ダラス・カウボーイズ (英語 : Dallas Cowboys 、略称: DAL )は、アメリカ合衆国 テキサス州 アーリントン (ダラス・フォートワース複合都市圏 )に本拠地をおくNFL チーム。NFC東地区 に所属している。ホームスタジアムはAT&Tスタジアム 。本部と練習場は、同じテキサス州のフリスコ にあるフォード・センター・アット・ザ・スター 。
概要
NFC 東地区所属でNFL屈指の名門。創立間もないころ、その強さから圧倒的な人気を誇ったカウボーイズは、アメリカを象徴するチームとしてアメリカズチーム (America's Team)と称されるようになり、現在でもこの称号が用いられることがある。1960年代以降のNFLで最も成功したチームの1つとして数えられておりスーパーボウル 優勝は3位タイの5回、NFC 優勝8回を数える。またマンデーナイトフットボール での勝利は最多の41回(これに次ぐのはマイアミ・ドルフィンズ の39回、サンフランシスコ・フォーティナイナーズ の38回)。1966年から1985年までの20シーズン連続勝ち越しのNFL記録を持っている。
経済誌のフォーブス は2022年 9月、ダラス・カウボーイズの市場価値を80億ドルと算定しており、ニューヨーク・ヤンキース やレアル・マドリード などを上回り、世界のスポーツチームで首位となり世界で最も価値あるスポーツチーム とした[ 1] 。また、大手世論調査会社ハリス・インタラクティブ が2015年 に公表した世論調査によると、NFLで最も人気の高いチームである[ 2] 。
歴史
チーム創設から1970年代まで
1960年、AFL(アメリカン・フットボール・リーグ )のダラス・テキサンズ(カンザスシティ・チーフス の前身)に対抗する形でクリント・マーチンソン 、ベドフォード・ウィンによって創立された。チーム名は当時、テキサス州で数千人が活躍していたカウボーイ にちなんで付けられた。初代ゼネラルマネージャーにはテックス・シュラム が、初代ヘッドコーチにはトム・ランドリー が起用された。選手はエクスパンションドラフトで集められ本拠地はコットン・ボウル となった。1960年シーズンは1分11敗と未勝利に終わり翌年のNFLドラフト1巡目全体13番目でDT のボブ・リリー を指名した。1960年にQB のドン・メレディス 、1961年にRB のドン・パーキンス 、LB のチャック・ハウリー 、DTのボブ・リリー、1963年にLBのリー・ロイ・ジョーダン 、1964年にCB のメル・レンフロ 、1965年にWR のボブ・ヘイズ が加入するなど徐々に戦力を整えていった。1966年に10勝3敗1分の成績で初のプレーオフ進出を果たしプロボウル に8人の選手を送り込んだ。1966年 、1967年 と2年連続でNFLチャンピオンシップでグリーンベイ・パッカーズ と対戦したが劇的な決着で2年とも敗れた。アメリカのプロスポーツ史上最も気温の低い厳しい条件で行われた1967年NFLチャンピオンシップゲーム はアイスボウル とも呼ばれている。1966年シーズンはその後8シーズン連続となるプレーオフ出場記録の始まりとなった(後に1975年 から1983年 まで9シーズン連続プレーオフ出場の記録を作った。)。
第6回スーパーボウル の様子
1968年シーズン 終了と共にメレディス、パーキンスは引退したが1967年にOT のレイフィールド・ライト 、1969年 にQBのロジャー・ストーバック 、TE のマイク・ディトカ 、RBのカルビン・ヒル (グラント・ヒル の父親)、1970年にCBのハーブ・アダリー 、S のクリフ・ハリス 、チャーリー・ウォータース が加入した。1970年シーズン にQBのクレイグ・モートン に率いられたチームは第5回スーパーボウル に出場したが終盤モートンにミスが続き、残り5秒でボルチモア・コルツ のキッカー、ジム・オブライエン のフィールドゴール が決まり13-16で敗れた。この試合でチャック・ハウリーはスーパーボウル史上唯一敗戦チームからMVPに選ばれた選手となっている。
第12回スーパーボウル の様子
1971年 の第6週から本拠地をテキサス・スタジアム に移した。チームは最後の7試合を連勝し第6回スーパーボウル でマイアミ・ドルフィンズ を24-3で破りスーパーボウル初制覇を果たした。1970年代 の活躍でカウボーイズの人気は地元ダラスだけでなくアメリカ中に広がっていった。チームにはDE ハーベイ・マーティン 、エド・トゥートール・ジョーンズ 、WRのドリュー・ピアソン 、DTのランディ・ホワイト 、RBのトニー・ドーセット らが加わった。第10回スーパーボウル 、第13回スーパーボウル ではピッツバーグ・スティーラーズに敗れたが第12回スーパーボウル でデンバー・ブロンコス を破り優勝、1970年代のNFLで最多勝をあげたチームであった。
1980年代
