モシン・ナガン (ロシア語 :винтовка Мосина (Vintovka Mosina), Мосин-Наган (Mosin-Nagant))は、ロシア帝国 陸軍 少将 のセルゲイ・イワノビッチ・モシン とベルギー の銃器メーカーであるエミール・ナガン、レオン・ナガンのナガン兄弟 (英語版 ) が設計した五連発のボルトアクション 式小銃 。
1891年 にロシア帝国の制式小銃M1891 として採用される、単発式ボルトアクション小銃のベルダンⅡ型M1870 (英語版 ) を更新した[1] 。
1891年以来、3,700万丁以上が生産され[2] [3] 、歴史上最も大量生産されたボルトアクション軍用小銃の一つと数えられる。古い銃であるにもかかわらず、現在まで世界中に使用されている。
概要
モシン・ナガン小銃はM1891と同時に開発された7.62mm×54R 弾薬を使用する。この弾薬は開発国のロシアを初め、21世紀に至るまで多くの国に制式採用されており、モシン・ナガン小銃が長らく使用される一因ともなっている。[4]
最初に生産されたM1891モデルのリアサイト(照門 )はタンジェントサイトで、距離表尺の標示には、ロシア帝国独自の単位であるアルシン [注釈 1] が使われていた。全長は約130cmで、Gew88 やリー・エンフィールド など世界各国の同世代の軍用ボルトアクション小銃と比べて最も長い。
モシン・ナガン小銃の銃身のライフリングは右回りの4条で、ツイストレートは1:9.5インチまたは1:10インチ。5発の固定内蔵弾倉は、弾薬を一発一発に装填することもできるが、軍用では5発装の挿弾子 で装弾することが一般的だ。構造を可能な限りシンプルにすることに重点が置かれ、そのため、メカニズムは7つの部品で構成され、トリガー は3つの部品のみで構成された。[1]
モシン・ナガンの遊底 閉鎖には、前部にある2つのロッキングラグが使用される。遊底はロックされた時の3時の位置から、回転させてロックを解除したときの12時の位置まで、90度回転する。安全装置は遊底の後ろにあり、安全を確保するには、バネに逆らって安全装置を引き戻し、側面まで回転させる必要がある。発射準備を行うには、安全装置のノブを後ろに引き、垂直位置まで回転させる必要がある。遊底を取り外すには、遊底を最後方まで引き戻し、引っかかったと感じたら引き金を引くだけ。これにより、遊底が引っ掛かりを通り抜けて小銃から取り外すことができる。[5]
固定弾倉の底部には、ドアを下向きに開く留め具が付いている。これを外せば、小銃から弾倉を手動で取り出すことができる[5] 。弾倉は構造が単純の単列式で、装弾数は同じ五発ながら複列弾倉を採用したGew98 や有坂銃 などより長く、銃床から突出していて、外見上の特徴となっている。
銃剣 はスパイク型を使用。ロシア帝国軍 とソ連赤軍 では、銃剣は着剣状態で携行するため、鞘が付属しておらず、銃剣状態で射撃することが基本とされていた。照準も着剣状態に合わせて調整しているため、銃剣を外して撃つ場合、改めて調整し直さなければならなかった[6] 。この特徴から、銃剣と着剣機構を着脱しやすいように変更、あるいは削除するバリエーションもある。
21世紀の基準からすれば、モシン・ナガン小銃は古い兵器である。オリジナルモデルの全長は長く、銃床の人間工学は不便で、安全装置の操作は面倒、引き金 のトリガープルは長い。すでにマウント(照準器取付基台)が設置された狙撃銃 仕様を除けば、光学照準器の装着は困難。遊底 のロックはタンバリン のようにガタガタ音を立てる。しかし、モシン・ナガン小銃とその弾薬は両方とも、過酷の条件下でも確実に機能する。また、素指で30秒内に分解して組み立てるが可能だ(かつてこれはフィンランド軍 兵士が基地内夜間休暇を取得するための必須条件だった)[7] 。モシン・ナガン小銃は19世紀から様々な国の軍隊で使用され、現在に至るまで世界規模の紛争で引き続き使用されていることは、適切に更新されればその有用性が永続することを示している[8] 。
1938年、日本陸軍画報社 が発行した文書は、当時ソ連赤軍が使用するM1891/30モデルのモシン・ナガン小銃とその狙撃型の射撃性能について、次のように評価した(原文を要約):
赤軍現用の一九三〇式小銃を使用する熟練射手は一分間に一〇発から一二発を発射します。弾道の低伸が大きな力を有っております。四〇〇米以内の射程ではその弾道下にある一切の目標を、七〇〇米以内では立姿の高さにある一切の目標を殺傷します。 赤軍狙撃兵の眼鏡照準器付小銃は、一〇〇〇米以上の射距離でも精確なる射撃によって重要目標、例えば敵の指揮官、機関銃手、観測手、連絡兵を殺傷する独立射撃を行ふことができます。眼鏡照準器は特殊光学硝子を有する円筒と照準装置から作られており視力を増大して照準をたやすくするばかりではなく、薄暮や月明でも使用できます。赤軍の指揮官はこの価値を認めて、上海戦 の時家屋や家根裏にかくれた支那 (中国)の狙撃兵はこの銃で日本軍に大きな損害を与えたと言っております 。[9]
M1891とスパイク銃剣
M1891とスパイク銃剣
遊底と機関部を銃床から分解した状態。簡素な引き金機構が見て取れる。
モシン・ナガン小銃機関部図解
モシン・ナガンの
遊底 。1=ボルトハンドル、2=ボルトヘッド、3=ボルト本体、4=コッキングピース。遊底を操作する時、1と2は回転するが、3と4は回転しない。4は安全装置を兼ねて、引っ張って側面まで回転すれば安全状態となる。
制式名称
採用当初、制式名称は口径にちなんで「スリーラインライフル Model 1891」(ロシア語 :трёхлинейная винтовка образца 1891 года)と名付けられて、通称「スリーラインライフル」と呼ばれる。(英語 :Three-line rifle、1900年代の日本語文献では「三リーニヤ銃[10] 」または「三線銃[11] 」と翻訳された)ここのラインはロシア語で「リニヤ 」(Линия)という古い単位で、1ラインは0.1インチ、3ラインは0.3インチとなる。ミリメートルに換算すると、 3ラインは7.62 mmとなる。[1] [12]
ロシア軍は新型小銃の開発トライアルに当って、(ドイツ小銃試験委員会 と類似する)「小口径小銃試験品開発委員会(Комиссия для выработки образца малокалиберного ружья)」を設立した。委員会がトライアルの最終段階まで残ったモシン大尉(当時)とナガン社(以下、「ナガン」と称する)が別々と提出した小銃設計を評価した結果、モシン大尉の単純で堅牢かつ低コストの基礎設計に、ナガンが開発した挿弾子と弾倉の形など装弾に関する設計、そしていくつか委員会メンバー自身の意見を加えて、新型小銃の設計を決めた。[1] [3]
このため、命名と権利について暫く揉めた。自分の設計と関連する特許を取得したナガンはロシア軍に対して訴訟を起こして権利金を要求した。ロシア軍は反発したが、後にナガンM1895 拳銃を開発したナガンとの関係を維持するため、トライアル勝者とされるモシン大尉が受け取った金額に相当する20万ルーブルを支払った。最終的にロシア皇帝アレクサンドル3世 の決断で、モシンとナガンの名前は冠名されず、「スリーラインライフル Model 1891」の制式名称が決められた[1] 。モシンは軍で昇進を重ねて、小銃開発の功績で軍からも表彰された。その一方、ナガンはこの小銃について自分の功績を宣伝したため、「モシン・ナガン」の通称は西欧の新聞に掲載されるようになった[3] [13] 。
ソ連では1924年以降、この小銃は正式に「モシン・ライフル」と名付けられたが、「モシン・ナガン」の名はこの小銃の俗称に止まり、公式に使用されていない。また、いくつの発展型は公式で依然に単なるモデル番号で呼ばれる。[1] [13]
機構の特徴
