アルクマール・ザーンストレーク(オランダ語: Alkmaar Zaanstreek)は、オランダの西部、北ホラント州の都市アルクマールに本拠地を置くサッカークラブである。AZ(アーゼット)の呼称で知られる。
歴史
1960-90年代
AZは、北ホラント州に拠点を置くプロクラブだったアルクマール'54とアマチュアクラブだったFCザーンストレークの合併により設立された。アルクマール'54は、国内初のプロリーグを創設する際のメンバーとして1954年にプロサッカークラブとして設立された。FCザーンストレークは、KFCとZFCという両クラブの合併計画が失敗に終わった後、KFCがアマチュアクラブとして存続するために設立された。FCザーンストレークは1964年にモレナール兄弟の画期的な経営と戦術の下、着実に力をつけ、プロクラブになる資格を得たことでKFC後を継ぐクラブとして再編された。1967年、アルクマール'54とFCザーンストレークは両社ともに深刻な経営難に陥っており、それを改善すること、国内最強だったアヤックス1強を崩すため、という目的の下合併した。しかし、1972年、再び経営難になり、成績も低迷。この時救いの手を差し伸べたのは、FCザーンストレークを強豪へと押し上げたモレナール兄弟と当時国内でもトップクラスの利益を生み出していた電化製品会社「ワストラ」だった。これを機に、AZは国内でも好成績を残し始めた。1978年にKNVBカップ初優勝、1980-81シーズンにはリーグ優勝・KNVBカップ優勝の2冠を果たすとともに、UEFAカップ決勝に進出したが、イングランドのイプスウィッチ・タウンに2試合合計4-5のスコアで敗れた。
しかし、1980年代に入ると、ボスマン判決や財政悪化、スター選手の退団など次第に実力が低下。1987-88シーズン、ついにエールステ・ディヴィジに降格してしまった。その後、2部暮らしが続いたものの、1995-96シーズンに優勝、1部へ復帰した。しかし、翌1996-97シーズンは18位で2部へ逆戻り。1997-98シーズンは再び2部で優勝し、改めて1部復帰となった。
2000年代
2002-03シーズン、成績不振のヘンク・ファン・ステーの後任で、コー・アドリアーンセがシーズン途中で監督に就任。このシーズンは10位だった。
2003-04シーズン、アヤックス・フェイエノールト・PSV・ヘーレンフェーンに次いで5位となり、UEFAカップ出場権を得た。チーム得点王は14ゴールのアリ・エル・ハッタビであった。
2004-05シーズン、リーグで大躍進し、PSV・アヤックスに次ぐ3位の成績を収めた。チーム得点王は13ゴールのケネス・ペレスだった。UEFAカップでは、1回戦はPAOK(ギリシャ)に合計5-3で勝利。グループステージを3勝1敗の首位で通過すると、決勝トーナメント1回戦アーヘン(ドイツ)に合計2-1、2回戦シャフタール・ドネツク(ウクライナ)に合計5-2、準々決勝・ビジャレアル(スペイン)に合計3-2と順調に勝ち上がり、準決勝進出を果たした。準決勝ではスポルティングCP(ポルトガル)と対戦し、第1戦はアウェーで1-2、第2戦はホームで2-1で決着付かず、延長戦へ突入。延長後半3分のケウ・ヤリエンスのゴールで一時は決勝進出を手繰り寄せるも、延長後半ロスタイムにミゲル・ガルシアのゴールで追い付かれ、合計4-4。アウェーゴールルールのため敗戦となり、決勝進出を逃した。
2005-06シーズン、それまで指揮をとっていたコー・アドリアーンセが退任したため、新たにルイ・ファン・ハールが監督に就任。グルジア代表FWのショタ・アルベラーゼをレンジャーズから、オランダ人FWのダニー・クーフェルマンスをスパルタから迎えた。最終的な順位はアヤックスに次ぐ2位。チーム得点王のアルベラーゼは合計22ゴールで、得点ランク第2位となった。UEFAカップでは、1回戦をクリリヤ・ソヴェトフ・サマーラ(ロシア)に合計6-6、アウェイゴールルールで勝利。続くグループステージを3勝1分の2位で通過したが、決勝トーナメント第1戦でレアル・ベティス(スペイン)に合計3-2の敗戦となった。
2006-07シーズンにはバリー・ファン・ハーレンが引退。ペレス、ヘンク・ティメル、ヨリス・マタイセン、デニー・ランツァートといった主力選手が移籍する事態となった。だが、チームは躍進を見せる。アヤックス・PSVと勝ち点72で並び、得失点差による首位を維持して最終節を迎えた。しかし、最終節では下位のエクセルシオール相手に大苦戦。開始早々、GKのボイ・ヴァーテルマンがアンドウェレ・スロリーを倒して一発退場となるなどの波乱もあり、2-3で敗戦。最終的には3位に転落、26年ぶりの優勝を逃す結果となった。クーフェルマンスが合計22ゴールでチーム得点王となった。UEFAカップでは、1回戦をカイセリスポル(トルコ)に合計4-3で勝利。グループステージも3勝1分の首位で通過した。決勝トーナメント第1戦はフェネルバフチェ(トルコ)に合計5-5、第2戦はニューカッスル(イングランド)に合計4-4、共にアウェイゴールで勝利したが、準々決勝でブレーメン(ドイツ)に合計1-4と敗北した。なお、このシーズンの開幕前に1万3500人収容の新スタジアムDSBスタディオンが完成し、このシーズンから使用している。
