ヘロド系(ヘロドけい、Herod Sire Line)とは、1688年にイギリスに輸入されたバイアリーターク (Byerley Turk) を始祖とし、ヘロド (Herod) を経由するサラブレッドの父系である。エクリプス系やマッチェム系と共に三大父系の一つに数えられるが、縮小が激しくほとんど見ることが無い父系となっている。2021年時点の日本では障害競走馬として細々と残っている程度で、後は中小牧場で開店休業状態となっている。
ヘロド系は1688年にイギリスに輸入されたバイアリータークを始祖とする。バイアリータークは、特段優れた種牡馬ではなかったが、孫の代にパートナーが出てその仔ターターにつながる父系を残した。当時はゴドルフィンアラビアンやダーレーアラビアンと比べてそれほど大きな父系では無く、クラブを出したオルコックアラビアンの父系と大差がなかった。
1768年にターターの仔として生まれたヘロド(キングヘロド)は、極めて優れた種牡馬であった。同時期のエクリプスをまるで相手にせず、イギリスで8度リーディングサイアーとなり、この父系を一気に大父系へと押し上げた。ヘロドの仔の中では、ハイフライヤー、フロリゼル、ウッドペッカーの3頭が父系を伸ばした。特にハイフライヤーはヘロドに匹敵する優れた種牡馬であり、イギリスで13回リーディングサイアーになった。その仔サーピーターティーズルも10回リーディングサイアーとなった。
19世紀になってからも暫くはハイフライヤー 系の勢いが続いた。サーピーターティーズル産駒のウォルトン (競走馬)、更にその産駒のファントム(英語版)はイギリスリーディングサイアーとなった。
1830年代に入るとハイフライヤー系の勢いに陰りが見られ、代わってウッドペッカーの子孫が優勢となった。サルタン、ベイミドルトンなどはこの時代に活躍した名種牡馬である。
この間、対抗するエクリプス系からタッチストンやストックウェルが出たが、ヘロド系も安定していた。1870年代になると再びハイフライヤー系が増加する傾向もみられた。1870年代の10年間に行われたイギリスクラシック50レースのうち、ウッドペッカー系3勝に対し、ハイフライヤー系は10勝している(残りはエクリプス系が37勝、マッチェム系0勝)。
しかし、この後エクリプス系のセントサイモンの登場もあり一気に減少した。イギリスでは1900年ごろまでにはハイフライヤー系もウッドペッカー系いずれもイギリスから消滅した。
イギリスではこうして消滅したが、サーピーターティーズルの系統ではサーポール→バッカーニアがドイツに輸出、ウッドペッカーの系統では、ベイミドルトンの仔ザフライングダッチマンやソーマンビーの仔アトランティックがフランスに輸出され、それぞれ輸出先で土着することで存続した。
一方、ヘロドの子孫は早期にアメリカにも輸出された。サルタン産駒のグレンコーはアメリカに輸出され、8回リーディングサイアーとなった。ヘロドの仔フロリゼルの産駒でダービー馬のダイオメドも高齢になってからアメリカ合衆国に輸出され、子孫にレキシントンが出た。
レキシントンはルコントとのマッチレースで知られた競走馬だが、種牡馬としてはアメリカで他に例を見ないほど成功した。ただし、南北戦争によってその父系は早期に大打撃を受けた。グレンコー系もレキシントン系も20世紀を待たずかなり小さくなった。
19世紀末以降、ヘロド系は主にフランスで栄え、イギリスではすっかり衰えてしまった。アイルランドのエドワード・ケネディはこの状況を嘆き、ヘロド系を復興させる意図を持っていた。彼はフランスからアトランティックのひ孫ロアエロドを輸入し、ザテトラークを生産した。ザテトラークは20世紀初頭を代表するスピード馬で、ザテトラークやその仔テトラテマはイギリスリーディングサイアーにもなったが、牝馬嫌いという悪癖もあり大父系を形成することはできなかった。
アトランティックの子孫はその後衰えることになるが、ザフライングダッチマンの子孫はフランスでますます栄えた。1920年代にはクサールが仏ダービーなど多数の競走に勝利した。1928年にマルセル・ブサックはクサールを用いてトウルビヨンを生産した。このトウルビヨンが現在のヘロド系存続のキーホースとなった。
トウルビヨンは、生産者のマルセル・ブサックが種付けを自牧場の繁殖牝馬に限定しており、またジャージー規則によってイギリスではサラブレッドと認められなかった。しかしフランスで3度リーディングサイアーとなり、仔のジェベルも4度仏リーディングサイアーとなった。この系統はフランス、日本、オーストラリアなど各地で栄えた。しかし20世紀後半は大種牡馬の死と後継種牡馬の不在、ノーザンダンサー系の圧倒的繁栄などがあり、いずれの系統も苦境に陥っていく。
