島崎 俊郎(しまざき としろう、本名同じ、1955年〈昭和30年〉3月18日 - 2023年〈令和5年〉12月6日)は、日本のお笑いタレント、リポーター、タレント、俳優。血液型A型。身長175 cm、体重85 kg。所属事務所はケイダッシュステージ(芸人部門では最古参である)。元ヒップアップのリーダー。
高知県高知市生まれ、京都府京都市左京区育ち。京都府立洛北高等学校卒業。
来歴
高知県で4人兄弟の末っ子として生まれ[1][2]、小学4年生まで高知に住み[2]、その後、父親の仕事の都合で京都へ引っ越す。京都市立洛北中学校入学の際、野球部に入部するつもりでグランドに出ると野球部員が3,4人しかおらず、人だかりができているサッカー部に入部する。洛北高校1年のときに京都選抜チームに選ばれ、インターハイに出場した。
1973年、(当時18歳)バッグ1つで京都を飛び出し、クレージーキャッツが公演している新宿コマ劇場(クレージーキャッツ秋の特別公演「クレージーの大昭和史」)へ向かう。ハナ肇に志願し、クレージーキャッツの付き人となる。1978年、クレージーキャッツの付き人4人に川上泰生を加え、コントグループ「サンズンズ」を結成。1979年、川上泰生、小林すすむらとコントトリオ「ヒップアップ」を結成。1980年、『笑ってる場合ですよ』『君こそスターだ』で勝ち抜き、人気が急上昇。翌年には、オレたちひょうきん族レギュラーに抜擢される。
1985年2月2日、『オレたちひょうきん族』「タケちゃんマン7」で、現在の「アダモちゃん」の基盤となる「マネー島崎」が登場。以降、「ペーイ」と叫びながら暴れ回る謎のポリネシア人「アダモステ」となり、人気を得た。
1986年、ある番組の「闇夜のサンコンを探せ」という企画で将来、親友となるオスマン・サンコンと出会う。1990年、埼玉のデパートの営業で司会をやっていた女性と出会い、婚約。1991年2月23日、結婚。東京プリンスホテル鳳凰の間にて披露宴が行われた。1993年、長男誕生、1996年、次男誕生。
2007年から2009年にかけて、南原清隆、野村万蔵らと現代狂言に出演。
2023年12月6日、急性心不全により東京都の病院で死去した[3][4]。68歳没。数日前からインフルエンザに罹患したことにより体調不良となり、自宅で療養していたが、6日に体調が急変し自宅で倒れ救急搬送された病院で死亡が確認された[3]。ブログの最後の更新日は亡くなる3ヶ月前に当たる9月4日であった[5]。
人物
- 明石家さんまによると、1歳サバを読んでいたらしい[6]。
- テレビリポーターのほか、舞台や映画でも活躍していた。また、自らのバンド「新橋烏森口バンド」を結成し、アコースティックな構成で作詞作曲活動も行っていた。芸能人サッカーチーム「ザ・ミイラ」のメンバーでもあった。
家族
出演
ヒップアップ時代の出演番組・作品はヒップアップの出演項目を参照。
バラエティー番組
ラジオ
テレビドラマ
映画
Vシネマ
- 日本統一外伝 山崎一門9 〜世にも奇妙な山崎一門〜(2023年8月25日)
CM
DVD
CD
- 茶パツが雨にしみた夜(NECアベニュー、1997年5月21日) - 「キャサリンとメアリー」名義。マハラジャグループのチーフDJ「DJ Jack」こと輪島壽とのデュエット。作詞・作曲:島崎俊郎、編曲:鈴木英利、バックコーラス:為我井絵理(キーモンズ)、稲端江梨子(キーモンズ)
- アダモでガングロ(プライムアトラス、2000年6月21日)
- みんな★ガンバレ!(ランニング音楽出版、2001年11月25日)
- アダモちゃんのテーマ(イーネット・フロンティア、2009年7月8日) - 作詞・作曲:アダモちゃん、唄:アダモちゃんファミリー、アレンジ:寺岡呼人、ダンス振付:前田健
舞台
本
- パパイヤランド アダモちゃんの大冒険(オークラ出版、2000年8月1日)
連載
脚注
注釈
- ^ 一家で屋久島に移住する企画で出演していたが、同番組のスタッフが不祥事を起こした影響から番組が打ち切りとなったため、移住企画は終了し一家は帰京している。
出典
外部リンク
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