20世紀前半に渡って交戦していたGew88 とGew98 、有坂銃 など同期のボルトアクション 連発軍用小銃と比較する場合、モシン・ナガンの遊底機構の最大の特徴は、ベルダンⅡ型M1870小銃から継承した、排莢口にある、ボルトハンドルと一体化されて、ロッキングラグとしても機能する大きなボルト本体の凸部である[14] [15] [16] 。これはGew71 、村田銃 など一世代前の単発ボルトアクション銃によく見られる構造だが、モシン・ナガンの遊底はボルトヘッドに新世代の小型ロッキングラグを備えたながら、この構造を予備ロッキングラグとして保留した。この古くて単純な設計は製造コスト削減、過酷の運用環境下でも確実に機能して遊底閉鎖の堅牢性を実現する一方、ロッキングラグが機関部 の構造体と接触する面積は広くて摩擦力 が多くなり、しばしば「モシン・ナガン小銃の遊底は操作しにくい」と指摘される要因となる[17] 。特に遊底や薬室 の加工精度が悪い、長期保管のためにパーカー処理 を受けた、潤滑油 ・防錆油 が低温で凍結または経年劣化して固着しているなど場合、この問題が顕著になりやすい。とはいえ、通常にこの問題は遊底と薬室を掃除して部品を磨くことで改善できる。 (ただし、高圧ハンドロード 弾薬を使用する場合、これは過剰な圧力の兆候である可能性がある)[18]
また、光学照準器 を運用する場合、排莢口にあるモシン・ナガン式ボルトハンドルは光学照準器またはそのマウントと干渉しやすい。ソ連とフィンランドが開発したモシン・ナガンの狙撃仕様には、ボルトハンドルを曲がり、マウントを排莢口を避けて固定するなど、この問題点を克服するための工夫が見れらる。これは現代にボルトハンドルが遊底尾部に位置するモーゼル式機構が主流となっている理由の一つでもある、
ベルダンⅡ型M1870小銃からは2ピースの遊底構造も継承している。2ピースの遊底構造自体は19世紀末期のボルトアクション銃器にそう珍しくなく、ほぼ同時期で設計されたGew88[19] とルベルM1886 [20] の遊底も2ピース構造であるが、制式化された僅か数年後に登場するGew98と有坂銃は、現代で主流となっている1ピース構造のモーゼル式遊底構造を採用した。
ボックスマガジン におけるリムド弾薬 が次弾と引っ掛かる「リムロック (英語版 ) 」(Rim Lock)と呼ばれる進弾不良と、二重装填の問題を防ぐため、同期の他国小銃であまり見られない機関部の壁に固定される、弾倉への進入角度を調整する装弾誘導器(フィーダー・ガイド)と進弾断続器(インターラプター)を兼ねる多目的蹴子(エジェクター)を採用したことはもう一つの特徴である[14] [15] [16] 。この構造もまた蹴子の構造強度と機能の確実性を確保すると同時に、機能させるには力を要するため、「モシン・ナガン小銃の装弾や抽筒排莢は困難」と指摘される要因となりやすい[17] 。これ以降、装弾誘導器と進弾断続器の機能こそないが、排莢口の直後に位置して、遊底ではなく機関部の壁に固定される頑丈な蹴子は、長らくSKS 、AK-47 、SVD などロシア製軍用小銃の特徴となっている[21] 。
連発ボルトアクション銃器の中でも比較的特殊な構造を採用し、欠点もあり、低コストで実現できる頑丈さより操作のスムーズさを重視することが一般となっている現代のボルトアクション銃器に、モシン・ナガン式機構が採用されることは稀となっている。その一方、1891年以来、様々な発展型が作られたにもかかわらず、ボルトハンドルを曲がる以外モシン・ナガンの遊底機構と装弾機構だけは殆ど変わらない。銃床、銃身、照準器、引き金など他全ての部品を新しい物に変更しても、遊底、機関部と弾倉をほぼそのまま使用する改修型は多い[22] [23] [24] 。一部の1890年代で製造された機関部の部品が、2020年代までフィンランド軍の現役狙撃銃に使用されている[25] 。
特筆すべきことに、ボルトハンドルの構造強度は高く、手動だけでは遊底機構を作動できない場合、ハンマー などでモシン・ナガンのボルトハンドルを叩いて強引に作動させる応急処置は実射の現場で時々見られる。[26] [27]
遊底開放状態のモシン・ナガン小銃。
遊底開放状態のモシン・ナガン小銃、不明瞭ながら装填された実包の左上に進弾断続器を兼ねる蹴子が見える。
1905年時点で制式使用中の諸国軍用小銃構造図解、左上はモシン・ナガン小銃。
PEM型照準眼鏡付狙撃仕様を使用するソ連狙撃兵
ヴァシリ・ザイツェフ 。照準器マウントは銃の左側面に固定されている。
フィンランドが開発した、ドイツ製照準眼鏡付狙撃仕様M39-43。照準器マウントは排莢口の前に固定されている。
生産
モシン・ナガン小銃の最も生産された主要な型番は、ロシア帝国時代で製造されたM1891モデルと、ソ連 時代で改修・製造されたM1891/30 モデル。他にも多くの発展型が存在する。[28] [29]
M1891モデル世代には、歩兵用小銃、騎兵用に10cmほど短くなったドラグーン 騎兵銃 、ドラグーン騎兵銃と同じ長さだが着剣できないコサック 騎兵銃の3種類があった。[11] [30] また、後方要員向け短縮化カービン 型のM1907モデルは1907-1914年間だけ少数生産された[31] 。
M1891/30モデル世代は、主に歩兵用小銃と、短縮化カービン型のM1938、M1938に折り畳み式スパイク銃剣を追加したM1944の3種類があった。また、歩兵用小銃型から改修した狙撃銃型も第二次世界大戦中に広く使用されていた[28] [29] [32] 。
1938年の日本語文献に記載されるM1891/30と狙撃銃型の図解[9] 。図中の狙撃銃型は1940年以前で生産されたPEまたはPEM照準眼鏡付[33] 。 M1891の採用直後はロシア帝国の依頼により、フランス の国営シャテルロー造兵廠 (英語版 ) で約50万丁が生産された[1] [6] [28] 。のちに国産化され、トゥーラ 造兵廠、イジェフスク 造兵廠、セストロレック 兵器廠などの兵器工場で本格的に生産が開始された。[1] [28]
M1891はロシア帝国 からソビエト連邦 移行後の1920年代 まで生産され続けた。いくつかの改良が行われ、1924年 には、E.カバコフとI.コマリツキーが、剣留めをスプリング式リングに変更してグラつきを無くした。パンシンは照星覆いを開発し、装弾クリップも単純化し、距離表尺も頑丈なものに変更された。
1930年 4月28日 には、M1891騎兵銃型をベースに、全長を短縮し、距離表尺の標示をメートル法にし、コストダウンを施したM1891/30 が採用され、生産を開始した[6] 。既存のM1891も多数がM1891/30へと改修された。M1891/30は続いて主にトゥーラ造兵廠とイジェフスク造兵廠で1940年代末まで生産されていた[34] 。ソ連軍はM1891/30と共に、国産照準眼鏡と狙撃銃型を開発・運用し始めた。
第一次世界大戦中、ロシア帝国が国内生産数の不足を補うため、アメリカのニューイングランド・ウエスティングハウス 社とレミントン 社とそれぞれ180万丁と150万丁のM1891の生産契約を締結した[6] 。レミントン社もこの頃はウィンチェスター社と同様にロシア軍に弾薬を供給していた。これら契約はロシア革命 により完全に履行されず、革命以前でロシア帝国軍に交付した47万丁を除けば、すでに生産した数十万丁はアメリカ国内に取り残された。アメリカ政府は代金は支払われず破産の危機に瀕した両社を救済するため、ロシア内戦 中の白軍 に売却した一部を除けば、原価で残った分を購入した。アメリカ政府は購入したM1891小銃の一部を、白軍とチェコ軍団 に供与し、または協商国のロシア内戦への介入 に派遣されたアメリカ遠征部隊に支給した[35] 。他に少数は訓練目的に使用されたが、大半は使い道が見つからず、後に民間市場に売却された[28] 。[36]
