人工知能の歴史
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人工知能の歴史 は、古代 の神話における神のごとき名工が、人工物に知性 や意識 を授けたという逸話にまでさかのぼることができると言われる。英文学 修士 であり技術哲学 ・科学哲学 の作家 でもあるパメラ・マコーダック (英語版 ) は、人工知能 (AI)の起源について「神を人の手で作り上げたいという古代人の希望」が起こった時と表現している。
現代的な意味での人工知能は、人間の思考過程を記号の機械的操作として説明することを試みた哲学者に始まる。1940年代に数学的推論の抽象的本質にもとづいたマシン、プログラム可能なデジタルコンピュータ の発明もその延長線上にある。この装置とその背後にある考え方に触発された科学者はほんの一握りだったが、それでも彼らは電子頭脳を構築する可能性を真剣に議論しはじめた。
人工知能の研究が学問分野として確立したのは、1956年夏にダートマス大学 のキャンパスで開催された会議がきっかけである。その後のAI研究を牽引したのがこの会議の参加者たちであり、彼らの多くは、人間と同程度に知的なマシンが自分たちが生きているうちに出現するだろうと考え、むしろそのビジョンを実現させるためにあらそって数百万ドルの資金を獲得した。しかしその結果明らかになったのは、彼らのプロジェクトが当分は実現できいであろうという予測だった。1973年にはジェームス・ライトヒル (英語版 ) が主導したて政界から圧力がかかり、アメリカ でもイギリス でも成果の見えない人工知能関連の研究への出資を終了した。それでも日本 では官民問わず500億円以上の資金が人工知能の研究に注がれたが、やはり成果は出ず失望した投資者たちは80年代末には資金をひきあげた。このように人工知能をめぐる「夏と冬」は繰り返されてきたといってよい。しかし現代でも人工知能については「大胆な」予測をする人々は後をたたない[2] 。
官僚やベンチャー・キャピタリストの間で評価がいりみだれてきたにもかかわらず、実際に人工知能の研究は発展しつづいている。1970年代には解決不可能と思われていた問題にも糸口が見つかり、具体的な商品にも応用されるようになっていった。しかし、第一世代の人工知能の研究者らの楽観的予測に反して、強いAI を持つマシンの構築は実現していない。1950年の有名な論文でも、アラン・チューリング は「我々はほんの少し先しか見ることができない」と認めていた。「それでも」と彼は続けている。その少し先に「我々がなすべきことが数えきれないほど浮かんでくる」
前史
McCorduck (2004) では「何らかの形態の人工知能 は、西洋精神史に広くみられる考え方で、速やかな実現が望まれている夢」だとし、神話、伝説、物語、思索、機械仕掛けのオートマタ などで表現されてきたとされている。
神話やフィクションにおけるAI
ギリシア神話 に見られる機械人間や人工生命体としては、ヘーパイストス の黄金のロボットやピュグマリオーン のガラテイア がある[5] 。中世には物体に精神を植えつける神秘主義的秘術や錬金術 的方法の噂があり、ジャービル・イブン=ハイヤーン の Takwin 、パラケルスス のホムンクルス 、イェフダ・レーヴ・ベン・ベザレル のゴーレム などが知られている。19世紀には、人造人間や思考機械というアイデアがフィクション内で発展し、メアリー・シェリー の『フランケンシュタイン 』やカレル・チャペック の『R.U.R. (ロッサム万能ロボット会社)』が登場。思索面ではサミュエル・バトラー の "Darwin among the Machines " がある。以降、AIは現在に至るまでサイエンス・フィクション における重要な要素の1つとなっている。
オートマタ
アル=ジャザリ のプログラム可能なオートマタ(1206年)
写実的な人間型オートマタ は、様々な文明で職人が製作している。例えば、周 の穆王 の時代の偃師、アレクサンドリアのヘロン 、アル=ジャザリ 、ヴォルフガング・フォン・ケンペレン [15] などがいる。既知の最古のオートマタ としては、古代エジプト や古代ギリシア の神聖な彫像がある。信者はそれらの彫像に職人が知恵と感情を伴う本当の心を吹き込んだと信じた。ヘルメス・トリスメギストス は、「神の真の性質を発見することで、彼らはそれを再現することができた」と記している[16] [17] 。
形式的推論
人工知能は、人間の思考過程を機械で再現できるという前提に基づいている。機械的あるいは形式的推論の歴史は長い。中国 、インド 、ギリシア の哲学者らは、いずれも紀元前に形式的推論の構造化された手法を発展させた。その発展に寄与した哲学者としては、アリストテレス (三段論法 を定式化して分析した)、エウクレイデス (その『原論 』は形式的推論の原型となった)、フワーリズミー (代数学 を発展させ、その名は「アルゴリズム 」として残っている)、ヨーロッパスコラ学 の哲学者であるオッカムのウィリアム とヨハネス・ドゥンス・スコトゥス などが挙げられる。
マジョルカ人哲学者ラモン・リュイ (1232–1315) は論理的方法で知識を生み出すことを意図した「論理機械」をいくつか開発した[19] 。リュイは自身の機械について、単純な論理操作で基本的かつ紛れもない真理を結合する機械的要素群であり、機械的手段で生み出された真理が考えられるあらゆる知識を生み出すとした[20] 。リュイの業績はゴットフリート・ライプニッツ に大きな影響を及ぼした[21] 。
ゴットフリート・ライプニッツ は、人間の行う推論を機械的な計算に還元できると考えた。
17世紀になると、ライプニッツ 、トマス・ホッブズ 、ルネ・デカルト らはあらゆる理性的思考は代数学や幾何学のように体系化できるのではないかという可能性を探究した[22] 。ホッブズ は『リヴァイアサン 』で「推論は計算以外のなにものでもない」と記している[23] 。ライプニッツ は推論のための汎用言語 (characteristica universalis ) を想像し、論証を計算に還元しようと考えた。それによって「2人の哲学者の論争は2人の会計士の論争程度のことになる。彼らは論証を石版に書き記し(必要な友人を証人に立て)『計算』してみればよい」とした[24] 。これらの哲学者の考え方から物理記号システム (英語版 ) 仮説が明確化していき、それがAI研究の指針となった。
20世紀になると、数理論理学 の研究が人工知能の実現可能性への根本的なブレークスルーを提供する。その基盤となったのは、ブール の The Laws of Thought とフレーゲ の『概念記法 』である。フレーゲ の体系に基づき、1913年、ラッセル とホワイトヘッド が重要な著作『プリンキピア・マテマティカ 』において数学的基礎の形式的記述を行った。ラッセル の成果に触発されたダフィット・ヒルベルト は、当時の数学者らに「数学におけるあらゆる推論は形式化できるか?」という根本的問題を提示した(ヒルベルト・プログラム )。この問題への解答が、ゲーデル の不完全性定理 、チューリング の機械 、チャーチ のラムダ計算 である[25] 。その解答は2つの意味で驚くべきものだった[要出典 ] 。第一に彼らは数理論理が成し遂げられることには限界があることを証明した[要出典 ] 。
ENIAC
第二に(こちらがAIにとっては重要)、彼らの業績が意味するのは、その限界の中でなら任意の数学的推論を機械化できるという事実だった [要出典 ] 。チャーチ=チューリングのテーゼ では、0と1といった単純な記号群だけで任意の数学的推論過程を模倣できることが暗示されている。鍵となる洞察はチューリングマシン であり、記号操作を抽象化した単純な理論上の機械である。チューリングマシンは一部の科学者が思考する機械の可能性を議論しはじめるきっかけとなった[26] 。
計算機科学
計算機械は古代から作られており、歴史の進展と共にゴットフリート・ライプニッツ など多くの数学者が洗練させていった。19世紀初め、チャールズ・バベッジ はプログラム可能な計算機を設計したが(解析機関 )、実際には製作しなかった。エイダ・ラブレス はその機械が「精巧で科学的な音楽の断片をそれなりの複雑さと長さで作曲するかもしれない」と推測した。エイダ・ラブレスはその機関でベルヌーイ数 を計算する方法を詳細に注記したことから、世界初のプログラマと言われている。
世界初の現代的コンピュータ(Zuse Z3 、ENIAC 、Colossus )は第二次世界大戦 の際に開発された[28] 。その後アラン・チューリング の理論的基礎をジョン・フォン・ノイマン が発展させた形でコンピュータが発達していった。
人工知能の誕生 1943−1956
IBM 702: 第一世代のAI研究者が使ったコンピュータ
以降の節の表題についての注[30]
