アメリカ欧州・アフリカ陸軍 (アメリカおうしゅう・あふりかりくぐん、United States Army Europe and Africa : USAREUR-AF )は、アメリカ欧州軍 (EUCOM)及びアメリカアフリカ軍 (AFRICOM)の管轄 に対応するアメリカ陸軍 の陸軍統合軍構成コマンド で戦域 陸軍[2] 。かつては、陸軍の野戦軍 としては第7軍 (だいななぐん、Seventh U.S. Army )として知られていた。
冷戦 中は、北大西洋条約機構 (NATO)の中央陸軍集団 (CENTAG)の一部として、主に東側であったワルシャワ条約機構 に対応していた地上部隊の監督にあたった。1989年以降のアメリカの大規模な軍縮の過程では、対テロ戦争 に参加し、湾岸戦争 やコソボ紛争 に部隊を派遣し、他のNATO地上部隊との安全保障協力の強化にあたった。
2020年、アメリカ陸軍 は、アメリカアフリカ陸軍 とアメリカ欧州陸軍を統合し、新たな司令部としてアメリカ欧州・アフリカ陸軍を創設すると発表した[3] 。2つの部隊は、2020年11月20日に統合された[4] [5] 。
沿革
第二次世界大戦
アメリカ欧州・アフリカ陸軍の起源は、1943年 から1945年 に第二次世界大戦 のヨーロッパ戦域全域の作戦の指揮について権限を有したアメリカヨーロッパ作戦戦域 陸軍(ETOUSA)まで遡る。ETOUSAは、陸軍地上軍 (現在の陸軍総軍 )、陸軍航空軍 (現在のアメリカ空軍 )、及びイタリア北部と地中海 沿岸に展開していた陸軍支援軍 の作戦指揮を執っていた。なお、ヨーロッパ戦域は、南側側面でアメリカ北アフリカ作戦戦域陸軍(NATOUSA)と接していたが、これは後にアメリカ地中海作戦戦域 陸軍(MTOUSA)に再編されている。
そもそも「作戦戦域」という用語は、アメリカ陸軍 のフィールドマニュアルにおいて「軍事作戦と、それに付随する行政活動の実施に必要な地域で、侵略又は防衛されるべき陸上及び海上の区域」と定義されていた。第一次世界大戦 の経験によると、作戦戦域は、継続的な作戦が実施される地上の大規模な区域と考えられ、現に戦闘が行われている地域又は活発に戦闘 が発生する地域及びコミュニケーション・ゾーン (通信、補給、退避のための施設及び野戦部隊の即時支援、維持に必要なその他の機関が展開する作戦戦域の後方の区域)と戦域の管理に必要な区域の2つの主要なエリアに分割されていた。軍隊が進化するにつれて、こういった戦域の分割の考え方がなくなり、新たに単一の地理的な支配地域へと移行した。
1945年5月8日にヨーロッパ戦域での戦闘が終結したとき、ETOUSA司令部はパリ郊外のヴェルサイユ宮殿 に置かれていた。ドワイト・D・アイゼンハワー 司令官と参謀は、ドイツ占領の準備を開始し、参謀の一部がフランクフルト に移動した。フランクフルトでは、連合国遠征軍最高司令部 とアメリカ軍政局と共同で任務にあたった。1945年7月1日、ETOUSA司令部がフランクフルトにおいて、アメリカ軍ヨーロッパ戦域(HQ USFET)司令部に改称された。
終戦時、ヨーロッパには240万人のアメリカ陸軍が展開していた。2個の軍集団 (第6軍集団 、第12軍集団 )、5個の野戦軍 (第1軍 、第3軍 、第5軍 、第7軍 、第9軍 )、13個の軍団 、62個の戦闘師団 (歩兵 43個、機甲 16個、空挺 3個)、戦車 及び装甲戦闘車 11,000両であった。
このうち第7軍がヨーロッパにおけるアメリカ領西部、第3軍が東部の占領を担当した。1945年11月、この2個の野戦軍司令官は、共同で騎兵 部隊を中心として「地区警察」組織を設置した。1946年3月にドイツで第7軍が解散した。1946年5月1日、この地区警察組織がバンベルク でアメリカ警察局 に再編された。1947年、第3軍がアメリカに帰還した。それ以来、1950年代初頭まで、アメリカ占領軍は、第1歩兵師団 を基幹として、数個の歩兵連隊及び10個騎兵連隊から成るアメリカ警察局が中核となっていた。
冷戦以降
1957年の欧州における主要なアメリカ陸軍司令部の位置。
1980年代のアメリカ欧州陸軍の第5軍団と第7軍団の位置。
1947年3月15日、アメリカ軍ヨーロッパ戦域司令部は、アメリカ欧州コマンド(EUCOM)に再編された。名称に「陸軍」は含まれないものの、欧州コマンド司令部がアメリカ軍 統合欧州コマンドにおける陸軍司令部であり、当初はアメリカ地上・支援陸軍ヨーロッパ司令部と呼ばれていた。なお、このEUCOMは、名称こそ同じものの1952年8月1日に創設された統合軍 のアメリカ欧州軍 (USEUCOM)とは別である。
1948年2月から6月にかけて司令部はハイデルベルク のキャンベル・バラックス に移転し、2013年まで置かれていた。