第一次世界大戦後にロシア帝国から独立したフィンランド もモシン・ナガン小銃の主な使用国として知られる[28] 。フィンランドは独立の際で国内に保管されているロシア軍のモシン・ナガン小銃を押収しただけではなく、直後に起きるフィンランド内戦 とソ連との緊張な関係を対応するため、大戦中でドイツ帝国 とオーストリア帝国 がロシア帝国から鹵獲した余剰モシン・ナガン小銃、戦後に戦勝国のフランス とイタリア などが戦争賠償として接収した前述の鹵獲小銃をも輸入した[37] 。フィンランド政府は、銃器の調達費用を抑えるため、「物々交換 」に近い形で、鹵獲品や援助で受け取ったモシン・ナガン小銃以外の銃器と弾薬を輸出する代わりに相手から不要のモシン・ナガン小銃を輸入する三角貿易 を積極的に行った。一例として、1928年にフィンランドは日本の三十年式 、三十五年式 、三八式 など有坂銃 8,170丁と銃剣4,800本を武器商人経由でアルバニア に送り、チェコスロバキア とルーマニア の鹵獲品銃剣付きモシン・ナガン小銃13,000丁を報酬として受け取った[37] 。フィンランドが獲得したモシン・ナガン小銃は、 状態が「使える」ものから「部品取り」のものまで様々だった。余剰部品が豊富となるにともなって、それで「新しい」小銃を製造し始めた[38] 。[39]
フィンランドは手持ちのM1891モデルを基に、複数の発展型を独自に改修・製造し、最終的には1970年代までモシン・ナガン小銃を生産していた[34] [22] 。フィンランド製モシン・ナガンの殆どは、寄せ集めたオリジナルM1891から取り出したコア部品の機関部 と遊底 を基に、新しい銃身、銃床、照準器 などの部品を組み合わせて作り出した銃であった[22] 。1930年代末、フィンランド軍は独自仕様のM/39小銃と共にモシン・ナガンの命中精度を向上させる独自規格の7.62×53mmR (英語版 ) 弾を導入したが、それ以降のフィンランド製モシン・ナガン小銃は依然として従来の7.62×54mmR弾薬を発射できる[40] 。継続戦争 まで、フィンランド国内には国産光学照準器の生産能力不足と設計不良により、狙撃銃型は僅かしか生産されず、戦時中にドイツから輸入した光学照準器や鹵獲したソ連狙撃銃から取り外した光学照準器も数少ないため生産数は増えなかった。代わりに鹵獲品のソ連狙撃銃をそのまま使用するフィンランド兵士は多かった[41] 。そのような事情から、フィンランド軍はモシン・ナガン小銃のアイアンサイトの改良に拘り[22] 、また、シモ・ヘイヘ を代表とする当時の信頼性が低い光学照準器を嫌うフィンランド兵士もいた[42] 。第二次世界大戦後、より優れた光学照準器が普及し、複数の近代化改修された競技用と狙撃銃型のモシン・ナガン小銃が開発・運用されていた。特に、製造に使用されている部品の一部は1890年代まで遡るTkiv 85 (英語版 ) 狙撃銃型は2020年代までフィンランド軍に配備されていた[25] 。フィンランド製銃器の中、不完全ながら10万丁以上の運用記録が残されており、2024年時点でそれら銃に行われた修理や改造、参加した戦闘、優勝した射撃競技に関する歴史情報を追跡調査するインターネットサービス「Mosin.fi」は提供されている[43] 。
諸国で生産されたモシン・ナガン小銃の刻印例
フィンランドと同時期にロシアから独立したエストニア もロシア帝国から大量のモシン・ナガン小銃を継承しており、1920年代末、エストニア防衛連盟 (エストニア語 :Kaitseliit)がフィンランド製M/28-30モデルのモシン・ナガン小銃を受領し、さらにフィンランドから技術提供を受けていくつかの発展型をソ連に占領されるまでに生産していた。[44]
第一次世界大戦後に独立を回復したポーランド はポーランド・ソビエト戦争 で大量のモシン・ナガン小銃を鹵獲したため、1920年代にドイツGew98 小銃に準ずるModel 98a小銃を採用した後、保有するモシン・ナガン小銃を7.92×57mmモーゼル弾 を使用するKarabinek wz. 91/98/23 (英語版 ) とその発展型に改修した。
第二次世界大戦後、ポーランドを含めて、共産党に赤化 されたチェコスロバキア 、ルーマニア など東欧諸国と中国 は、ソ連から技術提供を受けてモシン・ナガン小銃を1950年代までに生産していた。[28] [34]
21世紀において、軍用型の完全新造はほぼなくなったが、通称「フロロフカ 」のスムースボア猟銃 か.22LR 口径に変更されるなど民生用銃器としての派生型の生産は続いている[45] 。また、大量のモシン・ナガン小銃が軍用・民生を問わず使用されているため、改修用部品は製造され続けている[46] 。
軍事運用歴史
1877年-1878年の露土戦争 で、オスマン帝国軍 のM1866 ウィンチェスター連発銃 と交戦し、黒色火薬 の弾薬を使う単発式ベルダン小銃の性能限界を感じたロシア軍は、1889年に新型小銃と弾薬の開発を開始した。
1891年 、「スリーラインライフル Model 1891」、後に通称「モシン・ナガン」の小銃と、発射薬に無煙火薬を用いる7.62x54mmR弾が制式化された。[1] [3]
1893年 、パミール高原 でのロシア軍小規模偵察部隊とアフガニスタン 軍の衝突で新型小銃は初めて実戦でテストされた。[47]
1900年 に起きた義和団の乱 で、初めて大規模戦闘に実戦投入された。[48] [49]
1904年 の日露戦争 時、ロシア軍には約380万丁のモシン・ナガン小銃が導入され[1] 、日本軍の有坂銃 と銃火を交えた。前線に行き渡る新型小銃の強力な性能と高初速弾により、ロシアの小銃兵は500ヤード(約450m)近く離れた標的と交戦することができて、新世紀の戦場の危険区域が劇的に増加した[50] 。戦争中に日本軍は10万以上のロシア銃器を鹵獲した。これらロシア銃器は日本軍によって旅順港 に保管され、後のシベリア出兵 で鹵獲した分を含めて1920年代後半から1930年代前半にかけて再び使用された。1931年に日本が満州を占領した 後、日本軍は親日の中国武装勢力にモシン・ナガンを含む大量の小銃を供給した。また、正確な時期は不明だが、おそらく1937年から1942年の間、日本軍は鹵獲小銃の一部を訓練用単発小銃に改修した。[37]
1914年 で開始した第一次世界大戦 でもロシア軍の主力小銃として使用されていた。当時、流通していたモシン・ナガン小銃は約450万丁だったが、需要全体を満たすには程遠かった。そのためロシア政府は増産と国外発注と共に、不足分を輸入品のウィンチェスター M1895 小銃と、やや威力の劣る日本製の有坂銃 で補充することにした[1] 。大戦中に大量のモシン・ナガン小銃はドイツ帝国軍とオーストリア帝国軍に鹵獲され、鹵獲小銃の一部は、二線級部隊に支給され、あるいはトルコ など他の中央同盟国 に供与した[37] 。
1918年11月20日、ロシア、アルハンゲリスク 。北ロシア介入軍 (英語版 ) の指揮官、イギリスのエドムンド・アイアンサイド 将軍の視察を受ける、モシン・ナガン小銃を装備したアメリカ陸軍第339歩兵連隊 (英語版 ) 。
1917年 、ロシア革命 が勃発すると、ロシア帝国の大口発注を受けたが生産費を回収できない製造会社を救済するため、アメリカ政府に購入された米国製モシン・ナガン小銃の一部は、協商国のロシア内戦への介入 に投入され、白軍 、チェコ軍団 、アメリカの北ロシア遠征部隊 (英語版 ) などに使用された。また、鹵獲品の形で赤軍 の手にも渡された。[35] [36]
革命と内戦で混乱状態となった戦間期 に、ロシア革命を起因とするロシア内戦 、フィンランド内戦 、ポーランド・ソビエト戦争 、シベリア出兵 など一連の紛争で多数使用されて、亡命した白系ロシア人 と共に東欧諸国、モンゴル 、中国 にも流入した[37] 。さらに、ソ連政府は中国内戦 とスペイン内戦 の際、当地の武装勢力にモシン・ナガン小銃を大量に輸出した[51] [52] 。
モシン・ナガン小銃から改造されたオブレズ・ピストル。(遊底 は失われた) また、戦間期の混乱と治安悪化により、ロシア語で「オブレズ」(Обрез、英語:Obrez)と呼ばれる、隠匿携帯しやすくようにモシン・ナガン小銃の銃身と銃床を切り詰めるソードオフ 改造拳銃が東欧に出回り始める。特にソ連ではオブレズ・ピストルのイメージがあまりにも広がっているため、内戦、第二次世界大戦、組織犯罪に関する映画には必ず登場すると認識されていた。[53]