1940年代と1950年代、様々な分野(数学、心理学、工学、経済学、政治学)出身の一握りの科学者が人工頭脳(artificial brain)を作る可能性を議論し始めた。人工知能 研究は1956年に学問分野として確立された。
サイバネティクスと初期のニューラルネットワーク
思考機械についての最初の研究は、1930年代末から1950年代初期にかけて流行ったいくつかのアイデアをまとめるところから着想された。当時最新の神経学 の成果で、脳は神経細胞 の電気ネットワークであり、全てか無かというパルスで点火されるということがわかった。ノーバート・ウィーナー のサイバネティックス は、電気ネットワークにおける制御と安定性を扱っていた。クロード・シャノン の情報理論 はデジタル信号(全てか無かの信号)を扱っていた。アラン・チューリング の計算理論 は任意の計算をデジタルで表せることを示した。これらの相互に密接に関連したアイデアが電子頭脳 構築の可能性を示唆していた[31] 。
この文脈での業績例として、ウィリアム・グレイ・ウォルター (英語版 ) の亀 や Johns Hopkins Beast (英語版 ) のようなロボットがある。それらの機械はコンピュータもデジタル電子回路も記号推論も使っておらず、完全にアナログ電子回路のみで制御されていた[32] 。
ウォルター・ピッツ とウォーレン・マカロック は理想化した人工神経細胞 のネットワークを解析し、どうやって単純な論理関数のような働きをするのかを示した。それが後の研究者らにニューラルネットワーク と呼ばれるものの最初の研究である[33] 。ピッツ とマカロック に触発された学生の1人に若きマービン・ミンスキー (当時24歳の学生)がいた。1951年、ミンスキーは世界初のニューラルネットマシンSNARC (英語版 ) を構築した[34] 。ミンスキー はその後50年間、AI界の重要なリーダーの1人となった。
ゲームAI
1951年、マンチェスター大学 の Ferranti Mark 1 というマシンを使い、クリストファー・ストレイチー がチェッカー プログラムを、ディートリッヒ・プリンツがチェス のプログラムを書いた[35] 。アーサー・サミュエル は1950年代中ごろから60年代初めにかけてチェッカーのプログラムを開発し、まともなアマチュアと互角に渡り合える程度のスキルを身につけるようになった[36] 。ゲームAI はその後もAIの進化の程度を測る手段として使われることになった。
チューリングテスト
1950年、アラン・チューリング は記念碑的論文 Computing Machinery and Intelligence を発表し、真の知性を持った機械を創りだす可能性について論じた[37] 。彼は「知性」を定義するのは難しいとして、有名なチューリング・テスト を考案した。テレタイプ端末 を介した機械との対話が人間との対話と区別できない場合、その機械は「知的」だといえる。このように問題を単純化したことでチューリングは少なくとも「もっともらしい」「思考機械」の可能性を説得力のあるものとして主張でき、この論文は全ての一般的な反論に答えた[38] 。チューリング・テスト は人工知能の哲学 (英語版 ) における最初の真面目な提案となった。
記号的推論と Logic Theorist
1950年代中ごろにコンピュータ にアクセス可能になると、一部の科学者は数を操作できる機械は記号も操作でき、記号の操作は人間の思考の本質を表しうると直観的に気付いた。それが思考機械に迫る新たな手法となった[39] 。
1955年、アレン・ニューウェル と(後にノーベル賞を受賞した)ハーバート・サイモン は(クリフ・ショー の助けも得て)"Logic Theorist " を作った。このプログラムはラッセル とホワイトヘッド の『プリンキピア・マテマティカ 』の最初の方にある52の定理のうち38の定理を証明してみせ、そのうち一部は新たな洗練された証明方法を見出した[40] 。サイモンは彼らが「かの心身問題 を解決し、物質で構成されているシステムが精神の特性をどのようにして持つことができるかを説明した」と述べている[41] 。これは、後にジョン・サール が「強いAI」と呼んだ哲学的立場(機械は人間の身体と同じように精神を持ちうる)を表した初期の文章の1つである。
ダートマス会議 (1956): AIの誕生
1956年のダートマス会議 [43] は、マービン・ミンスキー とジョン・マッカーシー 、さらに2人よりやや年上のクロード・シャノン とIBM のナサニエル・ロチェスター が準備し組織した。この会議の提案書には「学習のあらゆる面または知能の他のあらゆる機能は正確に説明できるので、機械でそれをシミュレートすることができる」と書かれていた[45] 。会議参加者としては他に、レイ・ソロモノフ 、オリバー・セルフリッジ 、トレンチャード・モア (英語版 ) 、アーサー・サミュエル 、アレン・ニューウェル 、ハーバート・サイモン がおり、いずれもAI研究の最初の十年間で重要なプログラムを作った人々である[46] 。この会議でニューウェルとサイモンが Logic Theorist を初めて公表し、マッカーシーがその分野の名称を "Artificial Intelligence" にしようと説得した[47] 。1956年のダートマス会議でAIには名前がつけられ、目標が与えられ、最初の成功例が見られ、主なプレーヤーが揃った。そのため、これをAIの誕生とするのが一般的である[48] 。
第1回AIブーム: 推論と探索の時代 1956年−1974年
ダートマス会議後の数年は発見の時代で、新たな地平を疾走するような勢いだった。この時代に開発されたプログラムは推論と探索に頼っており、巨額を投じて開発された当時の最高峰のコンピュータであっても、処理可能な計算量はごく僅かであったため、非常に限定的な領域の問題しか解けなかったが、それでも当時の人々にとっては「驚異的」だった[49] 。コンピュータは代数問題をといてみせ、幾何学の定理を証明してみせ、英会話を学習してみせた。ごく少数を除いて、当時の人々はコンピュータにそのような「知的」な行動が可能だとは全く信じていなかった[50] 。研究者らはプライベートでも印刷物でも強烈な楽天主義を表明し、完全に知的な機械が20年以内に製作されるだろうと予測した[51] 。ARPA などの政府機関は、この新しい領域にどんどん資金を注ぎ込んだ[52] 。
成果
1950年代末から1960年代にかけて、プログラムと新たな方向性で多くの成功例がみられた。以下に特に影響の大きいものを示す。
手段目標分析
初期のAIプログラムの多くは同じ基本アルゴリズム を採用していた。(ゲームに勝つ、定理を証明するなど)何らかの目標を達成するため、迷路を探索するようにそれに向かって(実際に移動したり、推論したりして)一歩一歩進み、袋小路に到達したらバックトラッキング する。この技法を「手段目標分析 」と呼ぶ[53] 。
根本的な困難は、多くの問題で「迷路」でとりうる経路の数が天文学的だという点である(これを組合せ爆発 と呼ぶ)。探索空間を狭めるためにヒューリスティクス や経験則を用い、解に到達しそうもない経路を排除する[54] 。
ニューウェル とサイモン はこのアルゴリズムの汎用版を確立しようと試み、そのプログラムをGeneral Problem Solver と称した[55] 。他の探索プログラムは幾何学の問題を解くなど印象的な成果をもたらしている。例えば、Herbert Gelernter のGeometry Theorem Prover(1958)、ミンスキー の指導する学生James Slagleが書いた SAINT(1961)などがある[56] 。行動計画を立案するために目標を探索するプログラムもある。例えばスタンフォード大学 のロボット「シェーキー 」の行動を制御するために開発されたSTRIPS がある[57] 。
意味ネットワーク の一例
自然言語
AI研究の重要な目標の1つが、コンピューターと英語などの自然言語 で会話できるようにすることである。初期の成功例として Daniel Bobrow の STUDENT というプログラムがあり、高校レベルの代数問題を解くことができた[58] 。
意味ネットワーク は、概念(例えば、「家」、「ドア」)をノードとし、概念間の関係(例えば "has-a")をノード間のリンクで表したものである。意味ネットワークを使った最初のAIプログラムは Ross Quillian が書いたもので、最も成功した(議論も呼んだ)のはロジャー・シャンク のCD理論 である。
ジョセフ・ワイゼンバウム のELIZA は、非常にリアルな会話が可能で、ユーザーは人間と会話しているかのような錯覚を覚えるほどだった。しかし、ELIZAは単純なパターンマッチングで応答しているだけで、会話の内容を理解していない。ELIZAはいわゆる人工無脳 のさきがけである[61] 。
