FCアンジ・マハチカラ 原語表記
Футбольный клуб"Анжи" Махачкала 愛称
Dagi (Dagestan men) クラブカラー
黄・紫 創設年
1991年 解散年
2022年 ホームタウン
マハチカラ ホームスタジアム
アンジ・アレーナ 収容人数
30,000 公式サイト
公式サイト
■ テンプレート(■ ノート)■ サッカークラブPJ
FCアンジ・マハチカラ (露 : Футбольный клуб "Анжи" Махачкала , 英 : FC Anzhi Makhachkala )は、ロシア連邦 ・ダゲスタン共和国 ・マハチカラ を本拠地としていたサッカークラブ である。アンジ・マハチカラのアンジとはクムク語 で "真珠" の意味を持ち、古代のクミク族(クムク人 )は、現在ロシア名で "マハチカラ" と呼ばれる場所を "アンジ" と呼んでいた[1] 。
歴史
黎明期
1999年にアンジの監督に就任してプレミアリーグ昇格やUEFAカップ出場権を齎したガジ・ガジエフ。
クラブは1991年にダグネフテプロドゥクトのマゴメド・スルタン・マゴメドフと、FCディナモ・マハチカラに所属経験のあるアレクサンドル・マルカロフによって創設された[2] 。
1999年にガジ・ガジエフ がアンジの監督に就任。1部リーグ (2部リーグに相当)で優勝してプレミアリーグ に初昇格を決める。昇格初年の2000年は4位に食い込み、2001-02シーズンのUEFAカップ 出場権を獲得した[2] 。2000-01シーズンのロシア・カップ では初の決勝に進み、6月20日に決勝戦が行われた。相手のFCロコモティフ・モスクワ とは一進一退の攻防が続いたが、後半の45分に待望の得点を決めた。しかし、その直後のロスタイムにPKを与え、それを決められて試合は延長戦へと突入した。延長戦では決着が着かずPK戦 まで縺れ込んだが敗れ、準優勝に終わった[2] 。UEFAカップ 出場権を獲得したアンジはUEFA の規定通りにホーム・アンド・アウェー 方式で試合を行う事になっていたが、2001年9月11日に起きたテロ の影響で、隣接するチェチェン共和国 の情勢が不安定化。その為、試合は中立の会場(ワルシャワ )で行う事になり、本来なら2試合行う筈の試合は1試合になった。相手はスコットランド の強豪レンジャーズFC で結果は1-0で敗れた。
2002年、ロシア・プレミアリーグで15位に終わり、1部リーグに降格。その後は1部リーグ生活が長く続き、2006年は15位まで沈み2部(実質3部)降格も危ぶまれたが、2009年シーズンで1部リーグ優勝を果たし、プレミアリーグ復帰を果たした[2] 。
2011-12シーズン
2011年1月18日、ロシア・ダゲスタン共和国 出身の大富豪であるスレイマン・ケリモフ が、財政支援と引き換えに株式を100%取得しクラブのオーナーに就任した[3] 。インフラに2億ドルを投資する計画で、4万人以上収容のスタジアムを建設する計画である[4] 。ケリモフのオーナー就任後は、スペイン のレアル・マドリード やブラジル代表 で活躍したロベルト・カルロス 、2009年のブラジル全国選手権セリエA得点王 に輝いたジエゴ・タルデッリ 、SCコリンチャンス・パウリスタ のスターであったジュシレイ などの有力選手を次々と獲得した。また、移籍期間中にFCテレク・グロズヌイ と破談に終わった、ベルギーリーグ の最優秀選手に3度選ばれたムバラク・ブスファ を獲得し、AFCアジアカップ2011 で活躍したウズベキスタン代表 のオディル・アフメドフ をレンタル移籍 で獲得した。
シーズンオフはトルコで合宿をした。ロシア・カップ2010-11ではベスト16に進出し、3月1日にベスト8進出を掛けた試合が行われた。相手は昨年のロシア・カップ王者であるゼニト・サンクトペテルブルク で大型補強後、初の公式戦であったが2-3で敗れた。2011年3月12日、ロシア・プレミアリーグ2011-12が開幕した。最初の数試合は躓いたものの12試合を終えた時点で2位につけた。6月12日、リーグ戦優勝とUEFAチャンピオンズリーグ 出場を狙うアンジはPSVアイントホーフェン で主力として活躍したジュジャーク・バラージュ を獲得。8月6日には現役のロシア代表 選手であるユーリ・ジルコフ を、8月23日にはインテルナツィオナーレ・ミラノ からサミュエル・エトー を獲得した[5] 。しかし、リーグ戦で伸び悩み監督のガジ・ガジエフ を解任、暫定監督はアンドレイ・ゴルデーエフが務めた。2011-12シーズンは秋春制への移行の為に、試合数が例年の30試合から44試合に増え、2011年11月6日の30試合終了時点で全16チームが、上位8チーム、下位8チームに分かれて残りの14試合を戦う方式が採られていた。アンジは8位というギリギリの順位であったが9位には勝ち点10離していたことから容易に上位陣に滑り込み、2試合を消化して7位という順位で数ヶ月間のウィンターブレイクに突入した。