1980年に引退したストーバックに代わってダニー・ホワイト が先発QBとなった。1980年 から1982年 には3年連続NFCチャンピオンシップゲーム に進出を果たしたがスーパーボウル出場はならなかった。
1983年 1月3日のミネソタ・バイキングス とのマンデーナイトフットボール で、トニー・ドーセット が自陣1ヤード地点から99ヤードのTDランをあげた[ 3] [ 4] 。
1984年 にバム・ブライトがマーチソンからチームを購入した頃から成績が低迷し、1985年 の10勝6敗から1986年 は7勝9敗、1987年 は7勝8敗、1988年 は3勝13敗に終わった。1989年 2月25日にチームはジェリー・ジョーンズ に売却された。新オーナーのジョーンズはゼネラルマネージャーのテックス・シュラムとヘッドコーチのトム・ランドリーを解任、大学時代のフットボールチームメートでもあったマイアミ大学 ヘッドコーチだったジミー・ジョンソン を後任のヘッドコーチとした。ドラフト1巡目でUCLA のQB、トロイ・エイクマン を獲得、シーズン中にはスターRBのハーシェル・ウォーカー をミネソタ・バイキングス と5人のベテラン選手と8つの将来のドラフト上位指名権などと引き換えにトレードを行った。チームは1勝15敗と創設以来最悪の成績に終わったがトレードによって得たドラフト指名権がチームの再建に重要な役割を果たすことになる。
1990年代
ジョンソンヘッドコーチは1989年 のドラフトでエイクマンの他にFB のダリル・ジョンストン 、C のマーク・ステプノスキー を獲得、1990年にRB のエミット・スミス 、1991年にDTのラッセル・メリーランド 、OTのエリック・ウィリアムス 、1992年にSのダレン・ウッドソン を獲得した。他にランドリー時代からいる若い選手、WRのマイケル・アービン 、G のネイト・ニュートン 、LBのケン・ノートン・ジュニア 、OTのマーク・トゥイネイ やベテランのTE、ジェイ・ノバチェク 、DEのチャールズ・ヘイリー の活躍で、1989年 には1勝15敗に終わったチームが、3年後の1992年 には13勝3敗の成績をあげ、14シーズンぶりとなるスーパーボウル出場を果たした。第27回スーパーボウル ではスーパーボウル記録となる9つのターンオーバーを奪いバッファロー・ビルズ に52-17で勝利しジミー・ジョンソンはカレッジフットボール とNFLの双方で頂点を極めた最初のヘッドコーチとなった。翌年 の第28回スーパーボウル でも30-13で再びビルズを降しプロボウルにも11人の選手を送り込んだ。契約交渉が長引き、エミット・スミスがシーズン開幕から2試合欠場したこと、1993年からNFLに導入されたフリーエージェント制度 に続き、1994年シーズンからサラリーキャップ が導入されるため、ジミー・ジョンソンはオーナーのジェリー・ジョーンズに人事権の委譲を求めたが、ジョーンズオーナーはこれを拒絶し[ 5] 、第28回スーパーボウルの1週間後にジョンソンヘッドコーチは辞任し[ 6] 、オクラホマ大学 の元ヘッドコーチ、バリー・スウィッツァー が後任となった。1994年シーズン に12勝4敗の成績をあげたがNFCチャンピオンシップゲームでサンフランシスコ・フォーティナイナーズに28-38で敗れた。1995年 にはフリーエージェントになっていたオールプロ CBのディオン・サンダース が加入、12勝4敗でシーズンを終えたチームは第30回スーパーボウル でピッツバーグ・スティーラーズを27-17で破り5度目のスーパーボウル制覇を遂げた。MVPには2回のインターセプト でいずれもタッチダウンをあげたラリー・ブラウン が選ばれた。バリー・スウィッツァーもカレッジフットボール、NFLを制したヘッドコーチになった。その後カウボーイズの栄光をささえた選手たちのフリーエージェント による流出、高齢化、怪我などで1997年 には6勝10敗で終わった。1998年1月スウィッツァーヘッドコーチは辞任しスティーラーズの元オフェンスコーディネーターであるチャン・ゲイリー が後任となった。1998年 に10勝6敗でNFC東地区優勝を果たしたが1999年 には8勝8敗に終わった。チームは1990年代を通じてNFL最多勝したチームであった。
2000年代
チャン・ゲイリーの次にヘッドコーチになったのはディフェンスコーディネーターのデイブ・カンポ だったが2000年 から2002年 まで3シーズン連続で5勝11敗に終わった。ジョーンズオーナーがゼネラルマネージャーを置かずヘッドコーチにも十分な権限を与えていないことがチームが低迷する原因だとマスコミから非難されるようになった。2001年 、シーズン開幕前にタンパベイ・バッカニアーズ から放出されたQBライアン・リーフ と契約した。2003年 、ビル・パーセルズ がヘッドコーチに就任、NFLトップの守備成績を残し10勝6敗でプレーオフ進出を果たしたが、続く2シーズンはプレーオフ出場を果たせなかった。
