936-10-01-0000 1936年10月
7000800000000000000♠ 8
7000100000000000000♠ 1
7000200000000000000♠ 2
7000500000000000000♠ 5
0 7001125000000000000♠ 12.50
フランク・ウォマック
000000001936-10-01-0000 1936年10月
000000001945-05-01-0000 1945年5月
7002123000000000000♠ 123
7001480000000000000♠ 48
7001290000000000000♠ 29
7001460000000000000♠ 46
0 7001390200000000000♠ 39.02
9997 Second Division
トム・ブロミロウ
000000001939-08-01-0000 1939年8月
000000001945-05-01-0000 1945年5月
5000000000000000000♠ 0
5000000000000000000♠ 0
5000000000000000000♠ 0
5000000000000000000♠ 0
! —
トム・マザー
000000001945-08-01-0000 1945年8月
000000001946-03-01-0000 1946年3月
7000200000000000000♠ 2
5000000000000000000♠ 0
7000100000000000000♠ 1
7000100000000000000♠ 1
00 5000000000000000000♠ 0.00
ジョニー・ダンカン
000000001946-03-01-0000 1946年3月
000000001949-10-11-0000 1949年10月11日
7002156000000000000♠ 156
7001560000000000000♠ 56
7001420000000000000♠ 42
7001580000000000000♠ 58
0 7001359000000000000♠ 35.90
9997
000000001949-10-11-0000 1949年10月11日
000000001949-12-01-0000 1949年12月
7000700000000000000♠ 7
7000100000000000000♠ 1
7000400000000000000♠ 4
7000200000000000000♠ 2
0 7001142900000000000♠ 14.29
ノーマン・ブロック
000000001949-12-01-0000 1949年12月
000000001955-02-01-0000 1955年2月
7002232000000000000♠ 232
7001910000000000000♠ 91
7001640000000000000♠ 64
7001770000000000000♠ 77
0 7001392200000000000♠ 39.22
000000001955-02-01-0000 1955年2月
000000001955-05-01-0000 1955年5月
7001150000000000000♠ 15
7000700000000000000♠ 7
7000300000000000000♠ 3
7000500000000000000♠ 5
0 7001466700000000000♠ 46.67
デイヴィッド・ハリデイ
000000001955-06-01-0000 1955年6月
000000001958-11-01-0000 1958年11月
7002146000000000000♠ 146
7001640000000000000♠ 64
7001270000000000000♠ 27
7001550000000000000♠ 55
0 7001438400000000000♠ 43.84
9997 Second Division
マット・ギリーズ
000000001958-11-08-0000 1958年11月8日
000000001968-11-30-0000 1968年11月30日
7002508000000000000♠ 508
7002201000000000000♠ 201
7002123000000000000♠ 123
7002184000000000000♠ 184
0 7001395700000000000♠ 39.57
フランク・オファレル
000000001968-12-01-0000 1968年12月
000000001971-06-06-0000 1971年6月6日
7002144000000000000♠ 144
7001620000000000000♠ 62
7001270000000000000♠ 27
7001550000000000000♠ 55
0 7001430600000000000♠ 43.06
9997 Second Division
ジミー・ブルームフィールド
000000001971-06-23-0000 1971年6月23日
000000001977-05-23-0000 1977年5月23日
7002285000000000000♠ 285
7001850000000000000♠ 85
7002104000000000000♠ 104
7001960000000000000♠ 96
0 7001298200000000000♠ 29.82
9994 チャリティ・シールド
フランク・マクリントック
000000001977-06-09-0000 1977年6月9日
000000001978-04-05-0000 1978年4月5日
7001400000000000000♠ 40
7000500000000000000♠ 5
7001120000000000000♠ 12
7001230000000000000♠ 23
0 7001125000000000000♠ 12.50
イアン・マクファーレン
000000001978-04-05-0000 1978年4月5日
000000001978-05-24-0000 1978年5月24日
7000500000000000000♠ 5
7000100000000000000♠ 1
5000000000000000000♠ 0
7000400000000000000♠ 4
0 7001200000000000000♠ 20.00
ジョック・ウォーレス
000000001978-05-24-0000 1978年5月24日
000000001982-07-12-0000 1982年7月12日
7002189000000000000♠ 189
7001690000000000000♠ 69
7001510000000000000♠ 51
7001690000000000000♠ 69
0 7001365100000000000♠ 36.51
9997 Second Division