同年12月下旬のウィンターブレイク中に暫定監督のアンドレイ・ゴルデーエフからバトンタッチする形でユーリー・クラスノジャン がクラブの指揮を執ることになったものの、僅か2ヶ月で辞任した。その数日後にロシア代表 などの監督を務めたオランダ人のフース・ヒディンク を招聘[6] 。冬の移籍期間中にはジュジャーク・バラージュをFCディナモ・モスクワ へ売却し、結果が出なかったジエゴ・タルデッリはカタールのクラブに売却をした。その一方でブラックバーン・ローヴァーズFC でキャプテンを務めていたDFのクリストファー・サンバ を獲得し、若手ではアンダー世代で出場経験のあるオレグ・シャトフ やアルセニー・ロガショフ (2011年7月加入)を獲得した。ウィンターブレイクが明けて3月に再開されたリーグ戦では代表選手を揃えた上位クラブとの対決により厳しい戦いを迫られたが最終的に順位を2つ伸ばして5位でシーズンを終えた。
UEFA EL 2012-13
UEFAヨーロッパリーグ 2012-13 の予選2回戦からの出場権を獲得したものの、UEFAの執行委員会は7月上旬のキエフでの会議でセキュリティや安全性に問題があるとしてマハチカラで試合を開催しないことを決定して通告をした[7] 。そのことからアンジは代替のスタジアムを探し、2011年1月にプレミアリーグから撤退したサトゥルン・ラメンスコーエ が使用していたサトゥルン・スタジアムで試合をすることに決めた[8] [9] 。2012年7月19日、ホームで行われたブダペスト・ホンヴェードFC との試合ではブラジル人 MFのジュシレイ が得点を挙げ1-0でUEFA初勝利を記録[10] 。アウェーでは4得点の合計5得点を挙げ3回戦へ進出した。8月2日、9日に行われたオランダのフィテッセ との試合ではホームとアウェーで2得点ずつ挙げプレーオフ進出を果たした。8月23日、30日に行われたAZアルクマール (2008-09シーズンエールディヴィジ 優勝)との試合ではホームで1得点アウェーでは5得点の大勝をして、初のグループリーグ進出を成し遂げた。
グループリーグでは予選で使用していたサトゥルン・スタジアムからFCロコモティフ・モスクワ が使用しているロコモティフ・スタジアム に変更をした[11] 。グループリーグではリヴァプールFC 、BSCヤングボーイズ 、ウディネーゼ・カルチョ らのAグループに組み込まれ、3勝1分2敗のグループ2位で決勝トーナメント進出した。ベスト32ではドイツのハノーファー96 をホーム・アウェー合計2-4で降してベスト16に進出。ベスト16はイングランドのニューカッスル・ユナイテッドFC と対戦しホームでの戦いを0-0で引き分けた。アウェーではチャンスを作り出し互角の戦いを演じたが、55分にメディ・カルセラ=ゴンサレス が2枚目となるイエローカード を受け退場 となった[12] 。10人になった事で数的不利に陥り、防戦一方となったが、隙あらば攻撃に転じるなどしてニューカッスルを脅かしていた[12] 。アディショナルタイム は3分と表示され、後は延長戦に望みを繋ぐだけであったが、試合終了間際にニューカッスル所属のパピス・シセ にヘディングで得点を挙げられてベスト16で敗退した[12] [13] 。
2012-13シーズン
2012-13シーズンのリーグ戦は15勝8分7敗で昨年の5位から順位を2つ伸ばして3位で終えUEFAヨーロッパリーグ 2013-14 のグループリーグから出場する権利を獲得した。冬の移籍期間ではFCシャフタール・ドネツク からブラジル人MFのウィリアン を3500万ユーロで獲得した[14] 。アンジの監督であったヒディンクは2012-13シーズンを最後に監督業を引退すると母国オランダの新聞で表明したが[15] 、2013年6月11日、契約を1年間延長した[16] 。この期間中にはロシア代表で中心的なイゴール・デニソフ (推定移籍1200万ユーロ[17] )や将来を期待されている若手のアレクサンドル・ココリン (移籍金1900万ユーロ[18] [19] )を獲得した。2013年7月14日、ロシア・プレミアリーグ2013-14シーズンが開幕。2試合を消化した後に監督であったヒディンクは辞任をした[20] 。後任には同年6月27日から1年間の契約でアシスタント・コーチに就任したオランダ人のレネ・メウレンステーン[21] に決まったが8月初旬に関係は解消された。同年8月7日、アンジを3度にわたって率いたガジ・ガジエフが同クラブで4度目となる監督に就任することが発表された[22] 。
2013-14シーズン