1939年 から1945年 まで行われた第二次世界大戦 、各自に開発した発展型モシン・ナガンはソ連赤軍とフィンランド軍の主力小銃として大量に使用されて、生産が最盛期を迎えた。大戦の一部であり、冬戦争 と継続戦争 からなるソ芬戦争 で、両軍はともにモシン・ナガン小銃を用いて激戦を繰り広げた。独ソ戦 でソ連軍は狙撃銃型を広く使用していて、モシン・ナガン狙撃銃を使うソ連狙撃兵と関わる多くの伝説が生まれた[1] [54] 。ドイツ国防軍 も多数鹵獲したM1891とM1891/30に独自の名称を与えた。ただし、M1891モデルは標示にアルシンが使われていたため、自軍では使用していなかったが、ドイツ本国が危うくなった1944年 から国民突撃隊 に交付されるようになった[6] 。
1945年 、第二次世界大戦終結直前に、半自動小銃 のSKS がソ連軍の主力小銃として採用され、置き換えが開始された。1949年 には、革新的な自動小銃であるAK-47 への更新が進められ、1950年代になるとSKS共々、第一線の歩兵部隊では使用されなくなっていった。
第二次世界大戦後、モシン・ナガンは時代遅れになりつつあったが、その後も何十年にもわたり東側諸国 および世界の他の地域で使用され続けた。モシン・ナガン小銃は、朝鮮半島 やベトナム からアフガニスタン 、ヨーロッパの鉄のカーテン 沿いまで、冷戦の多くの戦線で使用された。予備の備蓄としてだけでなく、前線の歩兵兵器としても保管されていた。
1989年 まで続いた冷戦 の中、ソ連、中国、東欧諸国から軍事援助を受けたほぼ全ての国が、さまざまな時期にモシン・ナガンを使用した。ソ連の影響圏内の中東諸国(エジプト 、シリア 、イラク 、アフガニスタン、パレスチナ の戦闘員)は、他のより近代的な武器に加えてモシン・ナガンを受け取った。[55] 歩兵用小銃としては旧式化が進行していたため、次第に主に狙撃銃として使用されるようになっている。
1951年 春以降、朝鮮戦争 の戦線が38度線 の山岳地帯付近で安定し、両軍は理想的な狙撃地である広い谷を見下ろす高台に陣取ったため、狙撃戦が広がった。モシン・ナガンの狙撃銃型は、北朝鮮人民軍 では限定的に使用されたが、中国人民志願軍 で広く使用された[56] 。
1975年 まで続いたベトナム戦争 において、米軍が軍事介入していた時期に、ベトコン 側の狙撃兵達がモシン・ナガンを使用し、米軍と南ベトナム軍 に対して大きな脅威を与え、米軍側の狙撃兵達と高度な狙撃戦を展開していたことは特に知られている。米軍狙撃兵を狩る北ベトナム軍 狙撃兵「コブラ」、ベトコン女性狙撃兵隊長「アパッチ」 (英語版 ) などの伝説も米軍狙撃兵カルロス・ハスコック らによって流布されている[57] [58] [59] [注釈 2] 。1970年4月1日、米陸軍第199歩兵旅団 (英語版 ) の指揮官ウィリアム・R・ボンド (英語版 ) (William R. Bond)准将はベトコンの狙撃で致命傷を受け、ベトナム戦争中に死亡した5人目の米軍将官となった[60] [61] [62] [注釈 3] 。
1978年 で開始したソ連アフガニスタン戦争 では、アフガニスタンに侵攻したソ連軍はモシン・ナガンをSVD [注釈 4] [63] が前線に配備される1982年春まで狙撃銃として運用していて[64] 、後に共産主義政権のアフガニスタン軍に供与した。ムジャーヒディーン 軍もまた、モシン・ナガンを手に入れ、ソ連軍が撤退した後、続いて1980年代後半から1990年代の内戦 中にモシン・ナガンを使用し続けた。[65] 。21世紀に入り、アフガニスタン紛争 (2001年-2021年) において、米軍の支援を受けた共和国政権のアフガニスタン国軍 は、モシン・ナガンを訓練用及び儀仗銃として使用した。一方、反政府勢力であるターリバーン の一部は、モシン・ナガンを実戦に使用し、当時最新鋭のM4カービン 銃を標準装備としていて通常の射撃戦では優位に立てる米軍を悩ませた。一時期、兵士が明らかに練度が高い狙撃によって負傷または殺害される事件が相次ぎ[66] 、米軍は対狙撃戦闘強化の対応に追われた[67] 。装備と訓練において米軍に劣るアフガニスタン国軍にとって、ターリバーン狙撃兵の存在は更なる脅威となっていて、推定500-700メートルの距離からの狙撃により、銃弾が首に当たって戦死した兵士の例も確認された[66] 。[注釈 5]
2011年 から始まるシリア内戦 にも狙撃銃として使用されている[68] 。シリアの反政府勢力 は装備が不足しているためにモシン・ナガン狙撃銃を使用しているとすれば、シリア軍 はより優れた最新の狙撃銃を持っているにもかかわらず、その大きな利点のために依然としてモシン・ナガン狙撃銃を使用している。モシン・ナガン狙撃銃の技術的および戦術的スペックは、同口径の現代狙撃銃に匹敵するものではないが、シリア軍が使用しているより近代的なドラグノフSVD やMTs-116M (英語版 ) など狙撃銃は、モシン・ナガンよりも重量があり、ファインダーを備えた複雑な照準機構を持っていて使用するには訓練が必要のため、すべての部隊に支給するに適さない。またモシン・ナガンはSVD狙撃銃やPKM機関銃 と同様の標準的な7.62x54mm弾を使用するため、弾薬の供給はシリアでは大きな問題ではない。そのため、モシン・ナガン狙撃銃の一見時代遅れの設計は、シリア都市部の戦闘環境でうまく「生き延びる」のに役立ち、シンプルな構造、高い信頼性と精度を備えた強力な狙撃銃と考えられるようとなっている。[69]
2022年ロシアのウクライナ侵攻 の際、ロシアは広範な総動員の一環として、ドンバス両占領地域の徴集兵と徴兵されたロシア民間人にモシン・ナガン小銃を支給した[70] [71] 。これらの小銃は、マリウポリ の検問所でロシアの支援を受けた分離主義民兵によって使用されることは確認された。より高度な兵器との際立った対照を示しているが、直接戦闘に参加する可能性は低く、それでも銃器を必要とする人員に配備することは実利的な戦略とも考察された[8] 。2024年7月3日、ウクライナ軍陣地への攻撃に参加し、反撃を受けて亡くなったロシア軍兵士の一人が狙撃仕様のモシン・ナガンを装備していたことが、それを証明する写真と共にウクライナのジャーナリストによって報道されて[72] 、狙撃銃としては最前線にも配備されたと思われる。2024年まで、主に親ロシア派分離主義民兵、ワグネル・グループ の傭兵、その他の準軍事組織によって使用されていたが、ロシア軍の正規部隊や、少数ながらウクライナ軍 での使用も確認された[73] 。
民生運用
ソ連/ロシアでは、銃剣を取り除いた軍放出品の余剰モシン・ナガン小銃が民間の猟銃またはスポーツライフル銃として販売されている。また、モシン・ナガンの機構は、限られるながら市販民生銃器の製造にも使用されており、最も有名なのは、1960年代と1970年代にヨーロッパに輸出されたボストーク(Vostok)ブランドのターゲットライフルで、標準の7.62×54mmR弾と、長距離標的射撃用に設計された元の弾薬のネックダウンバージョンである6.5×54mmR弾を装填している。6.5×54mmRライフルは、国際オリンピック委員会 が競技規則を改訂して射程距離を50メートルに短縮し、すべての競技者に.22LR口径のライフルの使用を義務付けるまで、ソ連のオリンピックバイアスロン チームの標準ライフルでした。
戦間期に米国国内に残されたウェスティングハウス社とレミントン社製M1891の一部は、米国政府から民間射撃プログラム (英語版 ) を通じて米国の民間人に販売された。ミリタリー用品卸売業者フランシス・バナーマン・アンド・サンズ社(Francis Bannerman and Sons)によって使用口径を米国の.30-06スプリングフィールド弾 に改造されたモデルも市場に出回っている。[36] [75]
