津村 秀夫(つむら ひでお、1907年8月15日 - 1985年8月12日)は、日本の映画評論家。父は法学博士津村秀松、弟は詩人の津村信夫、長男は俳優の津村鷹志[1]。
兵庫県神戸市出身、第七高等学校卒業。1931年東北帝国大学独文科卒[2]。
朝日新聞社に入社し、同紙の映画批評欄を担当、「Q」の名で映画評を書く。芸術としての映画を論じたさきがけである。1937年上期の池谷信三郎賞を受賞。『文学界』1942年10月号に掲載された座談会「近代の超克」の出席者の一人としても知られる。
戦後は1949年10月号からの復刊『アサヒカメラ』編集長に(7年間)。同誌の顧問に伊奈信男、金丸重嶺、木村伊兵衛、渡辺義雄を迎える。
退職後は映画評論家として「週刊朝日」などで執筆する傍ら、毎日映画コンクールの選定委員、財団法人都民劇場理事などを務めた[2]。1962年慶応義塾大学、共立女子大学講師[2]。1973年、紫綬褒章[2]。
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