将官に対する敬称は、階級の区別なく「将軍」(General)である。准将は副師団長を務める。少将は師団級部隊(10,000 - 15,000名程度)の部隊長を務めることが多い。中将は軍団級部隊(20,000 - 45,000名程度)の部隊長を務めることが多い。大将は平時における陸軍の最高位の階級で、通常は30年以上の勤務を経て任官される。大将は担当地域で展開される全ての作戦に責任を持つ。また、陸軍参謀総長を務めるのも大将である。元帥は常設された階級ではなく、戦時において他国軍指揮官との釣り合いを取る必要が生じた場合に任命される。元帥の階級を保持した将校が勤務した直近の事例は、第二次世界大戦中、及びその直後である[8]。元帥よりさらに上位の階級として、陸軍大元帥(General of the Armies of the United States)がある。議会からこの階級を贈られたのは、歴史上ジョン・パーシング(1919年)とジョージ・ワシントン(1976年追贈)の2名のみで、存命時にこの階級を帯びたのはパーシングのみである[9]。
独立戦争当時、大陸会議では大陸軍を紛争解決までの一次的な軍事力と捉え、指導部は簡素であるべきとする見方が有力であった。その為、大陸軍の将官は総司令官、少将、准将の3階級制であった。ワシントンは大陸会議に対して中将の設置を少なくとも2度提案しているが、いずれも拒否されている。少将および准将と異なり、ワシントンの命令に総司令官の階級章についての規定はなかったものの、彼自身は中将相当の3つ星の肩章を身に付けていたと伝えられている。終戦後の1783年12月23日には総司令官を辞したが、1798年の擬似戦争に際した動員の折、ワシントンはジョン・アダムズ大統領によって中将に任命された。従って、ワシントンはアメリカ陸軍の歴史における最初の中将である[10]。ワシントンの職は「合衆国全軍の総司令官たる中将」(Lieutenant-General and Commander in Chief of all the Armies raised or to be raised in the United States)とされていた。1799年3月3日、議会において「陸軍総司令官(Commander of the Army)は大元帥(General of the Armies of the United States)を以って任命され、中将は将来的に廃止される」という旨が議決されたが、結局ワシントンは大元帥の階級が贈られるより先に中将のまま死去することとなる[11]。1800年、大元帥の階級は一時停止され、以後1919年まで任命されることはなかった[9]。
大将相当の4つ星の将官となった最初の将校は、のちに大統領を務めたユリシーズ・グラントである。1866年7月25日、中将より上位の大将(General of the Army of the United States)なる階級が新設され、同日中にグラント中将へと贈られた。大将の階級章は当初4つ星とされていたが、後に2つ星と国章をあしらったデザインに改められた。大将の階級はその後グラントの後任として陸軍総司令官となったウィリアム・シャーマンにも贈られ、1891年の彼の死によって消滅した。1883年にシャーマンの後任となったフィリップ・シェリダン中将は制度上昇進が認められていなかったものの、1888年に制度が改められ、中将の階級は停止された上で大将の階級へと統合された。シェリダンは現役の大将として同年中に死去し、この際に大将の階級は停止された[9]。現代的な意味合いの4つ星の大将(General)は、第一次世界大戦頃に設置された。1944年には5つ星の元帥(General of the Army)が制度として定められた。
原則として、兵卒の階級は、陸軍入隊後の総勤務期間(time in service, TIS)と、ある階級における階級勤務期間(time in grade, TIG)に応じて自動的な進級が認められている。PV1の二等兵は6ヶ月勤務すればPV2の二等兵に昇進する。続いて12ヶ月間のTISと4ヶ月間のTIGを以って一等兵に進級する。一等兵は24ヶ月のTISと6ヶ月のTIGによって特技兵への進級が認められる。ただし、軍法会議での有罪判決や身体能力の不足、あるいは本人の進級拒否申請などによって、進級の権利が取り消されることもある。また、逆に部隊長などの命令による特例的な進級が認められる場合もある。特別に定められた専門技能課程などを修了すれば、必要なTISやTIGが短縮される。兵卒の進級については、中尉以上の階級にある中隊等の部隊長が責任を負っている[18]。