2004年 、チームはビニー・テスタバーディ 、ドリュー・ヘンソン を獲得、チャド・ハッチンソン を解雇した。シーズン途中、控えQBのクインシー・カーター を薬物濫用により解雇、トニー・ロモ が第3QBとしてロースターに加わった。
ドリュー・ブレッドソー
2005年 、前年までバッファロー・ビルズ でプレーし、ニューイングランド・ペイトリオッツ 時代にはスーパーボウル出場も果たしているQBドリュー・ブレッドソー を獲得した[ 7] 。
2006年 、シーズン開幕前、フィラデルフィア・イーグルスに所属していたテレル・オーウェンス を獲得した。シーズン途中からブレッドソーに代わって、ロモが先発QBに昇格した[ 8] 。9勝7敗でプレーオフに進出した。シアトル・シーホークス とのワイルドカード プレーオフでは勝ち越しFGを狙ったプレーでロモがスナップをファンブルし敗れた。その後パーセルズは辞任し、後任にはウェイド・フィリップス が就任した。
2007年 チームはNFCベストの13勝3敗の成績を残したが、プレーオフでニューヨーク・ジャイアンツ に破れシーズンを終えた[ 9] 。ジャイアンツは第42回スーパーボウル で優勝を果たした。
2008年 チームは4勝1敗と好スタートを切ったがエースQBのトニー・ロモ 負傷の影響もあり足踏み8勝4敗で12月を迎えたが最後の4試合中1勝しかできずに9勝7敗でプレーオフを逃した[ 9] 。オフシーズンにチームは、テレル・オーウェンス を放出した。この年LBデマーカス・ウェア が20サックをあげた[ 10] 。
2009年 チームはカウボーイズ・スタジアム に本拠地を移した。この年3月、実績は十分なもののトラブルメーカーのテレル・オーウェンスを解雇した[ 9] 。最終週に同地区のライバル、フィラデルフィア・イーグルス を破り地区優勝、プレーオフ初戦でもイーグルスを破ったがディビジョナルプレーオフでミネソタ・バイキングス に敗れてシーズンを終えた。この年シーズン途中から先発WRとなったマイルズ・オースティン が活躍、第6週にはこれまでボブ・ヘイズ が持っていた球団記録を更新する250ヤードを獲得、プロボウルにも選ばれた[ 11] 。
2010年代
2010年 、本拠地カウボーイズ・スタジアム が翌年の第45回スーパーボウル 開催地であり、スーパーボウル出場の期待が高まったが反則やターンオーバーなどにより敗戦が続き、エースQBのロモも戦線を離脱した。1勝7敗となったところでウェイド・フィリップスヘッドコーチは解任され[ 12] 、ジェイソン・ギャレット オフェンスコーディネーターが暫定ヘッドコーチに就任することとなった。マイルズ・オースティンが故障したデショーン・ジャクソン の代わりとして、2年連続プロボウルに選ばれた[ 13] 。デマーカス・ウェアが15.5サックをあげている[ 14] 。ギャレットは正式にヘッドコーチとなった。
2011年 、チームは最終週、勝ったチームが地区優勝となるニューヨーク・ジャイアンツ との直接対決で敗れるなど最後の5試合中4試合で敗れて8勝8敗、プレーオフを逃した[ 15] 。
2012年 、最後の2試合に連敗し、8勝8敗でプレーオフを逃した[ 16] 。
2013年 8月、本拠地カウボーイズ・スタジアムは、命名権 契約をAT&T と12億ドルで結び、AT&Tスタジアムと名称変更した[ 17] 。シーズンは3年連続で8勝8敗に終わり、プレーオフを逃した。
2014年 、前クリーブランド・ブラウンズ のQBブランドン・ウィーデン と契約した。この年は地区優勝を果たしたが、プレーオフ2試合目でグリーンベイ・パッカーズ に敗れた。
2015年 は、シーズン途中でロモが鎖骨を骨折し、チームは地区最下位に沈んだ。
2016年 は開幕からロモが負傷離脱し、ルーキーQBダック・プレスコット を起用して地区優勝を果たしカンファレンス内で最高の成績を上げたが、プレーオフ1試合目でグリーンベイ・パッカーズに敗れた。
2017年 は地区2位に終わり、プレーオフも逃した。
2018年 は地区優勝を遂げたが、ディビジョナルプレーオフでロサンゼルス・ラムズ に敗れた。
2019年 はプレーオフを逃した。2020年1月5日、HCのギャレットは解雇された。翌日、元グリーンベイ・パッカーズ HCのマイク・マッカーシー がHCに就任した。
2020年代
2020年 、前シンシナティ・ベンガルズ のQBアンディ・ダルトン と契約した。プレスコットが負傷欠場し、地区全チームが勝率5割を割る中、最終戦で敗れ三位となってプレーオフを逃した。
2021年 、ダルトンはシカゴ・ベアーズ に移籍した。プレスコットとNFL史上最高額となる4年1億6000万ドルの契約を結び、2018年シーズン以来のプレーオフ進出を地区優勝で果たしたが初戦でサンフランシスコ・フォーティーナイナーズ に敗れた。