2007-08シーズンは、アルベラーゼ、クーフェルマンスといったベテランが移籍。その一方で、ブラジル人FWのアリ、イタリア人FWのグラツィアーノ・ペッレ、ベルギー人DFのセバスチャン・ポコニョーリといった若手主体の補強を行なった。しかし、第19節ではアヤックスに1-6の大敗するなど、シーズンを通して精彩を欠いた。第20節のヘーレンフェーン戦から第30節のデ・フラーフスハップ戦の2ヶ月間に至っては、12戦連続勝ち星から遠ざかってしまった(5分7敗)。最終的な順位は11位。UEFAカップでは、1回戦をパソス・デ・フェレイラ(ポルトガル)に合計1-0で勝利。しかし、グループステージでは1勝1分2敗と奮わず4位となり、グループステージ敗退となった。
2008-09シーズン、開幕2連敗したものの、その後はエース、ムニル・エル・ハムダウィが得点を量産、また守護神セルヒオ・ロメロの活躍などでシーズン終盤まで28試合連続無敗記録を打ち立てるなど快進撃を続け、28シーズンぶり2回目の優勝を決めた。
2009年7月、オランダのスーパーカップであるヨハン・クライフ・スハールでヘーレンフェーンと対戦し、5-1で勝利してヨハン・クライフ・スハール初制覇を果たした。リーグ戦で初優勝した1981年にはスーパーカップは創設されていなかったため、初のスーパーカップ出場だった。
2010年代
2010-11シーズン、ヘルトヤン・フェルベークが新監督に就任し、クラブのメインスポンサーをAFASソフトウェアに変更させ、AZはクラブの改革を行った。夏の移籍市場でムニル・エル・ハムダウィやムサ・デンベレといった主力選手を放出したが、リーグ戦は3強に次ぐ4位であった。
2011-12シーズンもリーグ戦は4位でフィニッシュしたが、UEFAヨーロッパリーグではアンデルレヒトやウディネーゼらを下して、ベスト8にまで勝ち進んだ。
2012-13シーズン、リーグ戦は期待に沿う結果は残せなかったが、KNVBカップでは決勝でPSVアイントホーフェンを破って31年ぶりの優勝を飾った。
2019-20シーズン、クラブの監督に新しくアルネ・スロットを招集し、欧州の舞台で戦う準備を始めた。夏の移籍市場ではFCスパルタク・モスクワに移籍したフース・ティルの代役としてアヤックスからダニ・デ・ウィトやMFヨルディ・クラーシさらにはクラブ史上初の日本人選手としてDF菅原由勢らを獲得した。リーグ戦ではAZユース出身のFWマイロン・ボアドゥやMFトゥーン・コープマイネルス、FWケルヴィン・ステングスの活躍もあって、アヤックス・アムステルダムに次ぐリーグ戦2位でシーズンを終えた。一方、UEFAヨーロッパリーグではマンチェスター・ユナイテッドFCらと同組だったのにも関わらず、グループステージを突破した。ベスト32の対戦相手はLASKリンツとなった。1戦目はホームで1-1の引き分け、アウェイ2戦目は2-0で完敗を喫し、2試合合計3-1で大会を去った。
2020年代
2024-25シーズン、セレッソ大阪から毎熊晟矢を獲得した。第5節に9-1で勝利しクラブ史上最多得点記録を樹立した。
タイトル
国内タイトル
- KNVBカップ:4回
- 1977-78, 1980-81, 1981-82, 2012-13
国際タイトル
親善大会
その他
- リーグフェアプレー賞 : 3回
- 2003-04, 2004-05, 2006-07
※その年、最もクラブ設備、施設が整っているクラブに贈られる賞。
クラブ記録
試合
選手
- 公式戦通算得点
- 公式戦通算出場
過去の成績
シーズン
|
リーグ
|
KNVBカップ
|
ディビジョン |
試 |
勝 |
分 |
敗 |
得 |
失 |
点 |
順位
|
1967-68
|
エールステ・ディヴィジ
|
36
|
18
|
14
|
4
|
57
|
25
|
50
|
2位
|
GS敗退
|
1968-69
|
エールディヴィジ
|
34
|
5
|
13
|
16
|
27
|
53
|
23
|
16位
|
2回戦敗退
|
1969-70
|
34
|
8
|
12
|
14
|
31
|
48
|
28
|
12位
|
準々決勝敗退
|
1970-71
|
34
|
3
|
9
|
22
|
24
|
76
|
15
|
17位
|
