デビッド・ポーリーノ
David Paulino基本情報 |
---|
国籍 |
ドミニカ共和国 |
---|
出身地 |
ペラビア州ニサオ(英語版) |
---|
生年月日 |
(1994-02-06) 1994年2月6日(30歳) |
---|
身長 体重 |
6' 7" =約200.7 cm 215 lb =約97.5 kg |
---|
選手情報 |
---|
投球・打席 |
右投右打 |
---|
ポジション |
投手 |
---|
プロ入り |
2010年 アマチュアFA |
---|
初出場 |
2016年9月8日 |
---|
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
---|
|
|
デビッド・コンフェソール・ポーリーノ(David Confesor Paulino, 1994年2月6日 - )は、ドミニカ共和国ペラビア州ニサオ(英語版)出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在は、フリーエージェント(FA)。
経歴
プロ入りとタイガース傘下時代
2010年にデトロイト・タイガースと契約してプロ入り。
2011年に傘下のルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・タイガースでプロデビュー。8試合(先発7試合)に登板して0勝1敗、防御率0.00、14奪三振を記録した。
2012年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・タイガースでプレーし、3試合(先発1試合)に登板して1勝0敗、防御率2.25、5奪三振を記録した。
2013年もルーキー級ガルフ・コーストリーグ・タイガースでプレーしていたが、7月にトミー・ジョン手術を受けている[1]。
アストロズ時代
2013年9月13日、7月29日に行われたホセ・ベラスとのトレードの後日発表選手としてヒューストン・アストロズへ移籍した[2]。
2014年は前年の手術の影響で全休した。
2015年は傘下のA-級トリシティ・バレーキャッツ(英語版)、A級クァッドシティ・リバーバンディッツ(英語版)、A+級ランカスター・ジェットホークスでプレーし、3球団合計で13試合(先発12試合)に登板して5勝3敗、防御率2.81、72奪三振を記録した。オフの11月20日にルール・ファイブ・ドラフトでの流出を防ぐために40人枠入りした[3]。
2016年、マイナーではルーキー級ガルフ・コーストリーグ・アストロズ、AA級コーパスクリスティ・フックス、AAA級フレズノ・グリズリーズでプレーし、3球団合計で20試合(先発15試合)に登板して5勝4敗1セーブ、防御率2.00、106奪三振を記録した。9月6日にメジャー初昇格を果たすと[4]、8日のクリーブランド・インディアンス戦にて先発でメジャーデビュー。この試合では3回4失点で敗戦投手となった[5]。この年メジャーでは3試合(先発1試合)に登板して0勝1敗、防御率5.14、2奪三振の成績を残した。
2017年は開幕をAAA級フレズノで迎え、5月30日に昇格した。そこから6試合に先発登板して2勝0敗、防御率6.52、34奪三振の成績を残していたが、7月1日に禁止薬物であるボルデノンが検出されて薬物検査違反で80試合の出場停止となったため[6]、以降の登板は無かった。
ブルージェイズ時代
2018年7月30日にロベルト・オスーナとのトレードで、ケン・ジャイルズ、ヘクター・ペレスと共にトロント・ブルージェイズへ移籍した[7]。9月5日に故障者リストからメジャーに昇格した[8]。
2019年8月7日にDFAとなり[9]、10日に自由契約となった[10]。
フィリーズ時代
2021年1月18日にフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することとなった[10]。8月12日にメジャー契約を結び昇格した[11]が8月13日のシンシナティ・レッズ戦で2回を投げ被本塁打1を含む被安打3、2失点で降板し、翌14日にDFAとなった[12]。オフの11月7日にノンテンダーFAとなった。
投球スタイル
長身から繰り出す90mph後半の速球と、パワーカーブを持つ[13]。
詳細情報
年度別投手成績
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
投手(P)
|
試
合 |
刺
殺 |
補
殺 |
失
策 |
併
殺 |
守 備 率
|
2016
|
HOU
|
3 |
1 |
1 |
0 |
1 |
1.000
|
2017
|
6 |
1 |
1 |
0 |
0 |
1.000
|
2018
|
TOR
|
7 |
0 |
1 |
1 |
0 |
.500
|
MLB
|
16 |
2 |
3 |
1 |
1 |
.833
|
背番号
- 63(2016年 - 2017年)
- 22(2018年)
- 53(2021年)
脚注
関連項目
外部リンク