2022年 は第15週にプレーオフ出場を決めた。最終戦まで地区優勝の可能性を残すも果たせず、第5シードのワイルドカードでプレーオフに進んだ。初戦では南地区優勝のバッカニアーズを破り、プレーオフの勝利は2018年シーズン以来、ロードでのプレーオフの勝利は1992年シーズン以来となった。だがディビジョナルラウンドではフォーティーナイナーズに敗れた。これでカンファレンスチャンピオンシップゲーム不出場は1996年以来27シーズン連続となり、ディビジョナルラウンドは7戦連続で敗退している。
2023年 も第15週にプレーオフ出場を決めた。最終週までフィラデルフィア・イーグルスと競ったのちに地区優勝を決め、シード順2位となった。プレーオフ初戦でグレーンベイ・パッカーズ に敗れた。
感謝祭ゲーム
NFLにおけるカウボーイズの特徴のひとつに感謝祭 当日に行われる試合がある。感謝祭ゲーム (Thanksgiving Day games)と呼ばれるこの試合は、1966年 以降、毎年感謝祭当日にカウボーイズの試合が組まれる、というものである(1975年と1977年など例外もある)。デトロイト・ライオンズ はカウボーイズより早い1934年 以来、感謝祭ゲームを行っている。なお、両チームによる対戦は、感謝祭ゲームでは行われず、また2006年以降感謝祭当日は、ライオンズ戦、カウボーイズ戦以外のもう1試合の3試合が組まれている。
ロゴおよびユニフォーム
ロゴ
1994年、NFL75周年に発表されたダブルスターのスローバック・ユニフォーム。
チームロゴの青い星は「ローンスター・ステート 」としてのテキサス州を表しており、プロスポーツのチームロゴで最も知られたものの1つである。当初は枠なしだったが、1964年に白と青の枠が追加され、以降そのままである。チームのイメージング施設や倉庫など他の施設でもこのロゴが使用されている。
オーナーのジェリー・ジョーンズ 所有のアリーナフットボールリーグ チームのダラス・デスペラーズ (英語版 ) もこれを基に類似した青い星をロゴにしている。
ユニフォーム
ユニフォーム(2012年〜)
カウボーイズのヘルメットには銀地にテキサス州 の象徴である「ローン・スター」(一つ星)が紺色で描かれている。ユニフォームは基本的に白ジャージを着用するが、これは本来ホームゲームで着用するカラージャージ(カウボーイズの場合は紺)よりも勝率がよいというジンクスからホームゲームでも白を着るようになったことによるもの(NFLではホームチームにユニフォームの色の選択権がある)。これを逆手に取り、対戦相手のチームがカウボーイズをホームに迎える際に自分たちが白ジャージを選び、カウボーイズに紺のカラージャージを着用させるケースが見られる。
文化
アメリカズチーム
カウボーイズは、1970年代に圧倒的な強さを誇ったチームとして、アメリカズチーム (America's Team)というニックネームを持つ。由来は、1978年に公開されたカウボーイズのハイライト映画で、ナレーターによる「彼らはテレビに頻繁に出演するので、彼らの顔は大統領や映画スターと同じくらい一般の人々に親しまれています。 彼らはダラス・カウボーイズ、『アメリカのチーム』です。」という台詞である[ 18] 。この用語は一般のファンのみならず、大手のメディアでも度々使用される。
チアリーダー
パフォーマンスを行うダラス・カウボーイズ・チアリーダーズ
チーム公式チアリーダーとして、ダラス・カウボーイズ・チアリーダーズ (Dallas Cowboys Cheerleaders、略称:DCC)が活動している。
元々、カウボーイズでは、声援を送る高校生に観客の応援をリードさせていた。1965年まで高校生たちを率いていたディー・ブロックは、地元の高校生のドリルチームでディレクターを務めるフランシス・ロバーソンに会った際、高校生たちにダンスを指導してほしいと依頼した。1971年 のテキサス・スタジアム の開場もあり、カウボーイズの社長テックス・シュラム はより洗練されたエンターテイメントチームの創設をブロックに求めた。そして、新たに振付師のテクシー・ウォーターマン を採用し、スタイルと影響力、そして派手な星条旗 の衣装をまとい、デビューを果たした。このDCCの誕生が、後にスポーツ界全体のエンターテイメントを変えることになる。チアリーダー結成後、カウボーイズの強さも相まって、DCCの知名度も上昇していく。1975年 シーズンの第10回スーパーボウル では中継を通して7500万人の前でパフォーマンスを行った。のちに、カウボーイズが「アメリカズチーム」と呼ばれたように、その美しさ、スタイル、運動能力、人気から、DCCも「アメリカズ・スウィートハーツ」(America's Sweethearts)と呼ばれるようになる。故にカウボーイズのチアリーダーは本場でも人気が高く毎年世界各国から800人以上がオーディションを受け、倍率は20倍以上になる[ 19] 。