2回戦敗退
|
1971-72
|
エールステ・ディヴィジ
|
40
|
22
|
11
|
7
|
68
|
31
|
55
|
2位
|
1回戦敗退
|
1972-73
|
エールディヴィジ
|
34
|
8
|
9
|
17
|
32
|
58
|
25
|
15位
|
準決勝敗退
|
1973-74
|
34
|
10
|
13
|
11
|
37
|
39
|
33
|
7位
|
準々決勝敗退
|
1974-75
|
34
|
14
|
12
|
8
|
50
|
32
|
40
|
5位
|
準々決勝敗退
|
1975-76
|
34
|
15
|
9
|
10
|
46
|
39
|
39
|
5位
|
準々決勝敗退
|
1976-77
|
34
|
19
|
8
|
7
|
75
|
29
|
46
|
3位
|
準決勝敗退
|
1977-78
|
34
|
19
|
9
|
6
|
75
|
30
|
47
|
3位
|
優勝
|
1978-79
|
34
|
19
|
7
|
8
|
84
|
43
|
45
|
4位
|
準々決勝敗退
|
1979-80
|
34
|
20
|
7
|
7
|
77
|
36
|
47
|
2位
|
準々決勝敗退
|
1980-81
|
34
|
27
|
6
|
1
|
101
|
30
|
60
|
1位
|
優勝
|
1981-82
|
34
|
21
|
5
|
8
|
74
|
40
|
47
|
3位
|
優勝
|
1982-83
|
34
|
11
|
8
|
15
|
49
|
40
|
30
|
11位
|
2回戦敗退
|
1983-84
|
34
|
14
|
9
|
11
|
64
|
50
|
37
|
6位
|
準々決勝敗退
|
1984-85
|
34
|
8
|
14
|
12
|
59
|
70
|
30
|
13位
|
1回戦敗退
|
1985-86
|
34
|
11
|
12
|
11
|
40
|
55
|
34
|
9位
|
2回戦敗退
|
1986-87
|
34
|
7
|
13
|
14
|
31
|
57
|
27
|
15位
|
2回戦敗退
|
1987-88
|
34
|
9
|
10
|
15
|
44
|
64
|
28
|
16位
|
1回戦敗退
|
1988-89
|
エールステ・ディヴィジ
|
36
|
19
|
9
|
8
|
80
|
42
|
47
|
5位
|
準々決勝敗退
|
1989-90
|
36
|
12
|
9
|
15
|
48
|
46
|
33
|
12位
|
1回戦敗退
|
1990-91
|
38
|
15
|
15
|
8
|
56
|
38
|
45
|
4位
|
1回戦敗退
|
1991-92
|
38
|
14
|
11
|
13
|
55
|
40
|
39
|
13位
|
2回戦敗退
|
1992-93
|
34
|
11
|
10
|
13
|
54
|
52
|
32
|
10位
|
3回戦敗退
|
1993-94
|
34
|
16
|
10
|
8
|
60
|
31
|
42
|
3位
|
ベスト16
|
1994-95
|
34
|
16
|
7
|
11
|
59
|
40
|
39
|
5位
|
ベスト16
|
1995-96
|
34
|
21
|
10
|
3
|
64
|
26
|
73
|
1位
|
ベスト16
|
1996-97
|
エールディヴィジ
|
34
|
6
|
7
|
21
|
27
|
52
|
25
|
18位
|
準々決勝敗退
|
1997-98
|
エールステ・ディヴィジ
|
34
|
21
|
9
|
4
|
81
|
31
|
72
|
1位
|
1回戦敗退
|
1998-99
|
エールディヴィジ
|
34
|
12
|
12
|
10
|
52
|
60
|
48
|
9位
|
ベスト16
|
1999-00
|
34
|
17
|
4
|
13
|
69
|
59
|
55
|
7位
|
準決勝敗退
|
2000-01
|
34
|
9
|
8
|
17
|
45
|
63
|
35
|
13位
|
準々決勝敗退
|
2001-02
|
34
|
12
|
7
|
15
|
43
|
45
|
43
|
10位
|
2回戦敗退
|
2002-03
|
34
|
12
|
8
|
14
|
50
|
69
|
44
|
10位
|
2回戦敗退
|
2003-04
|
34
|
17
|
6
|
11
|
65
|
42
|
57
|
5位
|
2回戦敗退
|
2004-05
|
34
|
19
|
7
|
8
|
71
|
41
|
71
|
3位
|
ベスト16
|
2005-06
|
34
|
23
