アサヒカメラとは、朝日新聞出版(2008年3月までは朝日新聞社)から刊行されていたカメラ・写真に関する雑誌。
1926年に創刊。前年に開催された『アサヒグラフ』主催「ニエプス写真百年祭」で、アマチュア写真家団体の統一組織として全日本写真連盟の設立が提案され、その機関紙として企画された経緯がある。
初代編集長は『アサヒグラフ』写真面を担当していた成沢玲川であり[2][3]、成沢は写真家立木義浩の伯父にあたる[4]。
写真作品を紹介するページもあるが、鑑賞よりもむしろ「撮影」、すなわち写真機材や撮影技術の紹介に重点が置かれており、休刊までそのスタイルで一貫していた。
第二次世界大戦中の1942年に一時休刊するも、戦後の1949年10月号から復刊した。復刊後の編集長は津村秀夫(7年間)。2018年現在の編集長は佐々木広人[5][6]。
長年にわたる部数低迷に加え、2020年には新型コロナウイルス感染症の流行の影響から広告収入が激減したことに伴い、発行を維持することが困難となり、同年6月19日発売の同年7月号を持って休刊することとなった。これにより現存する定期刊行の写真雑誌としては最古となる94年の歴史に幕を下ろした。今後は朝日新聞出版のニュースサイト「AERA dot.」で記事を配信するとともに、増刊やムックは発行を予定しているほか、木村伊兵衛写真賞は引き続き朝日新聞社・朝日新聞出版の共催で続けていくとしている[7]。最終号の特集は「構図は名作に学べ!」であった[8]。
朝日新聞社主催による写真の賞で、プロ・アマ・年齢を問わず、毎年1月から12月までに雑誌・写真集・写真展などに発表された作品を対象とし、写真の創作・発表活動において優れた成果をあげた新人に贈られる。受賞発表・選考内容等は毎年3月発行の本誌に掲載される。
1995年からその年の1月号の表紙、及び、巻頭グラビアの撮影を篠山紀信が担当している。
モデル名については該当雑誌内に表記が通り記述。巻頭グラビア・目次・撮影ノートにもモデル名の掲載が無き場合、“記載なし”とした。
但し例外的ではあるが1997年はモデル名の記載がなかったが、本文に“アトランタ五輪・TOTO国際スーパー陸上”とあり、モデルを特定する重要な情報としてこれを記載した。
また、2018年は“<人形協力>4woods、早乙女トトロ、七彩”とあり、人間モデルではないが人形を特定する重要な情報としてこれを記載した。4woodsはラブドール製造メーカー、早乙女トトロはラブドールレンタル店 エロエロ天使店主、七彩はマネキン人形製造メーカーである。
アサヒカメラの編集で、第二次世界大戦前から断続的に年鑑が刊行されている。例えば「日本写真年鑑」、「アサヒカメラ年鑑」、「カメラブック」などである。刊行時期により、その内容は大きく異なる。
刊行は2011年以降休止されている。
アサヒカメラを名称に付けた、写真撮影に関する書籍を積極的に刊行している。例えば、次のようなものが存在する。
戦前(第二次世界大戦終了まで)のアサヒカメラの「巻」は、1年の前半(1月号 - 6月号)と後半(7月号 - 12月号)で異なっている。そのようにしていた理由は不明である。なお、「巻」と刊行時期の対応は具体的には以下のとおり。
戦前の期間では全部で193号(193冊)が刊行されている。ただしそれ以外に「臨時増刊」も適宜刊行されている。臨時増刊の具体例は以下のとおり。
※基幹局のみ記載