マイクロワールド
1960年代末、MIT 人工知能研究所 のマービン・ミンスキー とシーモア・パパート は、AI研究をマイクロワールドと名付けた人工的かつ単純な状況に焦点を合わせて行うべきだと提案した。彼らは、物理学などの成功している科学でも摩擦のない平面や完全な剛体などの簡素化したモデルを使うことで基本原理が最もよく理解されたことを指摘した。多くの研究が注目したのは、色つきの様々な形状と大きさの積み木が平らな平面の上に置かれている「積み木の世界」である[62] 。
このパラダイムから、実際に積み木が積まれた状況を画像から認識するためのマシンビジョン が発達した。これにはチームを率いたジェラルド・サスマン 、制約伝播の概念を確立したデイビッド・ワルツ (英語版 ) 、パトリック・ウィンストン (英語版 ) といった人々が関わった。同じころミンスキー とパパート は積み木を積むことができるロボットアームを製作して、積み木の世界を現実のものとした。このマイクロワールドのパラダイムでの最終成果はテリー・ウィノグラード のSHRDLU である。SHRDLUは普通の英語の文で対話でき、計画を立案し、それを実行する[63] 。
楽観主義
第一世代のAI研究者は以下のような予測を述べている。
資金
1963年6月、MIT は新たに創設された高等研究計画局(後のDARPA )から220万ドルの資金提供を受けた。この資金で Project MAC が創設され、そこにはミンスキー とマッカーシー が5年前に作ったAIグループも含まれることになった。ARPA は1970年代まで毎年300万ドルを提供し続けた。ARPA はCMU のニューウェル とサイモン の計画にも、スタンフォード人工知能研究所 (ジョン・マッカーシー が1963年に創設)にも資金を提供した。もうひとつの重要なAI研究所は1965年、ドナルド・ミッキー がエディンバラ大学 に創設した。この4つの研究拠点がAI研究の中心として長く資金供給を受けた[72] 。
その資金はほとんどひも付きではなかった。ARPA の部長J・C・R・リックライダー は「プロジェクトではなく人間に投資するのだ」という信念を持っており、研究者には好きなように研究させた。それがMIT での自由奔放な雰囲気を生み出し、ハッカー文化 を誕生させることになったが、いつ結果が出るかも分からない「野放し」状態は続かなかった。
AIの冬第1期 1974−1980
1970年代、AIは批判と資金縮小に晒された。AI研究者は直面していた問題の難しさを正しく評価できなかった。楽天主義から予想される成果への期待があまりにも高まったが、結果はその期待に応えられず、AI研究への出資はほとんど無くなった[75] 。同じころマービン・ミンスキー がパーセプトロン が排他的論理和を例として、特徴量をそのままでは線形分離可能でないものは学習できないことを示した。これが誤解・誇張されて伝わってしまったことで、データに対してコネクショニズム (またはニューラルネットワーク )の分野は約10年間あまり盛んでなくなった[76] 。1970年代後半のAIは一般大衆の受けが悪かったが、新たに論理プログラミング や常識推論 (英語版 ) などの新たな領域が生まれている。
問題
1970年代前半、AIプログラムの能力は限定的だった。最も進んだものでも小さな問題しか扱えず、どのプログラムも言ってみれば「おもちゃ」だった。AI研究者は1970年代には解決できない根本的限界に直面した。その一部は後に克服されているが、21世紀の今も残っている問題もある。
コンピュータ性能の限界
実用化に当たっては、コンピュータのメモリ容量や速度の不足は深刻であった。例えば、Ross Quillian の自然言語処理 プログラムはわずか20の語彙しか扱えず、それが当時のメモリに収まる限界だった[80] 。1976年、ハンス・モラベック はコンピュータが知性を持つには数百万倍も強化する必要があると主張した。彼は、人工知能がコンピュータの能力を必要とするのは、航空機が動力を必要とするのと同じだという比喩を示唆した。あるしきい値以下では不可能だが、性能が高まっていけば 最終的に容易に知性が得られるだろうと主張した[81] 。例えばマシンビジョン についてモラベックは、人間の網膜がリアルタイムで物体の境界や動きを検出する能力を機械で実現するには、毎秒109 回の命令実行が可能な(1000 MIPSの)汎用コンピュータが必要だと推定している[82] 。2011年現在、実用的なコンピュータビジョンのアプリケーションは10,000から1,000,000MIPSの処理能力を要する。1976年当時の最速のスーパーコンピュータ Cray-1 は、せいぜい80から130MIPSの能力であり、当時のデスクトップ型コンピュータは1MIPSにも達していなかった。
Intractability と組合せ爆発
1971年のスティーブン・クック の定理 (英語版 ) に基づき、1972年、リチャード・カープ が指数関数時間 (入力のサイズに対して指数関数的になる時間)でしか解けない問題が多数あることを示した (en )。それらの問題の最適解を求めるには、問題がごく小さい場合を除いて極めて多大な処理時間を要する。これは、AIプログラムが「おもちゃ」のような問題に適用している解法の多くを、そのままスケールアップしても使えないことを意味していた[83] 。
常識的知識 (英語版 ) と推論 (英語版 )
コンピュータビジョン や自然言語処理 といった重要な人工知能アプリケーションの多くは、実世界についての大量の情報を必要とする。見えているものが何なのか、話している内容が何についてなのか、といったことをプログラムが知る必要がある。つまり、そのようなプログラムは話題や見えているものについて子ども程度の知識を持っている必要がある。研究者はそういった情報の量が非常に膨大になることに気付いた。1970年当時、そのような知識を蓄えられるほど巨大なデータベースは構築できなかったし、それだけの情報を蓄積するプログラムをどう書けばいいのかも不明だった[84] 。
モラベックのパラドックス
定理証明や幾何学問題を解くといったことはコンピュータにとって比較的簡単だが、人間にとって簡単な顔の識別や物に当たらずに部屋を横切るといったタスクはコンピュータには非常に難しい。1970年代中ごろまでマシンビジョン やロボット工学 があまり進展しなかった原因はそのあたりにあった[85] 。
フレーム問題 と条件付与問題 (英語版 )
ジョン・マッカーシー のように論理学 に基づいているAI研究者らは、論理そのものの構造を変更しないと自動計画 における普通の推論を表現できないことを発見した。このため、新たな論理(非単調論理 や様相論理 )を開発して問題を解こうと試みた[86] 。
資金供給の終り
AI研究に資金を供給していた機関(イギリス政府 、DARPA 、NRC など)は、成果がないことに苛立ち、AI研究へのひもなしの資金供給がほぼ全て削減対象となった。最初の動きは1966年、機械翻訳 の進展のなさを批判した ALPAC の報告書である。2000万ドルを注ぎ込んだ後、NRC は全サポートを終了させた[87] 。1973年、イギリスにおけるAI研究の現状を報告した Lighthill report では「壮大な目標」の達成には完全に失敗していることが批判され、イギリスでのAI研究の解体が始まった[88] 。この報告書ではAI研究失敗の原因として組合せ爆発 問題を挙げている[89] 。DARPA はCMU での音声認識 プロジェクトの進展に失望し、毎年300万ドルの資金を停止した[90] 。1974年ごろにはAI研究への公的資金提供はほぼ見られなくなった。
ハンス・モラベック は同僚たちの非現実的な予測がこの危機の原因だとし、「多くの研究者が誇張を増大させるクモの巣に巻き込まれた」と述べている[91] 。しかし問題はそれだけではない。1969年、マイケル・マンスフィールド の改正案が可決され、DARPA は「方向を定めない基礎研究よりも方向を定めた任務的研究」に資金提供するよう圧力がかかった。60年代のDARPA からの自由奔放な研究への資金提供は継続できなくなった。その代わりに目標がはっきりしているプロジェクト、例えば自律式戦車や戦闘指揮システムなどといったものへ方向性が変化した[92] 。
他学界からの批判
一部の哲学者は、AI研究者の主張に強く反論した。最初の批判者の1人 John Lucas は、ゲーデルの 不完全性定理 が形式体系 (コンピュータプログラムなど)では人間が真偽を判断できることも判断できない場合があることを示していると主張した[93] 。ヒューバート・ドレイファス は60年代の守られなかった約束を嘲笑し、人間の推論は「記号処理」などではなく、大部分が身体的かつ本能 的で無意識なノウハウ によっているとし、AIの前提を批評した[94] [95] 。1980年、ジョン・サール が提示した中国語の部屋 は、プログラムが記号群を使っているからといって、それについて「理解」しているとは言えないことを示したものである(志向性 )。記号群が機械にとって何の意味もないなら、その機械は「思考」しているとは言えないとサールは主張した[96] 。