1947年11月15日、アメリカ欧州コマンドは、アメリカ陸軍省 の新たな命名規則に従いアメリカ欧州陸軍(USAREUR)に改名された。USAREURは、連合国遠征軍最高司令部 アメリカ軍政局 の管轄とされた事項以外において、戦闘部隊及び支援部隊の指揮官に、組織管理及び兵站支援に必要な機能を提供することとされた。なお、同様に在欧アメリカ空軍 、在欧アメリカ海軍も設置されている。EUCOM司令部の参謀及び職員は、引き続きUSAREURの参謀及び職員を務めた。また、USAREURのクラレンス・R・ヒューブナー 司令官は、高い規律基準の確立と維持を求めた。
1948年6月24日、ソ連が連合国の支配下にある西ベルリン への鉄道と道路を遮断し、ベルリン封鎖 が始まった。ベルリン市内の勢力は、50対1の比率で連合国軍が圧倒していたが、ドイツのアメリカ占領地域を統括していたクルシウス・D・クレイ 司令官は、ベルリン空輸の発動を命令した。ヴィースバーデン陸軍飛行場 に司令部を置いていた連合軍は、1949年5月12日に封鎖が解除されるまで、包囲された都市に1日当たり約9,000トンの物資を供給し続けた。
1948年から1950年にかけて冷戦 の緊張が高まり、1950年6月に朝鮮戦争 が勃発すると、ヨーロッパの東西の緊張が高まった。1950年11月、第7軍は、ドイツ・シュトゥットガルト で再編成された。西ドイツの主権回復後もドイツ駐留を継続し、北大西洋条約機構 ドイツ防衛部隊におけるアメリカ陸軍の主力部隊となった。冷戦中の大部分のあいだ、第7軍は、第5軍団 と第7軍団 の2個軍団を基幹として編成されており、1962年6月の時点で、計277,342名の将兵が所属していた。1967年、第7軍はアメリカ欧州陸軍と合併した。
冷戦の終結により、欧州軍はその兵力を削減されることとなったが、その前に、第7軍は、湾岸戦争 に参加することとなった。第7軍を構成していた部隊のうち、第7軍団は湾岸戦争に参加した後、ドイツに戻ることなくそのままアメリカ本土に帰還した。一方、第5軍団は第7軍の主力部隊としてヨーロッパに留まることとなった。
1990年代、第7軍はボスニア・ヘルツェゴビナ紛争 およびコソボへの平和維持任務を担当した。この間、第5軍団隷下に、由緒ある部隊である第173空挺旅団が再編成された。
第7軍は、2003年のイラク戦争 において大きな関与をなした。第5軍団司令部はイラクに進出し、第7軍も戦時編成に入った。第173空挺旅団と第1機甲師団は2004年までにイラクから撤収したが、第1歩兵師団は占領任務のために残された。
米軍再編 において、第5軍団の主力部隊であった第1歩兵師団と第1機甲師団はヨーロッパを去ることとなり[6] これら2個師団のかわりに第2騎兵連隊(ストライカー旅団戦闘団)と第12戦闘航空旅団が配属された。これにより、第5軍団の戦力はかなり削減されたことから、第5軍団としての組織を解体して、これらの旅団級部隊は欧州陸軍(第7軍)の直轄下とすることも検討された。しかし一時期、第5軍団の隷下には、さらに2個の重旅団戦闘団(第170歩兵旅団および第172歩兵旅団)が配属され、第5軍団は、2個重旅団戦闘団と1個ストライカー旅団戦闘団、1個歩兵旅団戦闘団から編成されていた。
また、欧州陸軍の司令官ポストは長らく大将(4つ星)が補職されてきたが、2011年3月、当時の司令官であるカーター・ハム 大将のアフリカ軍 司令官転出に関連する補職人事で、基礎軍事訓練担当陸軍訓練教義軍団副司令官のマーク・ハートリング 中将が昇任なしで新たに司令官に補職された。これにより、欧州陸軍は中将(3つ星)クラスが指揮する部隊へ事実上縮小・格下げされたことになる。その後2013年には、以前検討されたように第5軍団は閉隊された。
2018年1月18日に司令官に指名されたクリストファー・G・カヴォリ 大将の補職により、再び大将(4つ星)のポストになった。2020年に、アメリカアフリカ陸軍 と統合され、新たにアメリカ欧州・アフリカ陸軍(USAREUR-AF)となった。
第5軍団の再編制とロシアのウクライナ侵攻
2020年2月11日、アメリカ陸軍省 は、司令部部隊として第5軍団 を再編制すると発表した。司令部には、約635人の兵士が所属し、そのうち約200人がヨーロッパにおける陸軍 の作戦指揮所の支援にあたることになった。ジェームズ・C・マッコンビル 参謀総長 は、2020年10月1日にポーランドのポズナン に第5軍団前方司令部を設置すると発表した[7] 。630人の兵士のうち、200人が交代制でポズナンに駐留する予定である[8] [7] [9] 。
