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スターレット (STARLET )は、トヨタ自動車 が製造・販売している乗用車 である。
概要
パブリカ のスポーティーな上級派生車として登場した初代はファストバック ボディの2ドアと4ドアであり、1978年 (昭和 53年)まではスポーティーグレードを廃止した2代目パブリカも併売されていた[注釈 1] 。2代目以降は3ドアと5ドアのハッチバック ボディを持つ。2代目と3代目は商用車 登録のバン も存在したが、ピックアップトラック は作られず、パブリカピックアップが1988年 (昭和63年)まで継続生産されていた。
前輪駆動化した3代目から最終モデルとなる5代目までターボチャージャー 付きエンジン搭載車も設定された。「スタタボ」の愛称で親しまれ、「韋駄天 」「かっ跳び」などホットハッチ としての異名を持つ。
自社生産モデルの設計と組み立ては、トヨタ自動車のルーツでもある豊田自動織機 も参加している。
自社生産モデルは1999年(平成11年)に販売が終了したが、21年後の2020年(令和2年)にトヨタ自動車とスズキ の協業の一環として、スズキがインドで生産しているバレーノ のOEM供給を受け、豊田通商 を通じてアフリカ市場で「スターレット」の車名で販売されることが発表された[1] 。なお、同車はインド市場で「グランツァ」の名称でトヨタブランドで販売されている(当車種のグレードと同名)。
初代 KP4#/5#型(1973年 - 1978年)
1973年 (昭和48年)4月 に2代目パブリカ のスポーティーな上級シリーズとして、パブリカ・スターレット の名でデビュー(1,000cc:KP45 / 1,200cc:KP47)。初代セリカ で好評であった「フルチョイスシステム」[注釈 2] にならい、やや簡略化した「フリーチョイスシステム」を採用[注釈 3] していた。
ボディスタイルは2ドアのファストバック クーペ で、直線的なエクステリアデザインは曲面主体の当時の日本車にあっては新鮮なものだった[3] [4] 。
1973年10月 、4ドアモデル(ファストバックセダン 、1,000 cc:KP40 / 1,200 cc:KP42)が追加され、トヨタ・スターレットとしてパブリカシリーズから独立する。
搭載エンジンは、パブリカと共通の2K 型1,000 ccと3K 型1,200 ccの2種で、1,200 ccはシングルキャブ (68馬力)とツインキャブ(74馬力)の2種が用意されていた。
モータースポーツ ではサーキット レースをはじめ、ラリー 、ジムカーナ 、ダートトライアル などに広く用いられた。中でも、富士スピードウェイ のマイナーツーリング レースで日産・サニー (B110型)、ホンダ・シビック (SB1型)との熾烈なバトルが繰り広げられた。TRD からは各種の競技用部品も市販されたほか、一部の有力チームにはDOHC ヘッド のスペシャルエンジン「137E 」が供給された[5] 。
1973年5月 - ダイハツ・コンソルテ・クーペとして供給開始。形式名EP40。
1976年 (昭和51年)2月 - マイナーチェンジと同時に昭和51年排出ガス規制 を乗り切るため、改善の困難な1,000 cc[注釈 4] とツインキャブ仕様を廃止、1,200 cc・64馬力のシングルキャブ仕様のみに整理、型式もB-KP51系となった。同年9月に2速AT が追加(パブリカ共)された。
2代目 KP6#型(1978年 - 1984年)
「パブリカ」の冠が外れスターレットの単独ネームに変更。通称は「1300スターレット 」で、CMなどでも「トヨタ・スターレット1300」ではなく「トヨタ1300/スターレット」とされた。カモシカ 風のエンブレムを冠した最後のモデルである。ボディは2ボックススタイル(ショートファーストバック )のハッチバックに転換、エンジンは先代モデルに用いられていた3K型の排気量をアップした4K-U型 、72馬力へ変更された。
同時期のライバルは前輪駆動(FF)の車が多く、大衆車 の前輪駆動(FF)化が進んでいた中で後輪駆動(FR)のままデビューした[注釈 5] 。駆動方式は変わらないがプラットフォーム は新開発されている。同社のボトムクラスを担う車種でありながら同クラスで初めて全車にフロントディスクブレーキ を標準装備したモデルである。他にも、衝撃吸収ステアリング やヘッドランプクリーナーといった装備も存在した。