これらの批判は、AI研究者には的外れに見えたため、ほとんど真剣に受け取られなかった。intractability と常識推論 (英語版 ) の問題の方が身近で差し迫ったものとして感じられていた。「ノウハウ」または「志向性 」が実際のコンピュータプログラム にどんな違いを生じさせるかは不明瞭だった。ミンスキー はドレイファスとサールについて「彼らは誤解しているから、無視してかまわない」と述べた[97] 。当時MIT で教えていたドレイファスは冷たくあしらわれることになった。後に彼はAI研究者らが「あえて私と昼食をとり、目を合わせないようにした」と述べている[98] 。ELIZA の作者ジョセフ・ワイゼンバウム は、同僚たちのドレイファスへの対応が子どもっぽいと感じた。彼もまたドレイファスの考え方には率直に批判していたが、彼は「彼らのやり方が人を扱う方法ではなかったと意図的に明らかにした」[99]
ケネス・コルビー (英語版 ) がELIZA を使ってDOCTORというセラピストの会話ボット を書いたことをきっかけとして、ワイゼンバウムはAIについて真剣に倫理的疑念を抱くようになった。コルビーがそれを実際の治療に使えるツールと考えたことにワイゼンバウムは混乱した。確執が始まり、コルビーがそのプログラムへのワイゼンバウムの寄与を認めなかったことで事態は悪化した。1976年、ワイゼンバウムは『コンピュータ・パワー 人工知能と人間の理性』という本を出版し、人工知能の誤用が人命軽視につながる可能性があると主張した[100] 。
パーセプトロンとコネクショニズムの暗黒時代
パーセプトロン はニューラルネットワーク の一種で、1958年にフランク・ローゼンブラット が発表した。彼はマービン・ミンスキー とは高校の同級生だった。他のAI研究者と同様ローゼンプラットも楽観的で「パーセプトロンは最終的には学習でき、意思決定でき、言語を翻訳できるようになるだろう」と予言している。このパラダイムの研究は60年代に活発に行われたが、ミンスキー とパパート が1969年に出版した著書『パーセプトロン』によって状況が一変した。同書はパーセプトロンに重大な制限があることを示唆し、ローゼンブラットの予測がひどく誇張されたものだったことを示唆していた。その影響は破壊的で、コネクショニズム に関する研究は10年間事実上まったくなされなかった。結局、新世代の研究者が後に研究を再開させ、人工知能の有効な一部となった。ローゼンプラットはミンスキーらの著書が出版されて間もなくボートの事故で亡くなったため、コネクショニズムの復活をその目で見ることはできなかった[76] 。
論理、Prologとエキスパートシステム
論理学をAI研究に導入したのはジョン・マッカーシー で、1958年に Advice Taker の提案書でのことである[101] 。1963年、ジョン・アラン・ロビンソン (英語版 ) がコンピュータで演繹を実装する簡単な方法、導出 とユニフィケーション のアルゴリズムを発見した。しかし、マッカーシーと彼の学生達が60年代後半に試みたように、直接的な実装は非常に困難だった。そのプログラムは単純な定理の証明にも天文学的なステップ数を必要とした[102] 。論理へのより有効なアプローチは70年代にエジンバラ大学 のロバート・コワルスキー (英語版 ) が発展させ、間もなくフランスの研究者アラン・カルメラウアー (英語版 ) とフィリップ・ルーセルと共同で論理プログラミング言語 Prolog を生み出すことになる。Prologは論理のサブセット(「プロダクションルール 」と密接に関連するホーン節 )を使い、扱いやすい計算を可能にしている。ルールの考え方は長く影響を及ぼし、エドワード・ファイゲンバウム のエキスパートシステム やアレン・ニューウェル のSoar の基盤となっている。
ドレイファス のように論理的アプローチを批判する者は、人間が問題解決の際に論理をほとんど使わないと指摘する。ピーター・ウェイソン (英語版 ) 、エレノア・ロッシュ (英語版 ) 、エイモス・トベルスキー 、ダニエル・カーネマン といった心理学者の実験でそれが証明されている[105] 。マッカーシーは人間がどうやっているかは無関係だと応えた。彼は、必要とされているのは問題を解くことができる機械であって、人間のように考える機械ではないと主張した[106] 。
フレームとスクリプト
マッカーシー の方向性はMIT のAI研究者にも批判された。マービン・ミンスキー 、シーモア・パパート 、ロジャー・シャンク は「ストーリー理解」や「物体認識」といった問題を解決しようとしており、それには人間のように思考する機械が「必要」だった。「椅子」や「レストラン」といった概念を普通に扱えるようにするには、人間が普通に行っているように非論理的な仮定をする必要がある。だが、そういった不正確な概念は論理で表現しづらい。ジェラルド・サスマン は「本質的に不正確な概念を説明するのに精密な言語を使っても、正確さは向上しない」と気付いた。ロジャー・シャンクは彼らの「非論理的」アプローチを "scruffy"、マッカーシー、コワルスキー、ファイゲンバウム 、ニューウェル 、サイモン といった研究者のアプローチを "neat" と称した[108] 。
1975年、ミンスキー は論文で "scruffy" の研究者らが似たようなツールを使っていることを記した。それは何らかの事物についての我々の常識的知識 (英語版 ) を全て捉えるフレームワークである。例えば、「鳥」という概念を考えたとき、飛ぶ、虫を食べる、などといった一連の事実がすぐさま思い浮かぶ。我々はそれらの事実が常に真実ではないと知っているし、そういった事実を使った推論が「論理的」ではないと知っているが、我々が何かを語り考えるときそういった一群の構造化された前提が文脈の一部を形成している。彼はその構造を「フレーム (英語版 ) 」と呼んだ。シャンクはある種のフレーム群を「スクリプト (英語版 ) 」と呼び、それを使って英語の短いストーリーについての質問に答えることに成功した[110] 。
第2回AIブーム: 知識工学の時代 1980年–1987年
1980年代、AIプログラムの一形態である「エキスパートシステム 」が世界中の企業で採用されるようになり、知識表現 がAI研究の中心となった。同じころ、日本政府は第五世代コンピュータ プロジェクトでAI研究に積極的に資金提供を行った。また、ジョン・ホップフィールド とデビッド・ラメルハート の業績によりコネクショニズム が復活を果たした。AI研究は再び活況を呈するようになった。
エキスパートシステムの隆盛
エキスパートシステム は、特定領域の知識について質問に答えたり問題を解いたりするプログラムで、専門家の知識から抽出した論理的ルール を使用する。初期の例として、エドワード・ファイゲンバウム らが開発した分光計の計測結果から化合物を特定するDendral (1965)、伝染性血液疾患を診断するMycin (1972)がある。それらがこのアプローチの有効性を示した[112] 。
エキスパートシステムは扱う領域を狭くし(それによって常識的知識の問題を回避し)、単純な設計でプログラムを構築しやすくすると同時に運用中も修正が容易となっている。エキスパートシステムは実用的であり、それまでのAIが到達できていなかった段階にまで到達した[113] 。
1980年、CMU がDEC のためにエキスパートシステムXCON (英語版 ) を完成させた。これはDECのVAXシステム の注文に対応したコンポーネントを過不足なく抽出するもので、1986年まで毎年4000万ドルの節約効果を発揮するという大成功を収めた。世界各国の企業がエキスパートシステムの採用を始め、1985年には全世界で10億ドル以上をAIに支出しており、そのほとんどが企業内のAI部門への支出だった。それをサポートする産業も成長してきた。例えばハードウェア企業のシンボリックス やLMI (英語版 ) 、ソフトウェア企業のインテリコープ (英語版 ) や Aion がある[115] 。
知識革命
エキスパートシステムの能力は内蔵している専門家の知識に由来する。70年代を通して進展していたAI研究における新しい方向性の1つである。「AI研究者らは、それが倹約を旨とする科学の戒律を破ることになると知りつつ、知能が様々な方法で大量の多様な知識を使う能力に基づいている可能性が十分あると疑い始めていた」とパメラ・マコーダック (英語版 ) は書いている。「1970年代からの大きな教訓は、知的行動は知識、時にそのタスクに関わる領域の非常に詳細な知識の扱い方に大きく依存しているということだった」 1980年代には知識ベース システムと知識工学 がAI研究の大きな領域となった[118] 。
