1. FCマクデブルク(ドイツ語: 1. FC Magdeburg e. V.)は、ドイツの北東部、ザクセン=アンハルト州の都市マクデブルクを本拠地とするサッカークラブである。
クラブは1896年6月15日にSVヴィクトリア96マクデブルク(SV Victoria 96 Magdeburg)として創設。第二次世界大戦前のGauliga Mitteでは幾度も決勝進出を果たすなど全盛期にあった。戦後、マクデブルクがソビエト連邦の占領下に入るとクラブは解散を命じられ、選手達は幾つかの小さなクラブ(マクデブルガーSC、プロシア1899、クリケット・ヴィクトリア・マクデブルク、SGシュデンブルク)を作ってそこでプレーを続けた。
ドイツ民主共和国が建国されると、かつてのスポーツクラブは企業のスポーツ組織(BSG)に置き換えられ、特定の産業と結びつきの強い名前が与えられる様になった。マクデブルクも1951年に数クラブが合併してBSGシュタール・マクデブルク(BSG Stahl Magdebourg)と改称、翌1952年にBSGモトール・ミッテ・マクデブルク(BSG Motor Mitte Magdeburg)となった。そして1965年にサッカー東ドイツ代表の選手強化の為の特別強化クラブの指定を受けると、サッカー部門は複合型スポーツクラブから独立し、1.FCマクデブルクとなり、これ以降国内の有望選手が集まる様になった。
1970年代に入ると国内ではディナモ・ドレスデンと勢力を二分し、3度のリーグ優勝(1971年、1974年、1975年)を果たすなど黄金時代を迎えた。また1969年から1974年の間に9人の東ドイツ代表選手を輩出し、そのうち4人は1974年のFIFAワールドカップ・西ドイツ大会代表メンバーとなった。1973-74シーズンはクラブ史上で最良の季節となった。リーグ戦では2度目の優勝を果たし、UEFAカップウィナーズカップでは決勝戦に進出。1974年5月8日にオランダ・ロッテルダムで行われた決勝戦はイタリアのACミランを2-0で下し初優勝を成し遂げた。この記録は欧州サッカー連盟主催の国際大会で優勝した唯一の東ドイツのクラブとなった。
1991年にドイツ再統一後は3部リーグへの参入となった。これ以降はトップリーグでの活躍の場を失ったが、2000-01シーズンのDFBポカールでは1.FCケルン、バイエルン・ミュンヘン、カールスルーエといった強豪を下しベスト8進出と旋風を起こした。しかし2002年には財政的な問題から4部リーグへの降格を余儀なくされた。
2006年にレギオナルリーガ(当時の3部リーグ)昇格を果たし、2006-07シーズンのレギオナルリーガ北部ではブンデスリーガ2部への昇格に迫りながら3位でシーズンを終えるなど復活の気配を見せた。2008-09シーズンからはリーグ再編により、レギオナルリーガ北東部(4部リーグ)に所属していた。2014-2015シーズンにブンデスリーガ3部昇格を果たす。 2017-18シーズンにはブンデスリーガ3部で優勝し、初めて2部へ昇格した。
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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