リアアクスルは固定車軸 ながら、先代のリーフリジッド から4リンク +コイルスプリング に変更されるが、後発のバンのみはリーフリジットを採用する。ロックトゥーロック3回転のラック&ピニオン 式ステアリングギアボックス を採用(ちなみに同社としてはトヨタ・2000GT 以来の採用となる)。
発売時のグレード構成は、木目調インテリアやヘッドランプクリーナーなどの高級装備を奢った「SE」(上級車種のカローラ とスプリンター にも設定されていたグレード名。)、スポーツサスペンションなど走りを意識した装備の「S」、標準的な装備の量販グレード「XL」、ベースグレードの「DX」、廉価版の「スタンダード」となっており、スタンダード以外は3ドアと5ドアが選択できた。
前期型と後期型は同じP60系でも内外観の印象は大きく異なる。後期型で電子燃料噴射方式(EFI )仕様の「Si」が追加された。一方、日本で最初のシリーズ戦形式のワンメイクレース となった「スターレット・カップ」を始めとする、競技 用ベース車に廉価グレードも広く使用されたのは、ラック&ピニオン方式を用いたクイックレシオ のステアリングギアボックスや、フロント・ディスクブレーキが全車共通装備であったことからである。
1980年代にはこのクラスはFFが主流となったことからか、FRである同車の中古車価格の値下がりが早く、またアフターマーケットパーツが豊富に存在したことから、1980年代から1990年代にかけて競技 用として普及し、レースやラリー で盛んに使用され、走り屋 にも人気があった。かつてはマイナーツーリング仕様のワンメイクレース「スターレット・グランドカップ」が存在した他、少数ながら初期の全日本ツーリングカー選手権 に参戦した実績がある。
1981年(昭和56年)にTeam ACP によりパリ=ダカールラリー に参戦、時間外ながらも完走を果たしている[注釈 6] 。近年では、2005年 (平成17年)のD1グランプリ に、エンジンや駆動系を大改造した車両が投入された。後に最年少WRC王者となるカッレ・ロバンペラ も、幼い頃からスターレットでドリフトしながらFR車の経験を積んだ。
当時のカタログに砂漠 を片輪走行するシーンがあった[注釈 7] 。
1978年 (昭和53年)2月 - 2代目発表。時流に乗り、背の高い2ボックスボディー +ハッチバック スタイルとなる。その後モータースポーツでのTRD のサポートなどが奏功し、人気車となる。
10月 - パブリカバンの後継車として、リアオーバーハング を延長したスターレット5ドアバン(KP61 / 62V)が追加された。バンのみリアサスペンションはリーフリジッド で、エンジンも当初はパブリカ時代と同じ1.2Lの3K型(3K-U、3K-HJ 1976年1月 - 1977年 8月)が搭載されていたが、1982年 (昭和57年)1月 に1.3Lの4K-J型(KP61V)に変更されている。
1979年 (昭和54年)3月 - 一部変更。4K-Uエンジンの改良および排出ガス浄化システムの改良により、燃費 、ドライバビリティー(運転性)、サービス性が向上(4K-U搭載の4代目・E7#型系カローラ /スプリンター の発売に伴う同時改良)。
1980年 (昭和55年)5月 - マイナーチェンジ。俗に中期型と呼ばれるこの時期のモデルは、ヘッドランプ が前期型の丸型2灯から角型2灯になり、同時に女性仕様の「リセ」が追加されている。バンのヘッドランプのみは角型のライトベゼルに丸型ランプが入っている。足回りは、フロントサスペンションにオフセットコイルスプリングを採用し、乗り心地を改良。
1981年 (昭和56年)8月 - マイナーチェンジ。吸気系統の変更で、運輸省 届出型式は4K-Uのまま、カタログ表記がLASRE 4K-II に変更され、AT車も従来の2速から3速に変更された。廉価グレードのDX-Aに、自動アイドリングストップ 機能の「エコランシステム」[注釈 8] が設定されていた。一部意匠変更。
1982年(昭和57年)1月 - バンのエンジンを 3K-HJ 型から 4K-J 型へ変更。
8月 - マイナーチェンジ。俗に後期型と呼ばれているが、車幅灯がヘッドランプの横に移動(コーナーマーカー化)し、ハッチバックの開口面積が拡大され、インパネ のデザインが大幅に変更されている。また、バンのヘッドランプも角形2灯に変更される。EFI仕様の4K-EU搭載車も設定され、全グレード駆動系を強化、デフサイズが142mmから6インチに拡大。
1983年 (昭和58年)4月 - ドアミラー 仕様車を追加設定。
前期型 5ドア DX(日本仕様)
前期型(欧州仕様)
中期型 5ドア S(日本仕様)
