吉井 信宝(よしい のぶとみ、1876年(明治9年)5月25日 - 1923年(大正12年)11月14日[1])は、戦前日本の華族(子爵)。吉井子爵家(旧吉井藩主鷹司松平家)13代当主。
吉井藩最後の藩主である吉井(松平)信謹を父として生まれる。信謹は明治12年(1879年)に隠居して満3歳の信宝に家督を譲り、自身は実家の旧米沢藩主上杉家の籍に戻った。明治17年(1884年)7月8日、信宝は子爵に叙せられた。
本荘(松平)宗武の娘である喜和と結婚した。
脚注
- ^ 『平成新修旧華族家系大成』
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紀伊徳川家 (宗家) |
頼宣1619-1667 | 光貞1667-1698 | 綱教1698-1705 | 頼職1705 | 吉宗1705-1716 | 宗直1716-1757 | 宗将1757-1765 | 重倫1765-1775 | 治貞1775-1789 | 治宝1789-1824 | 斉順1824-1846 | 斉彊1846-1849 | 慶福1849-1858 | 茂承1858-1906 | 頼倫1906-1925 | 頼貞1925-1954 | 頼韶1954-1958 | 剛1958-1965 | 宜子1965-現在
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御連枝 (松平家) |
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