デブラ・アン・ミセリー (Debra Ann Miceli 、1964年 2月9日 - )は、イタリア のミラノ 生まれ、アメリカ合衆国 ミネソタ州 ミネアポリス 育ちの元女子プロレスラー 。ギミック 上ではミネアポリス出身とされていたこともある。
アメリカと日本で活躍し、アランドラ・ブレイズ (Alundra Blayze )、メデューサ (Madusa )などのリングネーム で知られる[ 1] [ 2] 。
来歴
リック・ルード 、カート・ヘニング 、ニキタ・コロフ 、バリー・ダーソウ 、ジョン・ノード 、トム・ジンク などを輩出したミネアポリスのロビンズデイル高校を卒業後、ロード・ウォリアーズ のトレーナーとして知られるエディ・シャーキー (英語版 ) のジムでプロレス を学び、1984年 にAWA にてメデューサ・ミセリー のリングネームでデビュー。AWAではケビン・ケリー &ニック・キニスキー のマネージャー を担当する一方、女子王者のシェリー・マーテル と抗争を展開。1987年 12月27日にはシェリーのWWF 移籍で空位となったAWA女子王座 の争奪トーナメントに出場、決勝でキャンディ・デバイン (英語版 ) を破りチャンピオンとなった[ 3] 。
その後、1989年 から1991年 にかけて来日し、全日本女子プロレス を主戦場に活動する(後述 )。
1991年、ポール・E・デンジャラスリー 率いるヒール 軍団、デンジャラス・アライアンスの一員としてWCW に登場。ルード、アーン・アンダーソン 、ラリー・ズビスコ 、ボビー・イートン 、"スタニング" スティーブ・オースチン らと共闘した[ 4] [ 5] 。1992年 8月にはルードのマネージャーとして新日本プロレス のG1 CLIMAX に来日している[ 6] 。
1993年 にWWF へ移籍。アランドラ・ブレイズ のリングネームでベビーフェイス として売り出される。WWFではルナ・バション 、ブル中野 、バーサ・フェイ と抗争を繰り広げるなど女子戦線で活躍したが、WWF女子王座 戴冠中の1995年 にWCWへ再移籍[ 1] 。リングネームをメデューサ に戻し、『WCWマンデー・ナイトロ 』内にてWWF女子王座のベルトをゴミ箱へ捨てるパフォーマンスを敢行した[ 4] [ 2] (この出来事はマンデー・ナイト・ウォーズ を激化させ[ 1] 、後のモントリオール事件 の伏線ともなっている)。
WCWではシスター・シェリー や北斗晶 と抗争。1997年 6月のグレート・アメリカン・バッシュ での北斗戦を最後に離脱するが、1999年 よりランディ・サベージ のマネージャー役でカムバックする[ 2] 。12月19日開催のスターケード ではエヴァン・カレイジャス を破り、女性で史上初めてWCWクルーザー級王座 を獲得した[ 7] 。また、WCWパワープラント の教官も務め、トリー・ウィルソン らのトレーニングを行った。
2015年 3月2日、WWE 『RAW 』にてWWE殿堂 に迎えられることが発表された[ 8] 。同月28日にカリフォルニア州 サンノゼ のSAPセンター・アット・サンノゼ にて行われた式典では、ナタリヤ がインダクターを務めた[ 9] 。
日本での活動
1989年にクラッシュギャルズ の長与千種 のライバルとして全日本女子プロレス に来日。初戦で長与を破り、IWA世界女子王座を奪取。長与の引退式が行われた横浜アリーナ にて開催された『レッスル・マリンピアード89』ではライオネス飛鳥 と統一グローバル王座決定戦を行い敗れるが、その後日本に定着。飛鳥引退後は、全日本女子プロレス初の外国人エースとして活躍。後にヒールに転向して、アジャ・コング を中心とするジャングル・ジャック の一員としても活動した。全日本女子プロレスとの契約終了後はアメリカに戻り、前述の通りWCWおよびWWFに登場した。
この間、1991年8月にジャパン女子プロレス のシリーズに1度だけ参戦[ 10] 。団体対抗戦が行われていなかった当時、「全日本女子で活躍したメデューサがジャパン女子のリングに上がる」という出来事にファンは注目した。
1994年11月、全日本女子プロレスの東京ドーム 興行にアランドラ・ブレイズ名義で久し振りに参戦し、ブル中野 とWWF女子王座を賭けて対戦した[ 11] 。これが現役選手としての最後の来日であり、それ以降は日本のどの団体にも出場していない。
2015年8月23日、スターダム USAコミッショナー就任とともに21年ぶりに来日[ 12] 。9月23日に後楽園ホール で開催された『STARDOM 5★STAR GP 』優勝決定戦に立会人として来場し、中野との再会も果たした。
モータースポーツでの活動
エドワード・ジョーンズ・ドーム での "Monster Jam" 大会における、ミセリーのモンスタートラック 『メデューサ』(2014年)
2001年のWCW崩壊後、前述の経緯もありWWFへ移籍はできず、そのままプロレスラーを引退。以降は地元のフロリダに在住しモンスタートラック 競技に取り組んでいる。2004年のMonster Jam World Finals のフリースタイル部門では三人の同時優勝者の中の一人となり、2005年3月には女子選手として初めてMonster Jam World Finalsのレーシング部門で優勝した[ 13] 。2006年3月、モンスタートラック競技のLive Nation チームから解雇されたが、2009年から再びMonster Jamに復帰している[ 14] 。
獲得タイトル
AWA
WWF / WWE
WCW
IWCCW
全日本女子プロレス
脚注
外部リンク
選手
ユニット スタッフ
役員 タイトル 大会 SWA 関連項目
カテゴリ