ヨーロッパによけるアメリカ軍 の指揮系統を追加し、強化するために、2022年3月7日、第5軍団司令部はドイツに展開し、すでにヨーロッパに展開していた前線部隊と合流した。また司令部は、ヨーロッパにおける強力な存在感を示すために、軍団が緊急展開能力を獲得し、北大西洋条約機構 (NATO)東側側面を強化するために進行中の任務を支援し、ヨーロッパ大陸全体での多国籍演習を調整することを可能にすることを任務としている。この第5軍団司令部の展開は、2022年ロシアのウクライナ侵攻 に対応するためのものである[9] 。2023年3月21日に、ポーランドのポズナンに第5軍団前方展開司令部の常設基地として、キャンプ・コシチュシュコ が開設された[10] 。
編制
2018年時点の編制図
支援部隊
アメリカ陸軍NATO旅団
第66軍事情報旅団
第207軍事情報旅団
第2通信旅団 、ヴィースバーデン
第405陸軍野戦支援旅団
第409契約支援旅団
第598輸送旅団、センバッハ
インストール管理コマンド-ヨーロッパ
ヨーロッパ駐屯地支援班
シュトゥットガルト陸軍駐屯地業務隊
ラインラント=プファルツ陸軍駐屯地業務隊
イタリア陸軍駐屯地業務隊
ベネルクス陸軍駐屯地業務隊
アンスバッハ陸軍駐屯地業務隊
バイエルン陸軍駐屯地業務隊
地域保健コマンド-ヨーロッパ
ランツトゥール地域衛生センター
衛生部隊活動-バイエルン
公衆衛生コマンド-ヨーロッパ
歯科衛生コマンド-ヨーロッパ
歴代司令官
関連項目
脚注
^ Command Sgt. Maj. Jeremiah E. Inman
^ “The U.S. Army Command Structure ”. US Army. 2022年6月27日 閲覧。
^ Lucas, Ryan (2020年10月1日). “Army Consolidating Europe, Africa Commands” . Association of the United States Army . https://www.ausa.org/news/army-consolidating-europe-africa-commands 2020年10月1日 閲覧。
^ “U.S. Army Europe and Africa Commands consolidate ”. Army.mil (2020年11月20日). 2020年11月21日 閲覧。
^ “U.S. Army Europe and Africa Command Biography ”. U.S. Army Europe and Africa . 2022年6月27日 閲覧。
^ なお、第1歩兵師団は統合戦力軍 に配属替えされたが、第1機甲師団は、アメリカ本土に駐屯しているものの、指揮系統上は、依然として第5軍団の隷下にあった。
^ a b Rempfer, Kyle (2020年8月5日). “Army's resurrected V Corps will go to Poland” . Army Times. https://www.armytimes.com/news/your-army/2020/08/04/armys-resurrected-v-corps-will-go-to-poland/ 2020年8月10日 閲覧。
^ “US Army names head of V Corps HQ to be based in Poland” . The Associated Press. (2020年8月4日). https://abcnews.go.com/International/wireStory/us-army-names-head-corps-hq-based-poland-72169695 2020年8月10日 閲覧。
^ a b U.S. Army V Corps Headquarters (9 September 2020) V Corps Headquarters (Forward) in Poland to be located in Poznan
^ “ついにポーランドへ米軍の“常設”駐屯地が開設 「攻められるもんなら攻めてみろ」? ”. 乗りものニュース (2023年3月23日). 2023年9月28日 閲覧。
フレデリクセン, オリバー・J (1953). The American Military Occupation of Germany 1945 – 1953 . ダルムシュタット: アメリカ欧州軍歴史課
参考文献
ドナルド・A・カーター:"Forging the Shield: The U.S. Army in Europe 1951–1962"
外部リンク
政府
一般情報
欧州陸軍
第5通信集団 第21戦域支援集団
第16支援旅団
第18工兵旅団
第18憲兵旅団
第405野戦支援旅団
第409契約支援旅団
第7民事支援集団
欧州海軍
CTF-60
CTF-61
CTF-62
CTF-63
CTF-64
CTF-67
CTF-68
CTF-66/69
欧州空軍
第3空軍
第31戦闘航空団
第48戦闘航空団
第52戦闘航空団
第86輸送航空団
第100空中給油航空団
欧州海兵隊