『ペエスケ』は1979年1月4日から1992年6月27日まで朝日新聞の夕刊(統合版のみの配達地域及び国際衛星版は朝刊)で連載されていた4コマ漫画である[1]。作者は園山俊二。朝日新聞夕刊に連載されていたサトウサンペイの「フジ三太郎」が、「サザエさん」休載後に四コマ漫画不在となっていた朝刊へ移動するのに伴い、新たに夕刊連載の四コマ漫画としてスタート。しかし、作者・園山の病状悪化に伴い、1992年6月27日、3,764回目の掲載を最後に休載、未完のまま半年後の園山の死により絶筆となった[2]。
1990年にはアニメ化がされた。
「フジ三太郎」と同じサラリーマン漫画だが、新聞漫画には珍しいストーリー4コマで、連載が進むにつれ登場人物が年をとるのが特徴である。ちなみに主人公・ペエスケこと平野平助は、1979年1月の登場時は卒業間近の大学生で、最初の3ヶ月はキャンパスライフやバイトに精を出す貧乏学生としての姿も若干は描かれていた。その後同年4月に新入社員となったのを機に本格的サラリーマン漫画へ移行、やがて将来の妻・ヒロコや愛犬ガタピシ等の出会いにより徐々にファミリー漫画の様相へ、と時間を追うごとにスタイルも少しずつ変化していった。
園山は、当初は新聞の四コマ漫画という事で、先輩格のサトウサンペイ『フジ三太郎』を意識しすぎるあまり、政治や時事といった話題を織り込まねばならないのかと苦悩した時期もあったとの事だが、ガタピシの登場後、その愛らしい表情やほのぼのとした雰囲気が評判となったため、後に自身もガタピシにより救われたとコメントしている。こうした園山らしい平和でほのぼのした世界観が新聞漫画の範疇を超えた人気を集めたが、作者の急死により絶筆となったことは広く惜しまれた。
ちなみにサトウが病気で『三太郎』が休載した時、ペエスケが入院中の三太郎を見舞いに行く話を園山が描いた。ところがサトウは復帰すると『三太郎』で同じシチュエーションの続編を描き、園山もこれを受けて作品で応答したので、朝刊と夕刊のどっちに、どっちの作者がどっちの作品を描いているのか、混乱し兼ねない状況が暫く続いた事がある。これもコラボレーションの一種と言える。
1990年4月から1991年3月まで、『ガタピシ』のタイトルでテレビ朝日にて帯番組として放送された。全199話。株式会社三貴(ファニィ名義)の一社提供。アニメと実写による2パート構成となっている。関東ローカルだったが、後にテレ朝チャンネルでも放送された。実写コーナーの番組ナビゲーターとして西村知美を起用していた。
なお、18時50分枠で帯のアニメが放送されたのは藤子不二雄劇場・「忍者ハットリくん」(1987年9月まで単独番組として放送。同10月-12月は「パオパオチャンネル」の枠内でのフロート番組で金曜のみ継続)以来である。(1987年10月-1989年3月の「パオパオチャンネル」の枠でも藤子不二雄のアニメ作品は放送されていたが、日替わりであった)
前者は、オープニングとして流れており、後者は逆にエンディングとして流れていた。主題歌が変わると冒頭では「ガタピシー」と声をかけられたらガタピシが一回吠えるものとなっていた。
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