ゴードン・ミルン
000000001982-08-02-0000 1982年8月2日
000000001986-06-03-0000 1986年6月3日
7002184000000000000♠ 184
7001640000000000000♠ 64
7001410000000000000♠ 41
7001790000000000000♠ 79
0 7001347800000000000♠ 34.78
ゴードン・ミルン ブライアン・ハミルトン
000000001986-06-01-0000 1986年6月
000000001987-05-01-0000 1987年5月
7001460000000000000♠ 46
7001130000000000000♠ 13
7000900000000000000♠ 9
7001240000000000000♠ 24
0 7001282600000000000♠ 28.26
ブライアン・ハミルトン
000000001987-05-01-0000 1987年5月
000000001987-12-11-0000 1987年12月11日
7001270000000000000♠ 27
7001100000000000000♠ 10
7000600000000000000♠ 6
7001110000000000000♠ 11
0 7001370400000000000♠ 37.04
デイヴィッド・プリート
000000001987-12-24-0000 1987年12月24日
000000001991-01-29-0000 1991年1月29日
7001200000000000000♠ 20
7000700000000000000♠ 7
7000200000000000000♠ 2
7001110000000000000♠ 11
0 7001350000000000000♠ 35.00
ゴードン・リー
000000001991-01-30-0000 1991年1月30日
000000001991-05-29-0000 1991年5月29日
7001200000000000000♠ 20
7000700000000000000♠ 7
7000200000000000000♠ 2
7001110000000000000♠ 11
0 7001350000000000000♠ 35.00
ブライアン・リトル
000000001991-05-30-0000 1991年5月30日
000000001994-11-22-0000 1994年11月22日
7002188000000000000♠ 188
7001810000000000000♠ 81
7001450000000000000♠ 45
7001620000000000000♠ 62
0 7001430900000000000♠ 43.09
ケヴィン・マクドナルド トニー・マックアンドリュー
000000001994-11-22-0000 1994年11月22日
000000001994-12-14-0000 1994年12月14日
7000300000000000000♠ 3
5000000000000000000♠ 0
7000100000000000000♠ 1
7000200000000000000♠ 2
00 5000000000000000000♠ 0.00
マーク・マギー
000000001994-12-14-0000 1994年12月14日
000000001995-12-07-0000 1995年12月7日
7001510000000000000♠ 51
7001160000000000000♠ 16
7001140000000000000♠ 14
7001210000000000000♠ 21
0 7001313700000000000♠ 31.37
デイヴィッド・ニッシュ クリス・ターナー ギャリー・パーカー スティーヴ・ウォルシュ
000000001995-12-07-0000 1995年12月7日
000000001995-12-21-0000 1995年12月21日
7000200000000000000♠ 2
7000100000000000000♠ 1
5000000000000000000♠ 0
7000100000000000000♠ 1
0 7001500000000000000♠ 50.00
マーティン・オニール
000000001995-12-21-0000 1995年12月21日
000000002000-06-01-0000 2000年6月1日
7002222000000000000♠ 222
7001850000000000000♠ 85
7001670000000000000♠ 67
7001700000000000000♠ 70
0 7001382900000000000♠ 38.29
9997 2 EFLカップ
ピーター・テイラー
000000002000-06-12-0000 2000年6月12日
000000002001-09-30-0000 2001年9月30日
7001540000000000000♠ 54
7001190000000000000♠ 19
7000900000000000000♠ 9
7001260000000000000♠ 26
0 7001351900000000000♠ 35.19
ギャリー・パーカー
000000002001-09-30-0000 2001年9月30日
000000002001-10-10-0000 2001年10月10日
7000100000000000000♠ 1
5000000000000000000♠ 0
5000000000000000000♠ 0
7000100000000000000♠ 1
00 5000000000000000000♠ 0.00
デイブ・バセット
000000002001-10-10-0000 2001年10月10日
000000002002-04-06-0000 2002年4月6日
7001280000000000000♠ 28
7000400000000000000♠ 4
7000800000000000000♠ 8
7001160000000000000♠ 16
0 7001142900000000000♠ 14.29
ミッキー・アダムス
000000002002-04-07-0000 2002年4月7日
000000002004-10-11-0000 2004年10月11日
7002111000000000000♠ 111
7001410000000000000♠ 41
7001380000000000000♠ 38
7001320000000000000♠ 32
0 7001369400000000000♠ 36.94
デイブ・バセットハワード・ウィルキンソン
000000002004-10-11-0000 2004年10月11日
000000002004-10-30-0000 2004年10月30日
7000400000000000000♠ 4