現在では、NFLの行われる秋から冬に留まらず、一年中活動を行っている。日本を含む海外公演も行っており、これまで42か国に跨がる83のUSO ツアーを実施している。2018年には、青と白のDCCのユニフォームが、ポップカルチャーの永久的なシンボルとしてスミソニアン博物館 の国立アメリカ歴史博物館 に展示されることになるなど、NFLのチアリーダーという枠組みを超え、ポップカルチャーとして地位を確立している。試合や公演以外にも、テレビや映画、雑誌など活動範囲は幅広く、バービー とのコラボレーションも行っている。また、社会奉仕活動を第一に掲げていることから、学校、病院、老人ホームの訪問や、青少年ダンスやチアーキャンプの開催も行ってきた。そのほか、救世軍 、アメリカがん協会 、メイク・ア・ウィッシュ財団 、スーザン・G・コーメン などの非営利団体 も支援してきた[ 20] 。
女優のサラ・シャヒ が1999年から2000年まで在籍していたほか、日本人では三田智子 が1998年と2000年[ 21] 、檀上欣子 が2016年、河田侑子 が2016年から2019年まで在籍していた。
2024年シーズン
2024年シーズンのカウボーイズの対戦相手
AFC
NFC
前年
西地区
南地区
北地区
東地区
西地区
南地区
北地区
東地区
1位
チーフス
テキサンズ
レイブンズ
ビルズ
49ers
バッカニアーズ
ライオンズ
カウボーイズ
2位
レイダース
ジャガーズ
ブラウンズ
ドルフィンズ
ラムズ
セインツ
パッカーズ
イーグルス
3位
ブロンコス
コルツ
スティーラーズ
ジェッツ
シーホークス
ファルコンズ
バイキングス
ジャイアンツ
4位
チャージャーズ
タイタンズ
ベンガルズ
ペイトリオッツ
カージナルス
パンサーズ
ベアーズ
コマンダース
:1度対戦 :2度対戦
2024年シーズン及び過去15シーズンの成績
年
成績
NFC
地区
勝
敗
分
率
Div
Con
総得点
総失点
平均得点
平均失点
SOS
SOV
2024
13位
3位
3
5
0
.375
1-0
1-4
171
225
21.4
28.1
.507
.385
2023
ワイルドカード敗退
2位
1位
12
5
0
.706
5–1
9–3
509
315
29.9
18.5
.446
.392
2022
ディビジョナル敗退
5位
2位
12
5
0
.706
4-2
8-4
467
342
27.5
20.1
.507
.485
2021
ワイルドカード敗退
3位
1位
12
5
0
.706
6-0
10-2
530
358
31.2
21.1
.488
.431
2020
レギュラー敗退
12位
3位
6
10
0
.375
2-4
5-7
395
473
24.7
29.6
.471
.333
2019
レギュラー敗退
9位
2位
8
8
0
.500
5-1
7-5
434
321
27.1
20.1
.479
.316
2018
ディビジョナル敗退
4位
1位
10
6
0
.625
5-1
9-3
339
324
21.2
20.3
.488
.444
2017
レギュラー敗退
9位
2位
9
7
0
.563
5-1
7-5
354
332
22.1
20.8
.496
.438
2016
ディビジョナル敗退
1位
1位
13
3
0
.813
3-3
9-3
421
306
26.3
19.1
.471
.440
2015
レギュラー敗退
16位
4位
4
12
0
.250
3-3
3-9
275
374
17.2
23.4
.531
.438
2014
ディビジョナル敗退
3位
1位
12
4
0
.750
4-2
8-4
467
352
29.2
22.0
.445
.422
2013
レギュラー敗退
9位
2位
8
8
0
.500
5-1
7-5
439
432
27.4
27.0
.484
.363
2012
レギュラー敗退
9位
3位
8
8
0
.500
3-3
5-7
376
400
23.5
25.0
.523
.422
2011
レギュラー敗退
10位
3位
8
8
0
.500
2-4
6-6
369
347
23.1
21.7
.473
.375
2010
レギュラー敗退
13位
3位
6
10
0
.375
3-3
4-8
394
436
24.6
27.3
.512
.500
2009
ディビジョナル敗退
3位
1位
11
5
0
.688
4-2
9-3
361
250
22.6
15.6
.488
.438
2024年シーズン成績
NFC東地区 2024
チーム
勝
敗
分
勝率
Div
Con
総得点
総失点
平均得点
平均失点
SOS
SOV
残試合
ワシントン・コマンダース
7
2
0
.778
2-0
5-1
263
189