1980年代にはCycプロジェクト も始まった。常識的知識問題 (英語版 ) に正面から立ち向かう最初の試みであり、一般人が知っているレベルのあらゆる知識を集めた巨大なデータベースを構築するものである。このプロジェクトの創始者ダグラス・レナート (英語版 ) は、機械に人間の様々な概念の意味を教えるには近道はなく、人の手で概念を1つずつ学習させるしかないと主張した。プロジェクトの完了には何十年もかかると見られていた[119] 。
資金復活:第五世代コンピュータプロジェクト
1981年、日本の通商産業省 が570億円をかけた第五世代コンピュータ プロジェクトを開始した。自然言語での人間との対話、機械翻訳、画像認識、人間のような推論など、様々な目標を実現するプログラムとマシンを構築することが目的とされていた[120] 。"scruffy"側が悔しがったのは、彼らがProlog 系の論理プログラミング言語をプロジェクトの主要言語とした点だった。
これに他国も反応し、それぞれ新たな計画を立てた。イギリスは3億5000万ポンドをかけて Alvey プロジェクトを開始した。アメリカでは企業群がコンソーシアム Microelectronics and Computer Technology Corporation (MCC) を結成し、AIおよび情報技術の大規模プロジェクトに資金提供した[122] [123] 。DARPA も Strategic Computing Initiative を創設し、1984年から1988年にかけてAI研究への資金供給を3倍に増やした[124] 。
4ノードのホップフィールド・ネットワーク
コネクショニズムの復活
1982年、物理学者のジョン・ホップフィールド (後にホップフィールド・ネットワーク と呼ばれるようになった)は、ある形式のニューラルネットワークが従来とは全く異なる方法で学習し、情報を処理出来ることを示した。同じ頃、デビッド・ラメルハート は、ニューラルネットワークの新たな訓練方法である「バックプロパゲーション 」を一般化させた(ポール・ワーボス (英語版 ) より数年早く発見した)。それら2つの発見によって、1970年以来下火になっていたコネクショニズム が復活した[123] 。
1986年にラメルハート と心理学者のジェームズ・マクレランド の出版した2巻の論文集 Parallel Distributed Processing は、PDPモデル を提唱した。
ニューラルネットワークは1990年代には商業的成功を達成し、簡単な光学文字認識 や音声認識 のプログラムで使われるようになった[123] 。
AIの冬第2期 1987−1993
1980年代商業界でのAIへの関心の高まりは一時的であり、バブル経済 の古典的パターンを踏襲した。批判はあったが、AI研究はさらに進歩し続けた。ロドニー・ブルックス とハンス・モラベック はロボット工学 を専門とする研究者で、人工知能について全く新しいアプローチを主張した。
AIの冬
「AIの冬 (英語版 ) 」という言葉は1974年の資金供給停止を生き延びた研究者らが作った用語であり、彼らはエキスパートシステムへの熱狂が制御不能となってその後に失望が続くのではないかと心配した[127] 。彼らの心配は現実となり、80年代から90年代初めにかけてAI研究は再び資金難に陥った。
最初の兆候は、1987年にAI専用ハードウェアの市場が突然崩壊したことだった。Apple やIBM のデスクトップコンピュータは徐々に性能が向上し、1987年にはシンボリックス などが生産する高価なLISPマシン を性能的に凌駕するようになった。LISPマシンを購入する理由がなくなり、5億ドルの市場が一瞬で消え去った[128] 。
また、XCONなどの成功を収めた初期のエキスパートシステムは、維持コストが非常に高くつくことが判明した。更新が難しく学習機能もなく、入力が間違っているととんでもない答を返してくるという問題もあり、数年前に明らかとなっていた条件付与問題 (英語版 ) の餌食となった。エキスパートシステムは確かに有効だったが、それはごく限られた状況でのみだった[129] 。
80年代末、Strategic Computing Initiative がAI研究への資金供給をカットした。新たなリーダーを迎えたDARPA はAIが「次の波」ではないと判断し、直近の成果が期待できるプロジェクトに資金を供給することにした。
1991年、第五世代コンピュータ プロジェクトも当初掲げた様々な目標を達成することなく完了した。なお、人間と目的もなく普通に会話するなどの目標は2010年ごろまで達成されなかった[131] 。他のAIプロジェクトと同様、予測は実際に可能だったものよりずっと高く設定されていた[131] 。
実体を持つことの重要性: 新AIと推論の具現化
80年代末、一部の研究者はロボット工学 に基づく全く新しいアプローチを主張した。彼らは機械が真の知性を獲得するには「身体」が必要だと信じていた。すなわち、知覚し、動き、生き残り、世界とやりとりできる身体が必要だとした。常識推論 (英語版 ) のような高いレベルの能力には感覚運動能力が必須であり、抽象的推論は人間の能力としては興味深くないし重要でもないという主張である(モラベックのパラドックス )。彼らは知能を「ボトムアップで」構築することを主張した[133] 。
このアプローチは60年代以来下火だったサイバネティックス と制御理論 の考え方を復活させた。もう1人の先駆者は70年代末にMIT にやってきたデビッド・マー で、それ以前に視覚の理論神経学的研究で成功を収めていた。彼は全ての記号的アプローチ(マッカーシー の論理やミンスキー のフレーム)を廃し、記号処理の前にボトムアップで視覚の物理的機構を理解する必要があると主張した。なお、マーは1980年に志半ばで白血病で亡くなった。
1990年の論文"Elephants Don't Play Chess "で、ロボット工学者ロドニー・ブルックス は物理記号システム仮説 (英語版 ) を正面から扱い、「世界はそれ自身の最良のモデルである。それは正に常に最新である。知るべき詳細は常にそこにある。秘訣は適切かつ十分頻繁に世界を感知することである」と述べ、記号は常に必要とは限らないと主張した。80年代から90年代にかけて、多くの認知科学者 が精神の記号処理モデルを退け、推論には身体が本質的に必要だと主張し、その理論を「身体化された心 (英語版 ) のテーゼ」と呼んだ[136] 。
1993年以降
AIは半世紀以上の歴史を経て、当初のいくつかの目標を達成するまでになった。裏方的ではあるが、産業界の様々な場所で使われ始めている。成功の一因はコンピュータの性能向上だが、具体的な特定の問題に集中した結果でもある。それでもビジネスの世界でのAIの評判は純粋なものとは言えない。1960年代に人間並みの知能をコンピュータで実現するという夢が何故失敗したかについて、AI研究者の間でも意見は一致していないが、少なくともコンピュータの性能が低かったことは非常に大きな障壁となっていた。様々な要因からAIは競合する小さな領域に分かれていき、それぞれ特定の問題やアプローチを扱うようになり、時には「人工知能」の流れを汲んでいることをごまかした新しい名称で呼ばれるようになった[137] 。AI研究は従来よりも特定のアプリケーションに対して特化することで地味ではあるが成功を収めた。
マイルストーンとムーアの法則
1997年5月11日、ディープ・ブルー がチェス の世界チャンピオンであるガルリ・カスパロフ に勝利した。2005年のDARPAグランド・チャレンジ で、スタンフォード大学 のロボットカー が優勝した。これは、リハーサルなしで砂漠の中の131マイルの道のりをロボットカーが自律的に走破するレースである[139] 。2年後のDARPAアーバンチャレンジでは、市街地を想定した55マイルのコース(障害物があり、法律遵守も求められる)をロボットカーが自律的に走破し、CMUのチームが優勝した[140] 。2011年2月、クイズ番組 「ジェパディ! 」にIBM の質問応答システム 「ワトソン 」が参加し、圧倒的な差で2人のチャンピオンを破って優勝した[141] 。
それらの成功は何か革新的な新パラダイムがもたらしたのではなく、アプリケーションの地道な改良とコンピュータのすさまじい性能向上によるものである[142] 。実際、1951年に世界初のチェスプログラムが動作した Ferranti Mark 1 に比べると、ディープ・ブルー は1000万倍の性能である[143] 。この劇的な進化はムーアの法則 に沿ったもので、コンピュータの速度とメモリ容量は2年ごとに倍増すると予言した法則である。かつて根本問題の1つだった「コンピュータ性能の限界」は徐々に克服されつつある。