5000000000000000000♠ 0
7000400000000000000♠ 4
5000000000000000000♠ 0
00 5000000000000000000♠ 0.00
クレイグ・リベイン
000000002004-09-01-0000 2004年9月1日
000000002006-01-25-0000 2006年1月25日
7001700000000000000♠ 70
7001200000000000000♠ 20
7001250000000000000♠ 25
7001250000000000000♠ 25
0 7001285700000000000♠ 28.57
ロブ・ケリー
000000002006-02-13-0000 2006年2月13日
000000002007-04-11-0000 2007年4月11日
7001630000000000000♠ 63
7001210000000000000♠ 21
7001190000000000000♠ 19
7001230000000000000♠ 23
0 7001333300000000000♠ 33.33
ナイジェル・ワージントン
000000002007-04-11-0000 2007年4月11日
000000002007-05-07-0000 2007年5月7日
7000500000000000000♠ 5
7000200000000000000♠ 2
5000000000000000000♠ 0
7000300000000000000♠ 3
0 7001400000000000000♠ 40.00
マーティン・アレン
000000002007-05-25-0000 2007年5月25日
000000002007-08-29-0000 2007年8月29日
7000400000000000000♠ 4
7000200000000000000♠ 2
7000100000000000000♠ 1
7000100000000000000♠ 1
0 7001500000000000000♠ 50.00
ジョン・ラドキン スティーブ・ベアグレホール マイク・ストーウェル
000000002007-08-30-0000 2007年8月30日
000000002007-09-13-0000 2007年9月13日
7000100000000000000♠ 1
5000000000000000000♠ 0
7000100000000000000♠ 1
5000000000000000000♠ 0
00 5000000000000000000♠ 0.00
ガリー・メグソン
000000002007-09-13-0000 2007年9月13日
000000002007-10-24-0000 2007年10月24日
7000900000000000000♠ 9
7000300000000000000♠ 3
7000400000000000000♠ 4
7000200000000000000♠ 2
0 7001333300000000000♠ 33.33
フランク・バローズ ジェリー・タガート
000000002007-10-24-0000 2007年10月24日
000000002007-11-22-0000 2007年11月22日
7000500000000000000♠ 5
7000100000000000000♠ 1
7000200000000000000♠ 2
7000200000000000000♠ 2
0 7001200000000000000♠ 20.00
イアン・ホロウェイ
000000002007-11-22-0000 2007年11月22日
000000002008-05-23-0000 2008年5月23日
7001320000000000000♠ 32
7000900000000000000♠ 9
7000800000000000000♠ 8
7001150000000000000♠ 15
0 7001281300000000000♠ 28.13
ナイジェル・ピアソン
000000002008-06-22-0000 2008年6月22日
000000002010-06-29-0000 2010年6月29日
7002107000000000000♠ 107
7001550000000000000♠ 55
7001300000000000000♠ 30
7001220000000000000♠ 22
0 7001514000000000000♠ 51.40
チャンピオンシップ
パウロ・ソウザ
000000002010-07-07-0000 2010年7月7日
000000002010-10-01-0000 2010年10月1日
7001120000000000000♠ 12
7000400000000000000♠ 4
7000200000000000000♠ 2
7000600000000000000♠ 6
0 7001333300000000000♠ 33.33
クリス・パウエル マイク・ストーウェル
000000002010-10-01-0000 2010年10月1日
000000002010-10-04-0000 2010年10月4日
7000100000000000000♠ 1
7000100000000000000♠ 1
5000000000000000000♠ 0
5000000000000000000♠ 0
7002100000000000000♠ 100.00
スヴェン=ゴラン・エリクソン
000000002010-10-04-0000 2010年10月4日
000000002011-10-24-0000 2011年10月24日
7001550000000000000♠ 55
7001240000000000000♠ 24
7001140000000000000♠ 14
7001170000000000000♠ 17
0 7001436400000000000♠ 43.64
ジョン・ラドキン スティーブ・ベアグレホール マイク・ストーウェル
000000002011-10-24-0000 2011年10月24日
000000002011-11-15-0000 2011年11月15日
7000300000000000000♠ 3
7000100000000000000♠ 1
5000000000000000000♠ 0
7000200000000000000♠ 2
0 7001333300000000000♠ 33.33
ナイジェル・ピアソン
000000002011-11-15-0000 2011年11月15日
000000002015-06-30-0000 2015年6月30日
7002175000000000000♠ 175
7001800000000000000♠ 80
7001370000000000000♠ 37
7001580000000000000♠ 58
0 7001457100000000000♠ 45.71
