松平 信充(まつだいら のぶみつ)は、上野吉井藩の第6代藩主。鷹司松平家8代。
安永2年(1773年)9月20日、第4代藩主・松平信明の次男として生まれる。
寛政元年(1789年)に第5代藩主・松平信成の養子となる。寛政4年(1792年)4月1日、将軍徳川家斉に拝謁する。寛政5年12月16日(1794年1月17日)、従五位下・大蔵大輔に叙任する。後に左兵衛督に改める。寛政12年(1800年)2月13日、陞従四位下、信成の隠居にともない家督を継いだ。同年12月16日、侍従に任官した。しかし3年後の享和3年(1803年)2月9日(表向きには2月30日)に死去した。享年31。
跡を養子の信敬(信成の実子)が継いだ[2]。
系譜
父母
正室
養子
脚注
- ^ 「明治二十六年正月 吉井藩主系図」(『群馬県史 資料編9(近世1 西毛地域1)』(群馬県、1977年)p.175)。同資料によれば、没年齢の29歳は「表向」(官年)とされる。
- ^ 「明治二十六年正月 吉井藩主系図」(『群馬県史 資料編9(近世1 西毛地域1)』(群馬県、1977年)p.176)
鷹司松平家第8代当主(1800年 - 1803年) |
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紀伊徳川家 (宗家) |
頼宣1619-1667 | 光貞1667-1698 | 綱教1698-1705 | 頼職1705 | 吉宗1705-1716 | 宗直1716-1757 | 宗将1757-1765 | 重倫1765-1775 | 治貞1775-1789 | 治宝1789-1824 | 斉順1824-1846 | 斉彊1846-1849 | 慶福1849-1858 | 茂承1858-1906 | 頼倫1906-1925 | 頼貞1925-1954 | 頼韶1954-1958 | 剛1958-1965 | 宜子1965-現在
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御連枝 (松平家) |
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鷹司松平家 吉井藩6代藩主 (1800年 - 1803年) |
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菅沼家 | |
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堀田家 | |
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鷹司松平家 | |
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