トリノ・フットボール・クラブ(Torino Football Club S.p.A.)は、イタリア・ピエモンテ州トリノをホームタウンとするプロサッカークラブ。セリエAで優勝7回の実績を持つ古豪である。
1906年12月3日にFCトリノ (Foot Ball Club Torino) として創設された。イタリアがファシスト党の独裁下にあった1936年に、イタリア語を使用したACトリノ (Associazione Calcio Torino) へと改められ、その後1970年にトリノ・カルチョ (Torino Calcio) に改称。
1942年から1949年にかけてセリエAで5連覇し、「グランデ・トリノ(偉大なるトリノ)」と呼ばれた。しかし、その最後の優勝は悲劇的なものであった。1948-49シーズンも残りわずかと言う所で首位に立っていたトリノは、ポルトガルのクラブとの親善試合を終えてイタリアに帰る途中、乗っていた飛行機がスペルガの丘に墜落。監督を含めチームのほとんど全員が死亡した(スペルガの悲劇)。この事故以降の4試合はトリノはユースチームで戦い、対戦相手もユースチームで対抗した。この年優勝したのはトリノであったが、1959-60シーズンにはセリエB降格も経験している。
1975-76シーズンにはルイージ・ラディーチェ監督の指揮下、パオロ・プリーチ、レナート・ザッカレッリらを擁し、約27振りのリーグ優勝を果たした。翌1976-77シーズンはリーグ2位、ジュニオール、ドッセーナらが在籍した、1984-85シーズンもリーグ第2位に終わった。
1991-92シーズンにはエンツォ・シーフォらを擁し、UEFAカップ決勝に進出、初のヨーロッパタイトル獲得を目指したが、アヤックスに2-2、0-0と2試合ドローとしながら、レギュレーションにより優勝を逃した。1992-93シーズンは決勝でASローマを破ってコッパ・イタリアを獲得した。
ユヴェントスFCとのダービーマッチは、デルビー・デッラ・モーレ (Derby della Mole) と呼ばれる。ユヴェントスはトリノを中心に全世界的な人気であるが、トリノ市内及び近郊では、トリノの方が人気が高い。
なし
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
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