冷戦終結後 、東側諸国で予備兵器として保管されたモシン・ナガン小銃は自由市場に放出されて、7.62mm×54R弾と共にアメリカにも流入された。また、フィンランドも1970-1980年代に余剰となったモシン・ナガン小銃を米国市場に売却した[7] 。2010年代までに供給量が多かったため、価格は安く、アメリカの買い手はわずかなお金でモシン・ナガン小銃を手に入れる。米国が世界最大のモシン・ナガン中古市場[7] となるこの時期、モシン・ナガン小銃の民生需要が活発となり、メーカーはさまざまなアフターマーケット部品を生産し始め、使用者は高額を費やすことなくモシン・ナガン小銃をターゲットや狩猟用ライフル銃に改修できるようになった[55] 。その一方、あまりの安さと、米国に流通する物の大半を占める作りは粗雑で保管状態も悪いロシア製銃の鈍重の操作性から、「ゴミ棒」(The Garbage Rod)などの蔑称で軽蔑的に呼ばれることもある。しかし、何年も酷使された後でも、知識豊富な射手の手にかかれば、通常は非常に優れた性能を発揮する。[76] また、この頃に安価の中古モシン・ナガン小銃を購入して銃器のいろはを学んだ若い射手は多く、2020年代に入り、銃の価格上昇に伴って、年を取る彼らがモシン・ナガン小銃を歴史的視点から再評価する動きもみられるようになった[27] 。[注釈 6]
21世紀の基準で、その19世紀の設計と製造技術的制限から来る重量と人間工学設計は欠点となっており、モシン・ナガンは決して最高の狩猟用ライフルではないが、依然に実用的な狩猟用ライフルであり、射撃競技にもよく使用される。適切な狩猟用弾薬を使用すれば、モシン・ナガンは大型のヒグマ 、ハイイログマ 、ホッキョクグマ などを含める北米のあらゆる動物を効果的に仕留めることができる。本国ロシアでは、役割に適した精度で、最も大きなヘラジカ やヒグマまでを仕留める汎用狩猟用ライフルと見なされている。軍の余剰弾薬を使用した場合の精度は通常3-4MOA だが、これは軍用規格のモーゼル やスプリングフィールド小銃 、あるいは古典的な狩猟用ライフルと同等であり、適切な精度向上テクニックと良質の弾薬を使用すれば1MOA以下の精度で射撃できる。ほとんどの射手が、良い弾薬、光学機器、そして良いライフルを使用する場合、一貫して良い命中率を達成できる最大有効射程距離は約500ヤード(約450m)と考えられる。例外的に900ヤード(約820m)まで精度を上げる射手も居る。モシン・ナガンの弾丸は、1,000ヤード(約910m)離れた鹿 を殺すのに十分なエネルギーを持っている。[77]
ムーフロン-410(最上段)
かつてロシアでは、日本の古い村田銃 のように、軍から放出された余剰小銃の銃身をスムースボアの物に変更する、「フロロフカ 」(ロシア語: Фроловка)と呼ばれる民生用散弾銃 への改造は人気があった。口径としては、24/28/32番径などがよく見られたほか、16番径や20番径のモデルも比較的少数あった。1920年代、大量に残されていた老朽化した小銃の処分も兼ねていて、軍用モシン・ナガン小銃から改造した安価な猟銃はソ連に出回っていた。1980年代までにオリジナルのフロロフカはほとんど使われなくなっていたが、同種の銃は現在でも市場に流通している。2013年、かつてのフロロフカと類似する、モシン・ナガンのカービン型に基づいて、 1944年で考案された「パラドックス」タイプのドリル滑腔銃身を備えた「ムーフロン-410」(Муфлон-410)という、ライフルに近い命中精度を発揮できる特殊スラッグ弾を使う散弾銃[78] は発表されて、ロシアの銃規制でライフル購入に必要の5年の散弾銃所持経験がなかった射手の間である程度の人気を博した。後にライフル銃の法的定義に関するロシア連邦法の改正により生産中止されたが、すでに生産された物は依然に中古市場に流通している。[79]
TOZ-106の解説動画(ロシア語)
また、内部機構はモシン・ナガンと違うが、フロロフカの流れを汲む、20/28/32番径ボルトアクション散弾銃のMTs 20シリーズ (英語版 ) はソ連/ロシアで1960年代から製造・販売されていた。ソ連崩壊 で治安が悪化した1990年代、オブレズ・ピストルへの先祖返りを想起させる、20番径モデルのMTs 20-01を短縮して、折り畳み銃床、ピストルグリップと着脱式弾倉を備えたTOZ-106 (英語版 ) 短銃身散弾銃が発売されて、農家や長距離運転手などの害獣対策か自衛用銃器として好評を得た。[80] [81]
バリエーション
ロシア/ソ連製
M1891
ロシア帝国時代から使われている小銃、第二次大戦時もほとんどが現役。ドイツ軍の呼称名はGew252(r) 。
M1891 ドラグーンとコサック
M1891の騎兵銃型で10cmほど短い。前床・後床の側面にスリングを通す穴が空いている。この2つのモデル主な違いは、ドラグーン仕様は銃剣を装着した状態で照準が合わせられるのに対し、コサック仕様は銃剣が付属していない。[30]
M1907
砲兵など後方要員向けの短縮化カービン型。ドラグーンモデルよりも短く、前床・後床の側面にスリングを通す穴があり、銃身全体を木部で覆っている。着剣不可。反動や発射炎過大などの問題点が報告されて、さらに標準仕様小銃の需要が高まったため、第一次世界大戦が始まる1914年に生産中止された。[31]
M1891/30
ソ連時代で再設計したM1891ドラグーンをベースにした改良型。全長の短縮化、機関部の形を六角型からより製造しやすい丸型に変更する[注釈 7] など簡略化やコストダウンが図られ、距離表尺の標示がメートル法に改められた。狙撃銃 としても使用された。ドイツ軍の呼称名は歩兵小銃型がGew254(r) であり、狙撃銃型は7.62mm ZielGew256(r) 。
M1891/30 狙撃銃型
ソ連軍は狙撃銃型に独自な型番を与えていなかった。外見上の特徴は、工場から出荷された時にすでに曲がったボルトハンドルと照準眼鏡マウントを備えたこと。
狙撃銃型は標準装備の歩兵銃型よりも厳格な基準で製造された。初期の生産期間(1920年後半の試験から1934年まで)に、狙撃銃型の製造は、工場で射撃精度が検査された歩兵銃型の中で特に優れた個体の引き金を再加工する方法を用いた[83] 。1934年以降に工場が別の生産ラインで狙撃銃用銃身の生産を開始し、狙撃銃型はより高い精度とより小さな許容差 で製造された[84] 。
アイアンサイトは保留されており、一般的な歩兵銃型の照準ゼロインは着剣状態を前提にしているが、狙撃銃型のアイアンサイトは着剣なし状態に合わせている。狙撃銃型の照準眼鏡は固定弾倉の直上に設置されているため、挿弾子で上から装弾できなくなり、弾は一発ずつしか装填できない[注釈 8] 。[32]
狙撃銃型に装着する光学照準器は、1931-1940年に生産された3.87×30 PE型照準眼鏡 (英語版 ) [注釈 9] 、前者を簡略化し1936-1940年に生産されたPEM型照準眼鏡[33] [注釈 10] 、そして1940年以後に生産された3.5×21 PU型照準眼鏡 (英語版 ) に分けられる。PU型照準眼鏡は元々SVT-40半自動小銃 向けに設計された物だったが、1942年秋からはモシン・ナガン狙撃銃型にも装着されている[注釈 11] 。モシン・ナガン用に新しく設計されたPU型照準眼鏡マウントがアイアンサイトの照準線を避けたため、照準眼鏡下からもアイアンサイトで照準を定める[85] 。PU型照準眼鏡はより軽量かつ低コストで実用性もPEまたPEM型と殆ど差はなく、最も量産された[83] [86] 。大戦後にも14.5mm KPV重機関銃 と23mm ZU-23-2機関砲 などの運用に生産されていた[87] 。
PU型狙撃銃仕様の量産は1944年後半に中止され、最後のロットの組立は1945年初頭で完成された。例外的に1947年に約1200丁が再生産された[85] 。大戦後にポーランドとユーゴスラビアはソ連製PU型狙撃銃を使用するため、手元の銃を修理および改修した。冷戦時代でソ連の部品を使用せずに完全に新しいPU型狙撃銃を量産した唯一の例は、ハンガリーが1952年から1954年に製造したM/52であった。[86]
少なくとも約185,000[83] -363,000丁[88] の狙撃銃型が製造されたと考えられたが、冷戦時代のソ連の秘密主義、多数の衛星国による銃器の改修と再製造、そしてソ連崩壊した以来の混乱状態のため、狙撃銃型の正確な生産数は把握しにくいとなっている[83] 。[注釈 12]
M1938
M1891/30をさらに短縮化したカービン型、着剣装置廃止。ドイツ軍の呼称名はKar453(r) 。.