29.2
21.0
.392
.339
8
フィラデルフィア・イーグルス
6
2
0
.750
1-0
3-2
199
155
24.9
19.4
.394
.333
9
ダラス・カウボーイズ
3
5
0
.375
1-0
1-4
171
225
21.4
28.1
.507
.385
9
ニューヨーク・ジャイアンツ
2
7
0
.222
0-4
1-5
139
202
15.4
22.4
.584
.333
8
ワイルドカード・プレーオフ
ディビジョナル・プレーオフ
2025年1月11日か12日か13日
1月18日か19日
1月26日
2月9日シーザーズ・スーパードーム
6
3
2025年1月11日か12日か13日
7
AFC
2
1月18日か19日
2025年1月11日か12日か13日
AFCチャンピオンシップ
1月26日
5
4
1
2025年1月11日か12日か13日
1月18日か19日
6
第59回スーパーボウル
3
2025年1月11日か12日か13日
7
NFC
2
1月18日か19日
2025年1月11日か12日か13日
NFCチャンピオンシップ
5
4
1
対戦カードはレギュラーシーズン成績に基づくシード順で決定され、上位シードチームのホームで対戦する。そのラウンドに残ったチームの内の最上位シードが最下位シードと対戦するルールであるため、ディビジョナル・プレーオフの対戦カードはワイルドカードの結果により変動する。
スーパーボウル開催地は事前にオーナー会議で決定。その他の試合はシード上位のチームのホームで開催する。
チーム名の左の数字はシード順。
* は延長戦 決着
日付はアメリカ東部時間
成績
NFC東地区(4地区制)
年度
地区優勝
2位
3位
4位
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
2023
DAL(2w)
12
5
0
PHI(5w)
11
6
0
NYG
6
11
0
WAS
4
13
0
2022
PHI(1s)
14
3
0
DAL(5d)
12
5
0
NYG(6d)
9
7
1
WAS
8
8
1
2021
DAL(3w)
12
5
0
PHI(7w)
9
8
0
WAS
7
10
0
NYG
4
13
0
2020
WAS(4w)
7
9
0
NYG
6
10
0
DAL
6
10
0
PHI
4
11
1
2019
PHI(4w)
9
7
0
DAL
8
8
0
NYG
4
12
0
WAS
3
13
0
2018
DAL(4d)
10
6
0
PHI(6d)
9
7
0
WAS
7
9
0
NYG
5
11
0
2017
PHI(1v)
13
3
0
DAL
9
7
0
WAS
7
9
0
NYG
3
13
0
2016
DAL(1d)
13
3
0
NYG(5w)
11
5
0
WAS
8
8
0
PHI
7
9
0
2015
WAS(4w)
9
7
0
PHI
7
9
0
NYG
6
10
0
DAL
4
12
0
2014
DAL(3d)
12
4
0
PHI
10
6
0
NYG
6
10
0
WAS
4
12
0
2013
PHI(3w)
10
6
0
DAL
8
8
0
NYG
7
9
0
WAS
3
13
0
2012
WAS(4w)
10
6
0
NYG
9
7
0
DAL
8
8
0
PHI
4
12
0
2011
NYG(4v)
9
7
0
PHI
8
8
0
DAL
8
8
0
WAS
5
11
0
2010
PHI(3w)
10
6
0
NYG
10
6
0
DAL
6
10
0
WAS
6
10
0
2009
DAL(3d)
11
5
0
PHI(6w)
11
5
0
NYG
8
8
0
WAS
4
12
0
2008
NYG(1d)
12
4
0
PHI(6c)
9
6
1
DAL
9
7
0
WAS
8
8
0
2007
DAL(1d)
13
3
0
NYG(5v)
10
6
0
WAS(6w)
9
7
0
PHI
8
8
0
2006
PHI(3d)
10
6
0
DAL(5w)
9
7
0
NYG(6w)
8
8
0
WAS
5
11
0
2005
NYG(4w)
11
5
0
WAS(6d)
10
6
0
DAL
9
7
0
PHI
6
10
0
2004
PHI(1s)
13
3
0
NYG
6
10
0
DAL
6
10
0
WAS
6
10
0
2003
PHI(1c)
12
4
0
DAL(6w)
10
6
0
WAS
5
11
0
NYG
4
12
0
2002
PHI(1c)
12
4
0
NYG(5w)
10
6
0
WAS
7
9
0
DAL
5
11
0
NFC東地区(3地区制)
年度
地区優勝
2位
3位
4位
5位
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
2001
PHI(3c)
11