知的エージェント
90年代になると「知的エージェント 」と呼ばれる新たなパラダイムが広く受け入れられるようになった[144] 。初期の研究者らはAIに迫るためにモジュール化された分割統治法 を提案していたが[145] 、知的エージェント が現代的形態に到達するのはジューディア・パール やアレン・ニューウェル といった研究者がAI研究に決定理論 や経済学 の概念を持ち込んで以降である。経済学における合理的エージェント (英語版 ) の定義と計算機科学 におけるオブジェクト またはモジュール の定義が出会い、知的エージェント のパラダイムが完成した。
知的エージェント は環境を知覚し、成功の確率を最大化する行動をとる。この定義によれば、特定の問題を解く単純なプログラムも「知的エージェント」であり、人間も人間の組織、例えば企業 も知的エージェントである。「知的エージェント」パラダイムでは、AI研究は「知的エージェント研究」と定義される。これは初期のAIの定義の一部を一般化したもので、単に人間の知能を研究するのではなく、あらゆる知性を研究対象とすることになる[147] 。
このパラダイムにより、孤立した問題を研究し、検証可能で実用的な解法を求めることが意味のあることだと言えるようになった。問題を説明し、経済学 や制御理論 など抽象的エージェントの概念を扱う他の分野も含めて問題の解決策を共有できる共通語を提供している。いつの日か、完全なエージェントアーキテクチャ (例えば、ニューウェル のSOAR )によって、対話型知的エージェント からより多用途で知的なシステムが構築できるようになることが望まれている。
"neat" の勝利
AI研究者はかつてないほど洗練された数学的ツールを開発し使い始めている[149] 。AI研究で解決する必要のあった多くの問題が、数学 、経済学 、オペレーションズ・リサーチ などの分野の研究者によって既に解決されている。共通の数学的言語を使うことで、より確立された分野と高いレベルで協力でき、測定可能かつ検証可能な成果が生み出され、AIはさらに厳密な「科学的」領域となった。Russell & Norvig (2003) はこれを「革命」であり「"neat"の勝利」に他ならないと記している[150] [151] 。
ジューディア・パール の1988年の著書は、AIに確率 と決定理論 をもたらし、大きな影響を及ぼした。多くの実用化されたツールが、ベイジアンネットワーク 、隠れマルコフモデル 、情報理論 、確率的モデリング (英語版 ) 、古典的最適化 などを活用している。ニューラルネットワーク や進化的アルゴリズム といった「計算知能 」パラダイムのための正確な数学的記述も発展してきた[150] 。
様々な場面で裏方として働くAI
元々はAI研究者が開発したアルゴリズムが大規模システムの一部として使われ始めている。AIは様々な非常に難しい問題を解決してきており、その解法は実用的であることが証明されてきた[153] 。例えば、データマイニング 、産業用ロボット 、物流 、音声認識 [155] 、銀行のソフトウェア[156] 、医療診断[156] 、Google の検索エンジンなどが挙げられる[157] 。
それらの成功がAIのおかげだということはほとんど知られていない。AIの偉大な技術革新の多くは、達成と同時に計算機科学のありふれたアイテムとして扱われてきた[158] 。ニック・ボストロム は「AIの最先端の多くは、十分に実用的で一般的になったとたんAIとは呼ばれなくなり、一般のアプリケーションに浸透していく」と説明している[159] 。
1990年代のAI研究者の多くは、意図的に自らの仕事を別の名前で呼んでいた。例えば、インフォマティクス 、知識ベース 、認知システム、計算知能 などである。その理由の一部は、彼らが自分の研究をAIとは全く異なるものだと思っていたからだが、新しい名前をつけることで資金提供を受けられるという面もあった。少なくとも産業界では「AIの冬」をもたらした失敗の影が払拭されておらず、ニューヨークタイムズ紙は2005年に「無謀な夢を見る人とみなされることを恐れ、計算機科学者やソフトウェア工学者は人工知能という用語の使用を避けた」と記している[160] 。
1980年代の産業界ではファジィ理論 を指す「ファジィ」と並んで、ニューラルネットワーク を指す「ニューロ」という言葉がバズワード化し、白物家電製品にも搭載が明記されていた。1990年代に入るとファジィ理論とニューラルネットワークを組み合わせたニューロファジィが様々な製品に搭載されるようになり、白物家電製品にも機能として「ニューロファジィ」等と明記されるようになった。しかし、本来裏方の制御技術であって、利用者から見て目立つ機能では無いため、2000年 頃には殆どの製品で明記されなくなっていた。
HAL 9000 はどこに? 2001年前後
1968年、アーサー・C・クラーク とスタンリー・キューブリック は、2001年 には人間並みか人間を越えた知性を持ったマシンが存在するだろうと想像した。彼らが創造したHAL 9000 は、当時のAI研究者が2001年には存在するだろうと予測していたものだった。
マービン・ミンスキー は、「そこで問題は、なぜ我々は2001年になってもHALを実現していないのかだ」と問題提起した[162] 。ミンスキーはAIの中心的課題(例えば常識推論 (英語版 ) )が無視され、多くの研究者がニューラルネットワーク や遺伝的アルゴリズム の商用アプリケーションを追求しているのが原因だと信じている。一方ジョン・マッカーシー はいまだに条件付与問題 (英語版 ) を非難している。レイ・カーツワイル はコンピュータの性能がまだ十分ではないからだと考え、ムーアの法則 から人間並みの知能を持った機械が出現するのは2029年だと予測している。ジェフ・ホーキンス は、ニューラルネットワークの研究が人間の大脳皮質 の基本的性質を無視し、簡単な問題を解くことに成功した簡単なモデルを好む傾向があると主張している。他にも様々な説明があり、それぞれに対応して進行中の研究計画が存在する。
ディープラーニングに向けた準備
2000年 に制限ボルツマンマシン やコントラスティブ・ダイバージェンスの提案が行われた。これらの提案は、2006年 にディープラーニングの発明に向かう道筋を作った。
第3回AIブーム: ディープラーニングの時代 2006年−
2005年 、遅くとも2045年 には人工知能が知識・知能の点で人間を遥かに超越し、科学技術の進歩を主体的に担い世界を変革する技術的特異点(シンギュラリティ) が訪れているとする説をレイ・カーツワイル が著作で発表し物議を醸した。
2006年 にジェフリー・ヒントン によりオートエンコーダを利用したディープラーニングが発明された。この発明は人手を介さず特徴量を抽出できる点で、人間による知識表現 の必要が無くなり、人工知能における大きなブレイクスルーとなった。この瞬間、長らく暗黒時代を迎えていたコネクショニズム が突如として復活することになった。同時に、人間が知識表現を行うことで生じていた記号接地問題も解決された。
2010年 には、インターネットを流れるデータ転送量の増大を受けて、ビッグデータ という用語が提唱された。
自動運転研究の進展
2010年代になると自動車や航空機での完全自動運転 が実現可能と目されるようになり、自動車を中心に研究が盛んになった。商業販売を目指して公道走行試験が続き、限定的なオートクルーズ機能を持つ車も現れた。
また軍事利用の可能性についても議論されるようになった(この時代にも既に各国は無人戦闘機UCAV 、無人自動車ロボットカー を運用していたが、遠隔操作であり完全な自動化には至っていなかった。UCAV は利用されているが、一部操作は地上から行っている)。日本ではP-1(哨戒機) のように戦闘指揮システムに支援用の人工知能が搭載された。
2016年6月、米シンシナティ大学 の研究チームが開発した戦闘機 操縦用のAIプログラム「ALPHA」が、元米軍パイロットとの模擬空戦 で一方的に勝利したと発表された。AIプログラムは遺伝的アルゴリズム とファジィ制御 を使用しており、アルゴリズム の動作に高い処理能力は必要とせず、Raspberry Pi 上で動作可能[166] [167] 。
第3次人工知能ブーム
2012年 の物体の認識率を競うILSVRCにおける、GPU利用による大規模ディープラーニング(ジェフリー・ヒントン 率いる研究チームがAlex-netで出場した)の大幅な躍進、同年のGoogleによるディープラーニングを用いたYouTube画像からの猫の認識成功の発表により、世界各国において再び人工知能研究に注目が集まり始めた。この社会現象は第3次人工知能ブーム と呼ばれる。その後、ディープラーニングの研究の加速と急速な普及を受けて、レイ・カーツワイル が2005年 に提唱していた技術的特異点という概念は、急速に世界中の識者の注目を集め始めた。