9997 チャンピオンシップ
クラウディオ・ラニエリ
000000002015-07-13-0000 2015年7月13日
000000002017-02-23-0000 2017年2月23日
7001810000000000000♠ 81
7001360000000000000♠ 36
7001220000000000000♠ 22
7001230000000000000♠ 23
0 7001444400000000000♠ 44.44
9997 プレミアリーグ
クレイグ・シェイクスピア
000000002017-02-23-0000 2017年2月23日
000000002017-10-17-0000 2017年10月17日
7001260000000000000♠ 26
7001110000000000000♠ 11
7000600000000000000♠ 6
7000900000000000000♠ 9
0 7001423100000000000♠ 42.31
マイケル・アップルトン
000000002017-10-17-0000 2017年10月17日
000000002017-10-25-0000 2017年10月25日
7000200000000000000♠ 2
7000200000000000000♠ 2
5000000000000000000♠ 0
5000000000000000000♠ 0
7002100000000000000♠ 100.00
クロード・ピュエル
000000002017-10-25-0000 2017年10月25日
000000002019-02-24-0000 2019年2月24日
7001670000000000000♠ 67
7001230000000000000♠ 23
7001180000000000000♠ 18
7001260000000000000♠ 26
0 7001343300000000000♠ 34.33
マイク・ストーウェルアダム・サドラー
000000002019-02-24-0000 2019年2月24日
000000002019-02-26-0000 2019年2月26日
7000100000000000000♠ 1
7000100000000000000♠ 1
5000000000000000000♠ 0
5000000000000000000♠ 0
7002100000000000000♠ 100.00
ブレンダン・ロジャーズ
000000002019-02-26-0000 2019年2月26日
000000002023-04-02-0000 2023年4月2日
7002204000000000000♠ 204
7001920000000000000♠ 92
7001420000000000000♠ 42
7001700000000000000♠ 70
0 7001451000000000000♠ 45.10
9997 FAカップ コミュニティ・シールド
マイク・ストーウェル アダム・サドラー
000000002023-04-02-0000 2023年4月2日
000000002023-04-10-0000 2023年4月10日
7000200000000000000♠ 2
5000000000000000000♠ 0
5000000000000000000♠ 0
7000200000000000000♠ 2
00 5000000000000000000♠ 0.00
ディーン・スミス
000000002023-04-10-0000 2023年4月10日
000000002023-06-16-0000 2023年6月16日
7000800000000000000♠ 8
7000200000000000000♠ 2
7000300000000000000♠ 3
7000300000000000000♠ 3
0 7001250000000000000♠ 25.00
エンツォ・マレスカ
000000002023-06-16-0000 2023年6月16日
000000002024-06-03-0000 2024年6月3日
7001530000000000000♠ 53
7001360000000000000♠ 36
7000400000000000000♠ 4
7001130000000000000♠ 13
0 7001679200000000000♠ 67.92
チャンピオンシップ
スティーヴ・クーパー
000000002024-06-20-0000 2024年6月20日
000000002024-11-24-0000 2024年11月24日
7001150000000000000♠ 15
7000300000000000000♠ 3
7000500000000000000♠ 5
7000700000000000000♠ 7
0 7001200000000000000♠ 20.00
ベン・ドーソン
000000002024-11-24-0000 2024年11月24日
000000002024-11-29-0000 2024年11月29日
7000100000000000000♠ 1
5000000000000000000♠ 0
5000000000000000000♠ 0
7000100000000000000♠ 1
00 5000000000000000000♠ 0.00
ルート・ファン・ニステルローイ
000000002024-11-29-0000 2024年11月29日
現在
—
—
歴代所属選手
個人記録
出場試合数記録
2024年12月28日現在
総得点数記録
2024年12月28日現在
レスター・シティ年間最優秀選手賞
スポンサー
練習施設
2020年クリスマスにレスターシャー 北部のチャーンウッドに約130億円掛けて建設していた練習施設が完成した。ファーストチームとユースが使用している。この東京ドーム16個分の練習施設にはフルサイズのピッチ14面を含む21面のピッチにゴルフ場、ハイドロプールやクライオセラピー等のリカバリー施設、30部屋のベットルーム、食堂、ミーティング室などを完備したクラブハウスも建設され、イングランド屈指の練習施設となっている。
元々使用していたトレーニンググラウンドは、現在女子チーム が使用している。
サポーター
地元出身のロックバンドカサビアン はデビュー当初から同チームのファンを公言しており、ホームスタジアムであるキング・パワー・スタジアム でも彼らの楽曲がよく使用されている。2015-16シーズンにリーグ優勝をした際には、記念パレードにサプライズ・ゲストとして登場し、ライブを敢行した[ 21] 。同年5月にはキング・パワー・スタジアム でライブを行った[ 22] 。
関連書籍
脚注
外部リンク
関連項目
グループリーグ
グループA グループB グループC グループD グループE グループF グループG グループH
決勝トーナメント
UCL - UEL - UECL
2023-24クラブ 過去のクラブ 記録と表彰 スポンサー 関連大会 シーズン 参照