2013年夏、アンジの幹部であるコンスタンティン・レムチュコフがTwitter で経営縮小、それに伴う予算削減に動くことを公表した。主に高年俸の選手が対象となりロシア代表 のイゴール・デニソフ とアレクサンドル・ココリン 、ユーリ・ジルコフ をFCディナモ・モスクワ に放出した。3人を合計した推定移籍金は4500万ユーロ(約58億5000万円)と伝えられている[23] 。ムバラク・ブスファ (推定移籍金1500万ユーロ[24] )とラッサナ・ディアッラ (推定移籍金1200万ユーロ)はFCロコモティフ・モスクワ へ[25] 、ウィリアン はイングランドのチェルシーFC に推定3000万ポンド(約46億1000万円)で放出した[26] 。これによりチームは一気に弱体化、2013年12月8日のウィンターブレイク時点で0勝8分11敗と未勝利、リーグ最下位に沈んだ。巻き返しを図るため、FCディナモ・モスクワ で控えに甘んじていたフョードル・スモロフ の復帰と、ディニャル・ビリャレトディノフ 、アレクサンドル・ブハロフ 、ウラジーミル・ビストロフ といったロシア代表 経験者を獲得し、ウィンターブレイク明けの緒戦となったFCルビン・カザン 戦 (1-0) で勝利し、シーズン初勝利を挙げるまで20試合を要した。その後はディナモ、FCテレク・グロズヌイ に圧勝したが、アウェーでは1試合も勝てず、最終戦を待たずにロシア・ナショナル・フットボールリーグ 降格が決まった。
2021-22シーズン
2022年6月3日、ロシアサッカー協会 はロシア・セカンドディビジョン (FNL2)でプレーするために必要なライセンスをアンジに与えないという決定を下し、これによりアンジはプロクラブとしての地位を失った。クラブは声明を発表し、その中でファンに謝罪すると供に、クラブが「いつか」戻ってくることを望んでいると明かした。最後の試合は2022年6月5日に行われ、アンジはFCロートル・ヴォルゴグラードに4-0で勝利した。マハチカラに本拠を置く別のクラブ、FCディナモ・マハチカラ は、その3日前にFNLへの昇格を確保した。
タイトル
国内タイトル
国際タイトル
なし
過去の成績
ロシア
シーズン
ディビジョン
順位
試
勝
分
負
得
失
点
国内カップ
欧州カップ戦
1992
3部 (Zone1)
5位
38
23
2
13
77
46
48
-
-
1993
1位
38
27
1
10
98
31
55
ベスト128
-
1994
3部 (西)
10位
40
19
5
16
57
41
43
ベスト256
-
1995
7位
42
24
4
14
47
43
76
ベスト32
-
1996
2位
38
28
3
7
99
36
87
準々決勝敗退
-
1997
2部
13位
42
18
6
18
66
72
60
ベスト32
-
1998
12位
42
17
6
19
47
56
57
ベスト64
-
1999
1位
42
26
8
8
55
20
86
ベスト64
-
2000
プレミア
4位
30
15
7
8
44
31
52
準々決勝敗退
-
2001
13位
30
7
11
12
28
34
32
準優勝
-
2002
15位
30
5
10
15
22
42
25
ベスト16
UC
1回戦敗退
2003
2部
6位
42
19
13
10
52
33
70
準決勝敗退
-
2004
8位
42
16
12
14
50
53
60
ベスト32
-
2005
11位
42
14
13
15
47
48
55
ベスト64
-
2006
15位
42
15
8
19
57
66
53
ベスト64
-
2007
10位
42
16
9
17
41
44
57
ベスト32
-
2008
6位
42
20
12
10
63
35
72
ベスト64
-
2009
1位
38
21
12
5
61
31
75
ベスト32
-
2010
プレミア
11位
30
9
6
15
29
39
33
ベスト16
-
2011-12
5位
44
19
13
12
54
42
70
ベスト16
-
2012-13
3位
30
15
8
7
45
34
53
準優勝
EL
ベスト16
2013-14
15位
30
3
11
16
25
42
20
ベスト32
EL
ベスト16
2014-15
2部
2位
34
22
5
7
60
22
71
ベスト32
-
2015-16
プレミア
13位
30
6
8
16
28
50
26
ベスト16
-
2016-17
12位
30
7
9
14
24
38
30
準々決勝敗退
-
2017-18
14位
30
6
6
18
31
55
24
ベスト32
-
2018-19
15位
30
5
6
19
13
50
21
ベスト16
-
2019-20
3部(南)
15位
19
3
7
9
24
32
10
2回戦敗退
-
2020-21
3部(Group1)
6位
32
14
9
9
59
43
51
2回戦敗退
-
欧州の成績
1 セキュリティの懸念のために中立の会場(ポーランド )で1試合を行った。
歴代監督
歴代在籍選手
GK
DF
MF
FW
脚注
外部リンク