2013年 、国立情報学研究所 [168] や富士通研究所 の研究チームが人工知能「東ロボくん 」で東京大学 入試の模擬試験に挑んだと発表した。数式の計算や単語の解析にあたる専用プログラムを使い、実際に受験生が臨んだ大学入試センター試験と東大の2次試験の問題を解読した。代々木ゼミナール の判定では「東大の合格は難しいが、私立大学には合格できる水準」だった。しかし2016年11月、「東ロボくん」は東大合格を諦めるとの報道があった。[169]
2014年 、弱いAI「Eugene」が英国のレディング大学で行われたイベントで33%の試験官に人間であると判定されチューリングテストに合格。しかし13歳で英語が母国語でないという設定から物議をかもす。[170]
2014年には、1990年代からシリコンバレーにて医療用システムの研究開発を行い、2010年代からは日本でスーパーコンピュータの研究開発を推進している斎藤元章により、特異点に先立ち、オートメーション化とコンピューター技術の進歩により衣食住の生産コストがゼロに限りなく近づくというプレ・シンギュラリティという概念も提唱された。
ジェフ・ホーキンス が独自の理論に基づき、人工知能の実現に向けて研究を続けた。ジェフ・ホーキンス は、著書『考える脳 考えるコンピューター』の中で自己連想記憶理論 という独自の理論を展開している。
ロボット向け人工知能としては、MITコンピュータ科学・人工知能研究所のロドニー・ブルックス が提唱した包摂アーキテクチャ という理論が登場している。これは従来型の「我思う、故に我あり」の知が先行する人工知能ではなく、体の神経ネットワークのみを用いて環境から学習する行動型システムを用いている。これに基づいたゲンギス と呼ばれる六本足のロボットは、いわゆる「脳」を持たないにも関わらず、まるで生きているかのように行動する。
実用化の波
2016年 3月、米グーグルの子会社DeepMindが作成した囲碁 対戦用AI「AlphaGo 」が人間のプロ囲碁棋士に勝利。
2016年10月、DeepMindが入力された情報の関連性を導き出し仮説に近いものを導き出す人工知能技術「ディファレンシャブル・ニューラル・コンピューター」を発表。[171]
2016年10月、Microsoftの開発する音声認識ソフトの聞き取りエラー率が人間並みになったと発表。[172]
2016年11月、DeepMindが大量のデータが不要の「ワンショット学習」を可能にする深層学習システムを開発。[173]
2016年11月、DeepMindがAIの学習を従来比で10倍高速化させる新手法を発表。[174]
2016年11月、ニューラル機械翻訳システムGoogle Neural Machine Translationが翻訳にあたって独自に普遍的な言語を作成しており、それに基づいて学習していない言語も翻訳できるという論文が発表される。[175]
2017年1月、初歩的な自己改良プログラムが成功しているとのレポートをMITが公表。[176]
2017年3月、DeepMindがニューラルネットワークが持つ欠陥「破滅的忘却 」を回避するアルゴリズムを開発。[177]
2017年6月、DeepMindが関係推論 のような人間並みの認識能力を持つシステムを開発。[178]
2017年6月、Facebookが開発したチャットボット同士に会話させていたところAIが英語を基にした独自の言語を生み出したと発表。[179]
2017年8月、DeepMindが記号接地問題(シンボルグラウンディング問題 )を解決した[180] 。
2010年代後半には、深層学習の実用化成功により、AIの文字を新聞で見かけない日がないほどのAIブームが再来し、企業も人工知能という言葉を積極的に使っている。最終的には人間が生み出した知性が宇宙を満たし、情報処理が物理法則までも支配するというシンギュラリティ仮説や労働が不要の「瑞穂の国」が出現するというプレ・シンギュラリティ仮説が一定の支持を集めるなど、AIに対する期待は高まった。一方でAIによるディストピア 論や、現状はAIに対する期待に技術が追い付いていないAIバブルだと批判する声もあった。
デミス・ハサビスは「AIの歴史は誤ったはしごに登っては下りるの繰り返しだった。 『正しいはしご』にたどり着いたのは、大きい」と、AIの冬が再び訪れない可能性に言及した。[181]
医療分野では、患者の大量の医療記録をAIに学習させる事で自殺 願望があるかどうかを80%以上の精度で特定できるという研究結果がいくつかあり、AIをセラピスト のように人を救う事に活用できないか模索されている[182] 。
2018年 8月31日、原油高が大きな負担となっていたJALがNECに開発を依頼して新たにAI支援による旅客システムを導入し、約50年続けてきた人間の経験に基づく旅客システム運用を取り止めたことで、空席を殆ど0にまで削減することに成功し、大幅に利益率を向上させた事例が報告された[183] 。この事例はディープラーニング以後のAIが絶大な社会的インパクトをもたらす根拠となる事例と言える。
画像生成AIの隆盛
2022年 4月にOpenAI から画像生成AI の一種であるDALL-E が公開される。
2022年 7月、Midjourney のオープンベータ版が公開され、条件次第で極めて人間に近い、あるいは上回る水準でのイラスト生成が簡単に可能だと世界的な話題となる。人間の参加する絵画コンテストにてMidjourney製のイラストが優勝する事態[184] も起きる。
2022年8月にStable Diffusion がオープンソースとして公開。
2022年10月にNovelAI の日本風イラストに強い画像生成機能が公開され、利用するユーザーの増加に伴い日本のpixiv 、FANZA 等が対応。
2022年以前には画像認識 やカメラ補正などソフトウェアの一部として既に高度なAI技術が利用されていたが、「絵を描く」というそれまでAIの苦手分野だと予想されてきた分野に飛躍的な成果が表れたことで生成AI(ジェネレーティブAI) に対し大きく注目が集まった。
また、「AIがイラストレーターの仕事を奪う」「著作権の侵害」とAIアート への反発も話題となる。2023年、電子情報通信学会 は「生成系AIの研究をやみくもに停止すべきではない」と声明を発表[185] 。
ChatGPTの登場
2020年 にOpenAI より自然言語処理モデルであるGPT-3 が公開される。2022年11月にChatGPT が公開されると、世界的な関心を集めた。対話型の生成AI であるChatGPTはプログラミング を含む多種多様な用途・業務への応用が可能であり、これを利用して論文を書く例も現れている。
2023年 2月、Microsoft はMicrosoft Bing にネット検索と連動可能なAIチャット機能を追加。世界初の対話型AIを搭載する検索エンジンとなった。
2023年3月、GPT-4 に米国の模擬司法試験問題を解かせたところ上位10%に匹敵する成績を出した。日本の司法試験でも合格は厳しいがそれなりに高い正答率を示している[186] [187] [188] 。
脚注
^ 例えば Kurzweil (2005) では、2029年までに人間並みの知性 を持つマシンが出現すると主張している。
^ McCorduck 2004 , p. 5; Russell & Norvig 2003 , p. 939
^ McCorduck 2004 , p. 17; Levitt 2000
^ McCorduck 2004 , p. 8 における引用。 Crevier 1993 , p. 1 と McCorduck 2004 , pp. 6–9 では神聖な彫像について論じている。
^ 他の重要なオートマタ としては、ハールーン・アッ=ラシード が作ったもの(McCorduck 2004 , p. 10)、ジャック・ド・ヴォーカンソン が作ったもの(McCorduck 2004 , p. 16)、レオナルド・トーレス・ケベード が作ったもの(McCorduck 2004 , pp. 59–62) などがある。
^ Cfr. Carreras Artau, Tomás y Joaquín. Historia de la filosofía española. Filosofía cristiana de los siglos XIII al XV . Madrid, 1939, Volume I
^ Bonner, Anthonny, The Art and Logic of Ramón Llull: A User's Guide , Brill, 2007.