M1944
M1938に折りたたみ式スパイク銃剣 を装備した改良型。ドイツ軍の呼称名はKar457(r) 。
M1891/59
戦後の1959年にM1891/30をM1938カービン銃に準ずる長さに短縮したモデル。M1938がカービン用リアサイトを備えているのに対し、M1891/59は、上限の射程距離の目盛りが削り取られたM1891//30のリアサイトが備えられる。銃剣が付属しておらず。
OTs-48
2000年代、トゥーラ造兵廠のスポーツおよび狩猟用武器部門が開発した近代化改修型。M1891/30の余剰在庫と部品を活用して、ロシア内務省 とその特殊部隊に安価な狙撃銃を提供し、また民生銃器としても売り出そうとする試し。7x PKS-07U照準眼鏡を標準的に使用し、暗視照準装置のPKN-30も使用できる。一部のロシア法執行機関 によって限定的に使用されている。[89] [90] [91]
OTs-48K
OTs-48をベースにしてブルパップ 狙撃銃に改修するモデル。少なくとも二種類が確認されて、遊底を前方からも操作できるように延長したモデルには連射速度の低下、精度への影響は出ると報告された。OTs-48Kへの改修は特別注文を受けて少量でのみ行われたと報道された。[89] [90] [91]
フィンランド製
M/91
M1891のフィンランド型番
M/91rv
M1891騎兵銃型のフィンランド型番
M/24
民間防衛隊フィンランド白衛軍 (英語版 ) が発案した初めてフィンランド国内で設計された、白衛軍の銃器工場SAKO(フィンランド語 :Suojeluskuntain Ase- ja Konepaja Oyの略称、「民間防衛隊の銃器と機械工場」の意、現SAKO社 (英語版 ) )による既存小銃を改修したモデル。古くなった小銃をレストア、引き金を調整し、新しい銃身を使用することで命中精度を向上させた以外、基本的にはM1891と同じ仕様[22] 。改修用にスイス の銃器メーカーSIG とドイツの三つの会社からなる製鋼会社組合ボラー・スタール(Bohler-Stahl)から銃身を輸入していて、一部の銃身にそれら会社の製造刻印がある。フィンランド国内では非常に著名であり、「ロッタ・スヴァルド 」(Lotta Svärd)として知られる女性補助部隊が銃器改修の資金集めに貢献したため、「ロッタキヴァール」(Lottakivaari)または「ロッタライフル」(Lotta's Rifle)という愛称を付けられた。[37] [92] [93]
M/27
フィンランド正規軍向け小銃。新しい国産銃身を使用する。銃剣は着脱しやすい新型の物に変更された。フロントサイトの防護金具がスピッツ犬 の直立した耳に似ていることから、スピッツ犬の耳を意味する「ピスティコルヴァ」(Pystykorva)というニックネームが付けられた。製造はTikkakoski社(Oy Tikkakoski Ab、現Tikka (英語版 ) ブランド、1983年SAKO社と合併した)。[94]
M/27rv
M27の騎兵銃型。銃身を短縮し、ボルトハンドルを曲がることで携帯性を向上させた。生産数は約2,000丁。戦争中にフィンランド軍は主にスオミ KP/-31 短機関銃で消耗された騎兵銃を順次更新したため、騎兵銃型は再生産されることはなかった[95] 。
M/28
フィンランド白衛軍向け小銃。
M/28-30
M28のアップグレード版。シモ・ヘイヘ 、スロ・コルッカ が使用。優れたアイアンサイトと命中精度は高く評価される。[22] [96]
白衛軍は銃器を製造・改修する資金を捻出するため、構成員が自費で資金を払えば小銃を自宅に保管・使用できる計画を実施しており、ヘイヘのような金を支払て自前のM/28-30小銃を獲得し、平時から愛用していたその銃で冬戦争 に参戦した兵士は多かった。[97]
1937年、フィンランド首都ヘルシンキ で開催されたISSF世界射撃選手権 大会のライフル競技に、白衛軍の銃器工場SAKOが製造した、シリアル番号 の前に「MM」という特別な表示が付けられる番号48791-49467までの特注品が使用された[注釈 13] 。大会後、優勝したフィンランドチームを率いて、個人金メダリストも獲得したオラヴィ・エロ(Kauko Olavi Elo) (フィンランド語版 ) が使用したシリアル番号49334の小銃はフィンランド狩猟博物館 (フィンランド語版 ) に保管された。他の小銃は白衛軍の在庫に戻されて、後の冬戦争に参加した。[96]
M/91–35
フィンランド軍が、正規軍のM/27と白衛軍のM/28およびM/28–30の両方を置き換えるために提案したモデル。白衛軍は、M91/35は精度が低く、発射炎が大きすぎるとして、この計画に強く反対した。結局採用されず、代わりにM/39に取って代わられた。
M/39
正規軍と白衛軍の意見を総合して、モシン・ナガンの生産を標準化するために採用されたモデル。多くのモシン・ナガン小銃専門家からは最高のモシン・ナガン量産型と見なされており[22] 、その中でも、SAKO製のものは最高中の最高と評価される[98] 。フィンランド独自の7.62×53mmR (英語版 ) 弾と共に導入したが、7.62×54mmR弾も使用できる[40] 。ペール・スヴィンヒュー 元大統領にちなんで「ウッコ・ペッカ」(Ukko-Pekka)という愛称で呼ばれる。冬戦争 の終結までに完成した小銃はわずか10丁だったが、冬戦争後に96,800丁が生産され、継続戦争 で使用された。1960年代後半から1973年にかけて、残った部品から少数が組み立てられ、総生産数は約102,000丁となった[22] 。
Pシリーズ
1926-1927年間に再施条された銃身の貯蔵品をM1891の機関部に付けた戦時生産型。銃身にP-26またはP-27の刻印があるためそう呼ばれている。制式型番ではなく、距離表尺の標示をメートル法に改修した以外、基本的にM1891と同じ仕様。少数ながらドラグーン騎兵銃型も存在する。冬戦争と継続戦争が激化した時期にしか製造されていなかったと考えられている。[99]
M/28–57
M/28–30をベースとした1957年改修仕様。CISM 300m標準ライフル競技用の軍用ターゲットライフル。[23]
M/27–66
M/27をベースとした1966年改修仕様。CISM 300m標準ライフル競技用の軍用ターゲットライフル。[23]
M/28–76
M/28–30およびM/28–57ライフルをベースとした1976年改修仕様。狙撃銃兼CISM 300m標準ライフル競技用のターゲットライフル。[23]
M/85
より包括的な近代化改修型。Tkiv 85 (英語版 ) 狙撃銃[25] とCISM 300m標準ライフル競技用のターゲットライフルの2つの派生型が製造された。Tkiv 85に使用されている機関部は、2020年代で欧州の軍隊で使用されている小火器の中ではおそらく最も古いもので、一部の部品は1890年代まで遡る場合がある[25] 。
フィンランド軍 M/91
フィンランド軍 M/91rv騎兵銃
フィンランド白衛軍 M/24
フィンランド軍 M/27
フィンランド軍 M/27rv
フィンランド白衛軍 M/28
フィンランド白衛軍 M/28-30
フィンランド軍 M/39
フィンランド軍 M/28–76
フィンランド軍 M/85
アメリカ製
U.S.マガジンライフル 7.62mm モデル1916
第一次世界大戦中、ロシア政府が米国の銃器メーカーに製造を依頼したM1891モデル。米国の収集家はこれらのライフルを「U.S.マガジンライフル 7.62mm モデル1916」( U.S. Magazine Rifle, 7.62mm, Model of 1916)と呼んでいるが、この呼称の正式な出典はこれまで示されていない。公式の文書で、これらのライフルは「Russian three-line rifle, caliber 7.62mm (.30 inches)」と記載される。[35]
エストニア製
M1933
または1891/33、エストニア軍の標準小銃。
M1938
M1933の派生型。
KL300
エストニア防衛連盟向け派生型。
M1935
M1933の短縮型。
ポーランド製
wz.1891
M1891のポーランド型番。
Karabinek wz. 91
M1891騎兵銃型のポーランド型番。
Karabinek wz. 91/98/23
使用弾は7.92x57mmモーゼル弾 になっており、モーゼルGew98 のストリップ式クリップがそのまま使用できる。略称はwz. 91/98/23