5
0
WAS
8
8
0
NYG
7
9
0
ARI
7
9
0
DAL
5
11
0
2000
NYG(1s)
12
4
0
PHI(4d)
11
5
0
WAS
8
8
0
DAL
5
11
0
ARI
3
13
0
1999
WAS(3d)
10
6
0
DAL(5w)
8
8
0
NYG
7
9
0
ARI
6
10
0
PHI
5
11
0
1998
DAL(3w)
10
6
0
ARI(6d)
9
7
0
NYG
8
8
0
WAS
6
10
0
PHI
3
13
0
1997
NYG(3w)
10
5
1
WAS
8
7
1
PHI
6
9
1
DAL
6
10
0
ARI
4
12
0
1996
DAL(3d)
10
6
0
PHI(5w)
10
6
0
WAS
9
7
0
ARI
7
9
0
NYG
6
10
0
1995
DAL(1v)
12
4
0
PHI(4d)
10
6
0
WAS
6
10
0
NYG
5
11
0
ARI
4
12
0
1994
DAL(2c)
12
4
0
NYG
9
7
0
ARI
8
8
0
PHI
7
9
0
WAS
3
13
0
1993
DAL(1v)
12
4
0
NYG(4d)
11
5
0
PHI
8
8
0
PHO
7
9
0
WAS
4
12
0
1992
DAL(2v)
13
3
0
PHI(5d)
11
5
0
WAS(6d)
9
7
0
NYG
6
10
0
PHO
4
12
0
1991
WAS(1v)
14
2
0
DAL(5d)
11
5
0
PHI
10
6
0
NYG
8
8
0
PHO
4
12
0
1990
NYG(2v)
13
3
0
PHI(4w)
10
6
0
WAS(5d)
10
6
0
DAL
7
9
0
PHO
5
11
0
1989
NYG(2d)
12
4
0
PHI(4w)
11
5
0
WAS
10
6
0
PHO
5
11
0
DAL
1
15
0
1988
PHI(3d)
10
6
0
NYG
10
6
0
WAS
7
9
0
PHO
7
9
0
DAL
3
13
0
1987
WAS(3v)
11
4
0
DAL
7
8
0
StL
7
8
0
PHI
7
8
0
NYG
6
9
0
1986
NYG(1v)
14
2
0
WAS(4c)
12
4
0
DAL
7
9
0
PHI
5
10
1
StL
4
11
1
1985
DAL(3d)
10
6
0
NYG(4d)
10
6
0
WAS
10
6
0
PHI
7
9
0
StL
5
11
0
1984
WAS(2d)
11
5
0
NYG(5d)
9
7
0
StL
9
7
0
DAL
9
7
0
PHI
6
9
1
1983
WAS(1s)
14
2
0
DAL(4w)
12
4
0
StL
8
7
1
PHI
5
11
0
NYG
3
12
1
1982
WAS(1v)
8
1
0
DAL(2c)
6
3
0
StL(6w)
5
3
1
NYG
4
5
0
PHI
3
6
0
1981
DAL(2c)
12
4
0
PHI(4w)
10
6
0
NYG(5d)
9
7
0
WAS
8
8
0
StL
7
9
0
1980
PHI(2s)
12
4
0
DAL(4c)
12
4
0
WAS
6
10
0
StL
5
11
0
NYG
4
12
0
1979
DAL(1d)
11
5
0
PHI(4d)
11
5
0
WAS
10
6
0
NYG
6
10
0
StL
5
11
0
1978
DAL(2s)
12
4
0
PHI(5w)
9
7
0
WAS
8
8
0
StL
6
10
0
NYG
6
10
0
1977
DAL(1v)
12
2
0
WAS
9
5
0
StL
7
7
0
PHI
5
9
0
NYG
5
9
0
1976
DAL(2d)
11
3
0
WAS(4d)
10
4
0
StL
10
4
0
PHI
4
10
0
NYG
3
11
0
1975
StL(3d)
11
3
0
DAL(4s)
10
4
0
WAS
8
6
0
NYG
5
9
0
PHI
4
10
0
1974
StL(d)
10
4
0
WAS(d)
10
4
0
DAL
8
6
0
PHI
7
7
0
NYG
2
12
0
1973
DAL(c)
10
4
0
WAS(d)
10
4
0
PHI
5
8
1
StL
4
9
1
NYG
2
11
1
1972
WAS(s)
11
3
0
DAL(c)
10
4
0
NYG
8
6
0
PHI
4
9
1
StL
2
11
1
1971
DAL(v)
11
3
0
WAS(d)
9
4
1
PHI
6
7
1
StL
4
9
1
NYG
4
10
0
1970
DAL(s)
10
4
0
NYG
9
5
0
StL
8
5
1
WAS
6
8
0
PHI
3
10
1
NFL東カンファレンス・キャピトル地区(1967年-1969年)