^ Anthony Bonner (ed.), Doctor Illuminatus. A Ramon Llull Reader (Princeton University 1985). Vid. "Llull's Influence: The History of Lullism" at 57-71
^ 17世紀の哲学者とAI:
^ ホッブズとAI:
^ ライプニッツとAI:
^ ラムダ計算 はLISP (AIでよく使われていた重要な言語)の着想の元になっており、特にAIにおいて重要である。(Crevier 1993 , pp. 190 196, 61)
^ チューリングマシン : McCorduck 2004 , pp. 63–64; Crevier 1993 , pp. 22–24; Russell & Norvig 2003 , p. 8 および Turing 1936 を参照
^ McCorduck 2004 , pp. 61–62, 64–66; Russell & Norvig 2003 , pp. 14–15
^ 各節の開始年と終了年は、Crevier 1993 と Russell & Norvig 2003 , p. 16−27 による。テーマ、トレンド、プロジェクトについては、最も重要な仕事がされた時期に対応した節で扱っている。
^ McCorduck 2004 , pp. 51–57, 80–107; Crevier 1993 , pp. 27–32; Russell & Norvig 2003 , pp. 15, 940; Moravec 1988 , p. 3; Cordeschi, 2002 & Chap. 5
^ McCorduck 2004 , p. 98; Crevier 1993 , pp. 27−28; Russell & Norvig 2003 , pp. 15, 940; Moravec 1988 , p. 3; Cordeschi, 2002 & Chap. 5
^ McCorduck 2004 , pp. 51–57, 88–94; Crevier 1993 , p. 30; Russell & Norvig 2003 , p. 15−16; Cordeschi, 2002 & Chap. 5 ; McCullough & Pitts 1943
^ McCorduck 2004 , p. 102; Crevier 1993 , pp. 34−35; Russell & Norvig 2003 , p. 17
^ "A Brief History of Computing" at AlanTuring.net.
^ Schaeffer, Jonathan. One Jump Ahead:: Challenging Human Supremacy in Checkers , 1997,2009, Springer, ISBN 978-0-387-76575-4 . Chapter 6.
^ McCorduck 2004 , pp. 70−72; Crevier 1993 , p. 22−25; Russell & Norvig 2003 , pp. 2−3 and 948; Haugeland 1985 , pp. 6−9; Cordeschi 2002 , pp. 170–176; Turing 1950
^ Norvig & Russell (2003 , p. 948) では、チューリングが論文が発表されて以来数年間のAIに対する全ての主な反論に答えたと主張している。
^ McCorduck 2004 , pp. 137–170; Crevier 1993 , pp. 44–47
^ McCorduck 2004 , pp. 123–125; Crevier 1993 , pp. 44−46; Russell & Norvig 2003 , p. 17
^ Crevier 1993 , p. 46 と Russell & Norvig 2003 , p. 17での引用
^ McCorduck 2004 , pp. 111–136; Crevier 1993 , pp. 49–51; Russell & Norvig 2003 , p. 17
^ Crevier (1993 , p. 48) でCrevierは「(この提案書が)後に "physical symbol systems hypothesis"(物理記号システム仮説)と呼ばれるようになった」と記している。物理記号システム (英語版 ) 仮説はニューウェル とサイモン がGPS についての論文(Newell & Simon 1963 )で明確化し名付けたものである。その中では「機械」をより具体的に記号を操作するエージェントと定義している。
^ McCorduck (2004 , pp. 129–130) では、ダートマス会議参加者が最初の20年間のAI研究で重要な役割を果たしたことを論じ、彼らを "invisible college" と呼んでいる。
^ 「誓うことはできないが、私はそれまでその言葉を見たことがなかった」とマッカーシーは1979年、パメラ・マコーダック (英語版 ) に語った(McCorduck 2004 , p. 114)。一方CNET のインタビューでは率直に「私がその用語を考案した」と述べている(Skillings 2006 )。
^ Crevier (1993 , pp. 49) で「この会議が一般的にこの新たな科学領域の公式な誕生日と認められている」と記している。
^ Russell と Norvig は「コンピュータがずば抜けて賢いことをしたときはいつでも驚異的だった」と記している。Russell & Norvig 2003 , p. 18
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^ ミンスキーはこれが誤った引用だと強く主張している。詳しくは McCorduck 2004 , pp. 272–274; Crevier 1993 , p. 96; Darrach 1970 を参照
^ McCorduck 2004 , p. 131; Crevier 1993 , p. 51. McCorduck はまた、1956年のダートマス会議 参加者の指示で資金提供が行われたと指摘している。
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^ Moravec 1976 . マッカーシー はSAIL で同僚として働いていたころからモラベックとは常に意見が合わなかった。彼はCNET のインタビューで「50年前ならマシンの能力が低すぎると言っただろうが、30年前ならマシン性能が真の問題とは言えなかった」と述べている。(Skillings 2006 )
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^ Crevier 1993 , pp. 115−116. 他の見方として、McCorduck 2004 , pp. 306–313 や NRC 1999 では "Success in Speech Recognition" としている。
^ Crevier 1993 , p. 115. モラベックは「DARPAとの当初の約束がそもそも楽観的すぎた。もちろん実際の成果は、そのかなり手前で止まった状態だった。しかし、彼らは次の提案で前回より控えめに約束することはできないと考え、さらに多くのことを約束した」と述べている。
^ NRC 1999 では "Shift to Applied Research Increases Investment" と題している。自律式戦車は失敗したが、戦闘指揮システム(DART )は大いに成功を収め、湾岸戦争 で威力を発揮した。
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^ マッカーシー の考え方の初期の例はサイエンス 誌の記事に見られ、彼は「それがAIだ。だから我々は心理学的なリアルさを気にしていない」と述べている(Kolata 1982 )。最近では AI@50 (英語版 ) 会議で「人工知能は定義上、人間の知能のシミュレーションではない」と述べている(Maker 2006 )。
^ Neat vs. scruffy: McCorduck 2004 , pp. 421–424 では1984年の論争を取り上げている。Crevier 1993 , pp. 168 ではシャンクが初めてそれらの語を使ったことを示している。
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^ McCorduck 2004 , p. 435 では、失敗の制度的理由を挙げている。Crevier 1993 , pp. 204−208 では、学習や更新といったメンテナンスの困難さを指摘している。Lenat & Guha 1989 , Introduction は条件付与の脆弱さと無力さを強調している。
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^ Moravec (1988 , p. 20) "I am confident that this bottom-up route to artificial intelligence will one date meet the traditional top-down route more than half way, ready to provide the real world competence and the commonsense knowledge that has been so frustratingly elusive in reasoning programs. Fully intelligent machines will result when the metaphorical golden spike is driven uniting the two efforts."
^ 例えば Lakoff & Turner 1989
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^ Kurzweil 2005 , p. 274 ではコンピュータチェスの改良について「コンピュータ・ハードウェアの力ずくの拡張でのみ制御される」と記している。
^ Ferranti Mark 1 のサイクルタイムは1.2ミリ秒で、833FLOPS に相当する。ディープ・ブルー は 11.38GFLOPS (これにはディープ・ブルーのチェス専用ハードウェアを考慮していない)である。これらから大まかに計算すると 107 倍となる。
^ McCorduck 2004 , pp. 471–478; Russell & Norvig 2003 , p. 55 では "The whole-agent view is now widely accepted in the field" と記している。知的エージェント のパラダイムはAIの教科書でも採り上げられており、例えば以下がある。Russell & Norvig 2003 , pp. 32−58, 968−972; Poole, Mackworth & Goebel 1998 , pp. 7−21
^ カール・ヒューイット のアクターモデル は知的エージェントの先行例である。(Hewitt, Bishop & Steiger 1973 ); Doyle (1983) やMinsky (1986) でも "agent" という言葉を使っている。モジュール化の提案としては他にロドニー・ブルックス の包摂アーキテクチャ 、オブジェクト指向プログラミング などがある。
^ これが21世紀に入って最も広く受け入れられている教科書での人工知能の定義である。例えば、次がある。Russell & Norvig 2003 , p. 32; Poole, Mackworth & Goebel 1998 , p. 1
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^ ミンスキーはこう続けている。「答えは、私は(HALを)持つことができると信じている(中略)あるとき私はニューラルネットワークの国際会議に出席した。4万人が参加登録していた。(中略)しかし、例えば国際会議を催しても常識推論について複数の表現を使うことができる研究者は全世界で6、7人しか見出せない」Minsky 2001
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