Karabinek wz. 91/98/25
Karabinek wz. 91/98/23の改良型。装着できる銃剣がGew98のSeitengewehr 98になっている。略称はwz. 91/98/25
Karabinek wz. 91/98/26
Karabinek wz. 91/98/25の改良型。略称はwz. 91/98/26
wz.1891/30
M1891/30のポーランド型番。
wz. 44
戦後生産型、ソ連M1944カービン型のポーランド製バージョン。
wz. 48
戦後生産型、ソ連M1938カービン型を基に作られた単発軍事訓練用銃。チェコとポーランドの軍事士官候補生の訓練に使用された。.22LR 口径。
チェコスロバキア製
vz. 91/38
M91/59に似てる、ソ連M1938スタイルのカービン。生産数は少なく、製造理由は不明。ソ連M1944モデルと同様に、ストックの右側に銃剣溝が刻まれていますが、銃剣が含まれていない。
vz. 54 (チェコ語版 )
1954年でチェコスロバキア軍が余剰M1891/30を基に改修した狙撃銃。チェコ製の2.5倍の照準眼鏡と独自のリアサイトを使用する[24] 。経験豊富な射手が適切な弾薬を使用すれば800メートルの距離で50×50cmの正方形に10発命中する精度を達成した。1958年まで合計5,413丁が生産された[100] 。
vz. 54/91
vz. 54狙撃銃の近代化改修型。ドラグノフSVD狙撃銃にも使用されているソ連製のPSO-1照準眼鏡を装着できる。vz. 54のアイアンサイトは残っている[100] 。
vz. 54狙撃銃。照準眼鏡にカバー、銃床にリコイルパッドが付けられて、オリジナルの外観と多少異なる。
vz. 54の3Dモデル、右側。
vz. 54の3Dモデル、左側。
ハンガリー製
M1948
ソ連M1891/30モデルのハンガリー製バージョン。改修品の狙撃銃仕様も製造されて、ベトナム戦争中に北ベトナム軍 によって広く使用された。
M/52
ソ連M1891/30 PU型狙撃銃の直接コピー。
M44型
戦後仕様ソ連M1944カービン型のハンガリー製バージョン。
ルーマニア製
M91/30型
ソ連M1891/30モデルのハンガリー製バージョン。
M44型
戦後仕様ソ連M1944カービン型のルーマニア製バージョン。
サプレッサー付きM44型
ルーマニア製M1944カービン型で、PSL狙撃銃 に使用されているものと同じの一体型サプレッサー とLPS 4×6° TIP2照準眼鏡を備えている。対テロ部隊向けに少数のみが改造された。
中国製
53式歩騎槍
ソ連製M1944カービン型の中国製バージョン。米国に輸入された53式の多くは中国製の部品と余剰のソ連製部品の両方から製造された。大半の53式には折り畳み式銃剣を備えているが、そうでないものもある。1960年代から1970年代にかけて、多くの53式がインドシナ半島 の共産主義 武装勢力、ベトコン およびカンボジア のクメール・ルージュ に供与された。また、1960年代には中国が軍事援助としてアルバニア とアフリカの数カ国にも相当数の53式を供与した。1990年代後半、コソボ解放軍 がアルバニアから再供与されたと思われる53式を所有していた。
ウクライナ製
VM MP-UOS (ウクライナ語版 )
2015年、ウクライナ国有企業ウクロボロンサービス (ウクライナ語版 ) が開発したM1891/30近代化改修型の狙撃銃[101] 。アルミニウム合金とポリマーの複合材料製銃床、着脱式弾倉、光学照準器設置用ピカティニー・レール 、折りたたみ伸縮式二脚 を備え、銃口制退器 またはサプレッサー を装着できる。プロトタイプのデモンストレーションは2015年11月13日に行われた[102] 。2016年3月18日、試験用の10丁をウクライナ国家警備隊の狙撃訓練センターに引き渡した[103] 。
VM MP-UOS、銃口制退器を装着している。モシン・ナガンの特徴的な遊底を確認できる。
左側面。
サプレッサーと着脱式弾倉を装着する状態。
モシン・ナガン小銃を使用した有名な人物
著名な登場作品
(公開・発売時間順)
映画
『セヴァストポリの防衛 (英語版 ) 』(1911)
1911年公開、 クリミア戦争 中のセヴァストポリ包囲戦 (1854年-1855年) を描いたロシア歴史戦争映画大作。2台のカメラで撮影した世界初の映画、モシン・ナガン小銃が登場する最古の映画とも知られる。時代錯誤 ではあるが、エキストラ用の小道具は揃えにくい時代の作品故、モシン・ナガン小銃は兵士の武器として大量に登場する。
映画『セヴァストポリの防衛』(サイレント映画、上映時間37分。着作権切れ)
『戦艦ポチョムキン 』(1925)
1925年公開、戦艦ポチョムキンの反乱 を描いたソ連歴史映画。「ポチョムキンの階段 」と呼ばれる名シーンと、モンタージュ 理論を確立した業績により、映画史的に重要な作品と評価されている。登場するロシア兵の多くがオリジナルのM1891小銃を使用する。
「ポチョムキンの階段 」シーンに映るモシン・ナガン小銃。
映画『戦艦ポチョムキン』(サイレント映画、英語字幕付き、上映時間74分。着作権切れ)
『ウィンター・ウォー 厳寒の攻防戦 』(1989)
1989年公開、冬戦争 を描いたフィンランド戦争映画。ソ連崩壊でフィンランド化 の束縛を脱する時代を反映し、冬戦争開戦50周年の日で公開された。史実通り両軍の兵士達が大量のモシン・ナガン小銃を手に死に物狂いで戦う姿が描かれている。フィンランド映画ならではの表現で、珍しくフィンランド製M/28-30小銃が登場。
『スターリングラード 』(2001)
2001年公開、スターリングラード攻防戦 の狙撃戦に焦点を当てる国際共同制作戦争映画。主人公のヴァシリ・ザイツェフが狙撃銃型を使用する。映画にはモシン・ナガン狙撃銃の運用について概ね正確的に描写されている。しかし制作当時に歴史考証もしくは道具獲得は難しいためか、映画中のザイツェフは、史実の1942秋時点で使用していたはずのPEまたはPEM型照準眼鏡付狙撃銃ではなく、1943年冒頭まで前線に配備されていないPU型照準眼鏡付狙撃銃を使用する[104] 。全米ライフル協会 のライターからは「モシン・ナガン銃にとって最高の出来事」と評されるほど、モシン・ナガン狙撃銃の知名度を向上させた[105] 。
小説
『戦争は女の顔をしていない 』
1985年に出版された、 ノーベル文学賞 受賞作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ による第二次世界大戦 の独ソ戦 で従軍した女性たちの証言をまとめたノンフィクション小説。時代的に作中で言及されたソ連軍用小銃は殆どモシン・ナガンと思われる。2019年から連載中の小梅けいと による漫画版では実際そう描かれている。
1943年4月1日、ソ連軍政治部の少佐がモシン・ナガン銃を手に前線へ向かう中央女子狙撃兵訓練学校 (英語版 ) の卒業生たちと話す。
アニメ・漫画
『黒執事 』
2006年から連載中の漫画。単行本第8巻に、主人公達ファントムハイヴ家の使用人メイリンが使用する銃として登場。
『ファースト・スクワッド 』
2009年の長編アニメ。主要人物の射撃の名手レオが使用する。
『天空侵犯 』
2014年から2019年まで連載された漫画。主要人物のスナイパー仮面が使用する。
『ゴールデンカムイ 』
2014年から2022年まで連載された漫画。登場人物の日露戦争回想と、主要人物の永倉新八 が北海道 独立を目論む土方歳三 に提供した試供品として登場した他、ロシア国境警備隊の狙撃兵ヴァシリ・パヴリチェンコが使用する。
『SAKAMOTO DAYS 』
2020年から連載中の漫画。跳弾を駆使する変則狙撃手の眞霜平助が使用する。
『スカベンジャーズアナザースカイ』
2022年から連載中の漫画。主人公の仲間の一人、「モ神教」という宗教の狂信者、1035番が使用・信奉する銃として、複数のモデル・派生型が登場。珍しく遊底が単独で描かれている。
ゲーム
『アドバンスト・スコードリーダー 』
1985年から製作・販売しているウォー・シミュレーションゲームのボードゲームシリーズ。ソ連軍の主力小銃として登場。
『大戦略シリーズ 』
1985年から製作・販売しているウォー・シミュレーションゲームのゲームソフトシリーズ。ソ連軍の主力小銃として登場。
『メタルギアシリーズ 』