|
5
|
6
|
78
|
32
|
74
|
2位
|
準決勝敗退
|
2006-07
|
34
|
21
|
9
|
4
|
83
|
31
|
72
|
3位
|
準優勝
|
2007-08
|
34
|
11
|
10
|
13
|
43
|
48
|
43
|
11位
|
2回戦敗退
|
2008-09
|
34
|
25
|
5
|
4
|
66
|
22
|
80
|
1位
|
準々決勝敗退
|
2009-10
|
34
|
19
|
5
|
10
|
64
|
34
|
62
|
5位
|
4回戦敗退
|
2010-11
|
34
|
17
|
8
|
9
|
55
|
44
|
59
|
4位
|
4回戦敗退
|
2011-12
|
34
|
19
|
8
|
7
|
64
|
35
|
65
|
4位
|
準決勝敗退
|
2012-13
|
34
|
10
|
9
|
15
|
56
|
54
|
39
|
10位
|
優勝
|
2013-14
|
34
|
13
|
8
|
13
|
54
|
50
|
47
|
8位
|
準決勝敗退
|
2014-15
|
34
|
19
|
5
|
10
|
63
|
56
|
62
|
3位
|
準々決勝敗退
|
2015-16
|
34
|
18
|
5
|
11
|
70
|
53
|
59
|
4位
|
準決勝敗退
|
2016-17
|
34
|
12
|
13
|
9
|
56
|
52
|
49
|
6位
|
準優勝
|
2017-18
|
34
|
22
|
5
|
7
|
72
|
38
|
71
|
3位
|
準優勝
|
2018-19
|
34
|
17
|
7
|
10
|
64
|
43
|
58
|
4位
|
準決勝敗退
|
2019-20
|
25
|
18
|
2
|
5
|
54
|
17
|
56
|
2位
|
準々決勝敗退
|
2020-21
|
34
|
21
|
8
|
5
|
75
|
41
|
71
|
3位
|
3回戦敗退
|
2021-22
|
34
|
18
|
7
|
9
|
64
|
44
|
61
|
5位
|
準決勝敗退
|
2022-23
|
34
|
20
|
7
|
7
|
68
|
35
|
67
|
4位
|
ベスト16
|
2023-24
|
34
|
19
|
8
|
7
|
70
|
39
|
65
|
4位
|
準々決勝敗退
|
欧州の成績
2022-23シーズン時点で、AZはUEFA主催の大会に通算21シーズン参加しているが、タイトル獲得はない。UEFAランキングの最高位は2008年の20位である。また、UEFAのコンペティションでは、2007年にホームでエヴァートンFCに敗れるまでホームゲーム32試合連続で無敗だった。この32試合無敗という記録はマンチェスター・ユナイテッドFCが1996年まで保持していた56試合無敗に次ぐ記録である。
現所属メンバー
- 2024年2月1日現在[1]
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
- 監督
歴代監督
- AZ'67時代
- AZ時代
歴代所属選手
脚注
外部リンク
|
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グループリーグ |
グループA | |
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グループB | |
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グループC | |
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グループD | |
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グループE | |
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グループF | |
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グループG | |
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グループH | |
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|
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決勝トーナメント |
|
---|
UCL - UEL - UECL |