トウルビヨン系を除くヘロド系分枝の多くは断絶しており、ハイフライヤー(1774年)系は1980年代にソ連で、フロリゼル(1768年)- レキシントン系は1990年代にアメリカで、グレンコー(1831年)系は2000年代にアメリカで途絶えた。カストレル(1801年) - ロアエロド(1904年) - ザテトラーク系は2010年代にインドで途絶えたもようだが、ロイヤルキャノピーの分枝がアメリカで細々と残っている。
トウルビヨン系は、ジェベル(1937年)を経た系統のみが残っており、分枝としてはヒュールプス(1952年)、マイバブー(1945年)、クラリオン(1944年)らの末裔が残存する。ヒュールプス系、マイバブー系はウルグアイやオーストラリア、日本にいるマイナーな種牡馬によって構成されており、現役競走馬の頭数も極端に限られる。それぞれ、ヒュールプスはウルグアイのアドベター(ヒュールプス - ヒーゼン)、マイバブーは日本のギンザグリングラス(マイバブー - パーソロン)、オーストラリアのマスタープリント(マイバブー - ベターボーイ)らがいる。
現在のヘロド系主力となっているクラリオン系は、クレイロン(1952年)、ロレンザッチオ(1965年)を経たアホヌーラ(1975年)が成功し、現在でも主要国で一流馬を出せるポテンシャルを辛うじて維持している。短距離路線に強く、特に1980年代から2010年ごろにかけてイギリスの短距離路線で一定のニッチを占めていた。
アホヌーラ産駒の中で種牡馬として一定の成果を残したのは、インチナー(1990-2003年)、ドクターデヴィアス(1989年-2018年)、トパヌーラ(1987-2004年)、インディアンリッジ(1985-2006年)らである。うちインディアンリッジはイギリス・アイルランドの種牡馬ランキングでサドラーズウェルズに次ぐ2位となり、大種牡馬と言っていい成功を収めた。
しかし上記の種牡馬たちはほとんど後継種牡馬を残せず、成功と言っていいのは僅かにインディアンリッジ産駒のコンプトンプレイスのみだった。そして2015年にコンプトンプレイスが死亡すると父系の崩壊はさらに進んだ。僅かに出る活躍馬も去勢馬ばかりで、後継種牡馬とはなり得なかった。
イギリスで供用されていたヘロド系主力種牡馬のコンプトンプレイス、オーストラリアのマスタープリントがこの年に死亡した。また、ウルグアイのアドベターも、この年以降の産駒は確認できない。フランスで供用されていたリンガリが南アフリカに移動。イギリスではドゥーナデン(英語版)が種牡馬入りし、97頭の繁殖牝馬を集めた。日本でも最後のヘロド系種牡馬となるギンザグリングラスが種牡馬入りし、3頭の交配機会を得た。
英愛日豪北米における2015年の種付け頭数は以下の通り
アイルランドのノットナウケイトが障害用種牡馬として人気を博し、157頭の繁殖牝馬を集めた。イギリスのドゥーナデンも58頭集めている。なお、この年は世界でG1を1つも勝てなかった。
イギリスでパールシークレットが種牡馬入り、58頭の繁殖牝馬を集めた。また、フランスのダイヤモンドボーイ[注 1]の人気が急上昇し130頭の牝馬を集めた。ただし障害用種牡馬のため、牡の産駒は全て去勢されるため、サイアーラインを繋ぐには至っていない。G1勝利はオーストラリアのレッドカークウォリアー(セン馬)のみだった。
英愛日仏北米における2017年の種付け頭数は以下の通り
イタリアで供用されていたドクターデヴィアスが死亡。ダイヤモンドボーイがアイルランドに移動した。これによりフランスのヘロド系はシェアがほぼ0となった。種付け数は、アイルランドのダイヤモンドボーイが236頭の種付け数を集めたほかは全体的に低調で、2位のパールシークレット(イギリス)が48頭、3番目に多かったのがドゥーナデン16頭(イギリス)だった。
G1勝利はオーストラリアのレッドカークウォリアー(セン馬)とウィルペイズ(セン馬)のみ。トルコのHep Beraberがトルコ二冠を達成。
英愛日北米における2018年の種付け頭数は以下の通り
これ以外にも以下の馬が各国で供用されているが、大半は種付け数が数頭のマイナー種牡馬である。
この年の3月にドゥーナデン、年度末にノットナウケイトが死亡。英愛日北米における2019年の種付け頭数は以下の通り
新たに日本でクワイトファインがクラウドファンディングにより種牡馬入りした。
この年の12月にギンザグリングラスが死亡。
パールシークレットがアイルランドから日本に移動。
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