1987年から製作・販売している、累計販売本数6,000万本を超えるステルスゲームシリーズ。2004年に発売された『MGS3 』で敵の一人、伝説の狙撃兵ジ・エンドが麻酔銃仕様かつ折曲銃床型に改造したものを使用[注釈 14] 。プレイヤーもジ・エンドを麻酔銃で倒すことで使用できるようになる。『MGS4 』でも使用できるほか、『MGSPW 』では設計図を手に入れることで開発できる。
『バトルフィールドシリーズ 』
2002年から製作・販売しているPvPオンラインFPSゲームシリーズ。第二次世界大戦やベトナム戦争を題材としたシリーズ作品に登場。第一次世界大戦を題材とした『バトルフィールド1 』には珍しくロシア軍のM1891だけではなくオブレズ・ピストルも登場。
『コール オブ デューティシリーズ 』
2003年から製作・販売している、累計販売本数は4億本を超えるFPSゲームシリーズ。独ソ戦を題材としたシリーズ作品に登場。
『Alliance of Valiant Arms 』
2008年からサービス開始中のPvPオンラインFPSゲーム。有料ガチャのジャックポットで入手可能。
『アンチャーテッド 砂漠に眠るアトランティス 』
2011年発売で最も評価の高いゲームの一つであり、累計出荷数4000万本を超える『アンチャーテッドシリーズ 』の一作。珍しくフィンランド製Tkiv 85狙撃銃が「T-Bolt Sniper」の名前で登場。
『ARMA 3 』
2013年に発売された軍事シュミレーターに近いリアリティ高いミリタリー・サンドボックスゲーム 。ベトナム戦争を題材とした有料DLC『S.O.G. Prairie Fire』に複数のモデルが登場。特に狙撃仕様は古い銃でありながら侮れない脅威。開発元はチェコ会社のため、珍しくチェコ製vz .54狙撃銃も登場する。
『theHunter: Call of the Wild (英語版 ) 』
2017年に発売されたリアリティ高い現代の狩猟活動を題材としたFPSゲーム。有料DLC「Weapon Pack 2」を購入すればモシン・ナガンをモチーフにしたライフル銃「ソロキンMN1890」を民生猟銃として使用できる。
『Escape from Tarkov 』
2017年からクローズドβが開始されているPvPvEオンラインFPSゲーム。M1891/30に準ずる歩兵銃型と狙撃銃型、コンセプト的にモシン・ナガンの子孫にあたるTOZ-106散弾銃が登場。様々な改修は可能で、運用次第に現代的歩兵装備を身に着ける相手にも通用する脅威を見せる。リアリティ高い銃器描写は銃器専門家からも高く評価されて[106] 、モシン・ナガン小銃の知名度向上に一端を担っている。
『PUBG: BATTLEGROUNDS 』
2017年からサービス開始中のオンラインバトルロイヤルゲーム。狙撃銃として登場。
『ドールズフロントライン 』
2018年からサービス開始中のスマートフォン用ゲームアプリ。モシン・ナガンの擬人化キャラが登場。
『ブルーアーカイブ -Blue Archive- 』
2021年からサービス開始中のスマートフォン用ゲームアプリ。登場人物のミユはM/39を、トモエはOTs-48をモチーフにした銃器を使用。
その他さまざまなFPS ・TPS ・ウォー・シミュレーションゲーム に登場している。
脚注
注釈
^ 1アルシンは約71.12cm。
^ 「コブラ」はハスコックと対決し、紙一重の差で命を落とした狙撃兵。ハスコックは「コブラ」は自分と互角の腕前を持っていて、彼に勝ったのは運が良かっただけ、と述懐した。
「アパッチ」は米兵を捕らえて残忍な拷問を行う女性の狙撃兵部隊指揮官で、ハスコックによって射殺されたと伝われる。ベトコン部隊の指揮官的な地位を務めた女性は確認されていないため、「アパッチ」をあくまで戦場の伝説であり、実在しない人物とみなしている意見もある。
^ ウィリアム・R・ボンド准将は、米陸軍のベテラン歩兵将校であり、26年以上の現役勤務経験を持つ。第二次世界大戦ではレンジャー部隊 の一員としてイタリア戦線 で活躍し、その功績により銀星章 を授与された。米軍の軍事介入が拡大する以前の1959年-1960年間、すでに米軍が派遣した小規模な軍事顧問団 の一員としてベトナムに赴いた。ボンド准将は、常に最前線に進出する勇敢さと気骨を持つ人物として知られている。彼以前にベトナムで戦死した将官4人は全員が航空機墜落によるもので、ボンド准将はベトナムの地上戦闘で戦死した最初の米軍将官である。
^ ソ連軍は欧州に位置する部隊に最新の装備を優先に支給するため、アフガン侵攻に参加したトルキスタン軍管区 の部隊は、古い装備を使って戦闘に臨まなければならなかった不運な部隊の一つで、侵攻初期にSVDは支給されていなかった。[63]
^ ムジャーヒディーン軍がソ連軍からSVDを鹵獲した事例は非常に稀[63] のため、同時期のイラクと違って、アフガンでSVDが使用された戦例は少なかった。米軍との戦闘に使用された狙撃銃は殆ど現地でより普及したモシン・ナガンまたはリー・エンフィールドと米軍が考察した[66] 。
^ 個体の状態とモデルによって異なるが、平均して、米国におけるモシン・ナガン小銃の価格は、1990年代には100ドル以下、2000年代には100~200ドル程度であり、同時期にビッグマックの価格は約2.5ドル前後だった。2020年代初頭にビッグマックの価格が約5ドルとなり、モシン・ナガンの平均価格が500-1000ドル程度となった。
^ M1891/30の製造・改修には、既存や損傷した個体から回収した六角型機関部部品も使用されており、全てが丸型機関部を使用したというわけではない。1940年代で生産された六角型機関部のM1891/30も存在する。また、丸型機関部の量産は1936年まで本格的に開始されなかった。[82]
^ 同時期のドイツ軍Kar98k と米軍M1903 の狙撃仕様も同様の欠点を持っている。
^ 設計はドイツのカール・ツァイス 社の4倍照準眼鏡を参考にしたため、かなり似ており、資料によっては4倍照準眼鏡と記されてる。
^ 1932年から1936年にかけて生産されたPE型に、モデル名「В.П. обр.1931 г.」(ライフルスコープモデル1931)、と「У.В.П.」(1932年から1934年)または「А.У.」(1935年から1936年)の略語は刻印されている。「У.В.П」は「Управление Военных приборов (АУ)」(砲兵総局軍事機器局)の略語、「А.У.」は「Артиллерийское Управление」(砲兵総局)の略語[33] 。
「В.П. обр.1931」は「V.P. rev. 1931」、「У.В.П」は「UVP」と翻訳できるため、1930年代のPE型が、VPやUVP型と誤って呼ばれることは多かった。
^ 1940年にSVT-40半自動小銃を新型狙撃銃として運用する計画が立てられて、M1891/30狙撃銃仕様の生産は中断された。独ソ戦開始後、SVT-40は狙撃銃として有効ではないと判断されたため、SVT-40向けのPU型照準眼鏡はM1891/30に転用されて、1942年秋以降にPU型用マウントに合わせて改修されたM1891/30狙撃銃仕様の生産は再開された。
^ 米国内では供給減少と知名度上昇でコレクション価値が高くなることに伴って、中古市場に狙撃銃型のレプリカまたは他のモデルからの改修品が出回っている。各地の戦場で実戦用に現地改修された物も増えていき、狙撃銃型の生産・運用全貌を把握するのはますます困難となっている。
^ 1966年以前のルールは開催国のセンターファイア口径軍用ライフルを使用することを規定していた。
^ 小説版では麻酔銃仕様ではない。
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関連項目
小銃・自動小銃等一覧
フロロフカ (銃)
ウィンチェスター M1895 - 第一次世界大戦中、小銃の不足を補うため、ロシア帝国は7.62mm×54R弾とモシン・ナガン小銃用の挿弾子を使用できるように改修したレバーアクション式ウィンチェスター M1895小銃をアメリカから輸入した。
有坂銃 - 19世紀後半から第二次世界大戦まで日本軍に採用された一連の軍用小銃。日露戦争から第二次世界大戦まで頻繫に交戦するため銃器研究家からはよく比較される。日本軍とロシア軍自身を含めて、両種の小銃を同時期に使用していた軍隊は多かった。
Gew88 、Gew98 、Kar98K - 19世紀後半から第二次世界大戦までドイツ軍に採用された一連の軍用小銃。モシン・ナガンと比較されることも多い。
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
モシン・ナガン に関連するメディアがあります。