四日市市立富洲原小学校(よっかいちしりつ とみすはらしょうがっこう)は、三重県四日市市富州原町(富洲原地区富田一色甚五兵衛町自治会区域)にある公立小学校。
校名は、旧三重郡富洲原町を前身とする地区名の「富洲原」に由来する。
富洲原小学校は、平成期になり1学年3クラス100人前後の少人数となったが、かつて団塊の世代が在学していた伊勢湾台風の被害があった頃までは、三重県第2位の規模の1学年で7クラス300人以上の児童がいて、全校で約2000人の児童がいるマンモス校であった。少子化の進行と富田一色地区の急激な人口減少と東洋紡績富田工場社宅の宮町自治会の消滅が児童数減少の要因である。卒業生の多くは四日市市立富洲原中学校へ進学する。富洲原小学校を卒業した35年後(年齢が47歳となった年)に講堂で開催される富洲原小学校の同窓会の名称は「三錨会」である。
1960年(昭和35年)に制定された校歌。
1935年(昭和10年)4月に建設工事が開始され、1936年(昭和11年)3月に施工となった。皇太子明仁親王誕生の祝賀記念事業(伊勢新聞の昭和9年2月9日の記事を参考)として実施された。
富田一色村時代
天ヶ須賀村時代
富洲原村〜富洲原町〜四日市市富洲原地区時代
平田家(平田紡績家)
生川家(富田一色地区)
宗村家(平田紡績家・暁学園教育者)
国会議員
医師
実業家
スポーツ選手
通学地区
四日市市内の次の町
四日市市立大矢知興譲小学校との共同学区