年
地区優勝
2位
3位
4位
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
1969
DAL(c)
11
2
1
WAS
7
5
2
NO
5
9
0
PHI
4
9
1
1968
DAL(c)
12
2
0
NY
7
7
0
WAS
5
9
0
PHI
2
12
0
1967
DAL(n)
9
5
0
PHI
6
7
1
WAS
5
6
3
NO
3
11
0
NFL東カンファレンス(1961年-1966年)
年
優勝
2位
3位
4位
5位
6位
7位
8位
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
1966
DAL(n)
10
3
1
CLE
9
5
0
PHI
9
5
0
StL
8
5
1
WAS
7
7
0
PIT
5
8
1
ATL
3
11
0
NY
1
12
1
スーパーボウル開始
1965
CLE(n)
11
3
0
DAL
7
7
0
NY
7
7
0
WAS
6
8
0
PHI
5
9
0
StL
5
9
0
PIT
2
12
0
1964
CLE(v)
11
3
0
StL
9
3
2
PHI
6
8
0
WAS
6
8
0
DAL
5
8
1
PIT
5
9
0
NY
2
10
2
1963
NY(n)
11
3
0
CLE
10
4
0
StL
9
5
0
PIT
7
4
3
DAL
4
10
0
WAS
3
11
0
PHI
2
10
2
1962
NY(n)
12
2
0
PIT
9
5
0
CLE
7
6
1
WAS
5
7
2
DAL
5
8
1
StL
4
9
1
PHI
3
10
1
1961
NY(n)
10
3
1
PHI
10
4
0
CLE
8
5
1
StL
7
7
0
PIT
6
8
0
DAL
4
9
1
WAS
1
12
1
NFL西カンファレンス(1960年)
年
優勝
2位
3位
4位
5位
6位
7位
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
1960
GB(n)
8
4
0
DET
7
5
0
SF
7
5
0
BAL
6
6
0
CHI
5
6
1
LA
4
7
1
DAL
0
11
1
主な選手
現役選手
クォーターバック
ランニングバック
ワイドレシーバー
タイトエンド
オフェンシブライン
ディフェンシブライン
ラインバッカー
ディフェンスバック
スペシャルチーム
リザーブリスト
永久欠番
ダラス・カウボーイズ 永久欠番 一覧
背番号
選手
ポジション
在籍期間
なし (カウボーイズには「永久欠番」の制度がない)
カウボーイズには永久欠番の制度がないが、顕著な活躍をした選手の番号が長期間に渡り欠番となる場合がある。ロジャー・ストーバック の12番、トロイ・エイクマン の8番、エミット・スミス の22番は、彼らが退団した後は誰も付けていない。
永久欠番の代わりに、顕著な活躍をした選手及び関係者を表彰する「リング・オブ・オナー(Ring of Honor)」という制度がある。
プロフットボール殿堂入り
トロイ・エイクマン
マイク・ディトカ
マイケル・アービン
ディオン・サンダース
エミット・スミス
ロジャー・ストーバック
レイフィールド・ライト
テレル・オーウェンス
Ring of Honor
その他の有名選手
歴代ヘッドコーチ
トム・ランドリー
バリー・スウィッツァー
ウェイド・フィリップス
ジェイソン・ギャレット
マイク・マッカーシー
応援歌
1961年から1990年半ば頃まで、ダラス・カウボーイズの公式応援歌はトム・メリマン・ビッグバンドの楽曲「"Cowboys Stampede March"」であり、テキサス・スタジアム で流されていた[ 22] 。
DJのジョージ・ギマークによると、チームのゼネラルマネージャー であったテックス・シュラムの私物のレコードにあったもので、チーム創立直後からチームに合う曲を探していた。最終的に1960年代からこの曲が流されるようになった[ 23] 。
近年ではウィズ・カリファ の楽曲「"We Dem Boyz "」に「"How Bout Dem Cowboys"(カウボーイズはどうだ)」という文言が含まれることから守備冒頭に流されている。ホームゲームでチームがタッチダウンを決めるごとに汽笛の後にバーニング・オブ・ローマの楽曲「"Cowboys and Cut Cigars"」が流される[ 24] [ 25] 。
脚注
関連項目
外部リンク
球団 歴代本拠地 文化 永久欠番 リーグ優勝 (5回) カンファレンス優勝 (10回) 地区優勝 (23回) できごと 所属
1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
年代の分類は初先発のシーズンによる