後期型 バン DX
後期型(北米仕様)
NZ のレース仕様。
ローバー 製4.0リッターV8エンジンを搭載し、「手榴弾」の異名を取った。
3代目 EP7#/NP70型(1984年 - 1989年)
ターセル / コルサ の実績を踏まえ、2ドア・3ドアクーペモデルのレビン/トレノを除くE8#型系カローラ /スプリンター同様、駆動方式を横置き 前輪駆動に転換。フロントサスペンション は一般的なマクファーソン・ストラット であるがロアアームの部分がFFレイアウトに合わせる形でこれまでのI字型ロアアームからE8#型カローラ/スプリンター用と同一のL字型ロアアームに刷新され、リアサスペンションは簡潔なトレーリングツイストビーム(アクスルビーム) として、可動箇所と部品点数を極力減らす構成とした。
ガソリンエンジン の排気量は1.3Lで、クロスフロー・バスタブ形燃焼室を採用した直列4気筒 SOHC 12バルブの2E型 を搭載(3ドアRiと3ドア/5ドアSiには2E-ELU型 が搭載された。また欧州仕様には1.0Lの1E型 が存在する)。デラックスは受注生産でリーンバーン エンジンの低燃費スペシャル「パーシャルリーンシステム仕様」[注釈 9] が設定されていた。3速フルオートマチックも時流に合わせ多くのグレードに設定されたがRi~Siリミテッド、乗用最廉価グレードのSTD、バンのCD-Lは当初は設定されなかった。4速マニュアルは2Eの新開発の「新V型キャブレター」車に設定。1987年 (昭和62年)にパブリカ 、スターレットを通して初となる、1.5L ディーゼルエンジン の1N型 を追加、型式名はNP70となる。
前輪駆動となってからも、Ri(自然吸気)・ターボRというモータースポーツ向けグレードが用意されていた。元々のスポーツグレードであるSi・ターボSに比べると、無塗装バンパー、商用グレード並みの内装など、快適装備類が削られ、より競技車両への改造が容易になっていた。KP各型の後を継ぎ、サーキットレースをはじめ、ジムカーナ やダートトライアル まで幅広い競技にエントリーした人気車種であった。
最量販グレードは充実装備のリーズナブルな実用グレードの「ソレイユ」であった。女性仕様にリセがあった。ターボモデルは5ドアもあったが、販売台数は少ない。現在は車両価格の低さ、軽さ、4E-F型系ハイメカツインカムエンジンへの換装の手軽さなどから、耐久レースなどのベース車として活用されている。
1984年 (昭和59年)10月1日 - フルモデルチェンジ。前輪駆動方式に転換、型式もP70系となる。バンモデル (EP76V)も存在したが、先代とは異なり、乗用モデルの3ドアハッチバックと同じ車体であった。
1985年 (昭和60年)1月 - お買い得価格の特別仕様車 のソレイユが登場。1986年 (昭和61年)1月にカタログモデルに昇格。1987年 (昭和62年)1月のマイナーチェンジ後はエアコンとカラーバンパーを装備した特別仕様車の「ソレイユL」が度々限定販売された。
1986年(昭和61年)1月8日 - ネット105馬力にパワーアップをしたターボ モデル[注釈 10] を追加。
1987年(昭和62年)1月 - マイナーチェンジ。ディーゼル車追加。ターボ以外のモデルはバンパーがやや大型化され、フロントグリル の変更を受ける。同時にEFI仕様車に4速ATを追加。ここでDX-Aを廃止。
1988年 (昭和63年)1月 - ターボモデル - マイナーチェンジ[注釈 11] 制御機能[注釈 12] 追加等で最大出力を110馬力に向上した。同時に乗用最廉価グレードのSTDがソレイユに統合される形で廃止となった。
4月4日 - モデルライフ末期ながら、Siとソレイユにキャンバストップ 仕様を追加。
4代目 EP8#/NP80型(1989年 - 1996年)
衝突安全ボディー 「CIAS (サイアス)」を採用。1.3LエンジンはSOHC 12バルブから、ハイメカツインカムII (DOHC 16バルブ)となる(最高出力はキャブレター 仕様(4E-F )が82PS、EFI(4E-FE )が100PS、GTのターボ 仕様(4E-FTE )が135PS)。1.5Lディーゼルエンジン (1N )は55PSである。スターレット初の4輪ディスクブレーキをGTに搭載し、オプションのABS はクラス初の設定である。先代まで続いた4ナンバー登録の商用モデルは廃止された。上級グレードのガソリン車は車体側面に「16VALVE EFI」又は「16VALVE」の文字が添えられた。1989年販売型にのみ見られる特徴として、リヤコンビランプの上にトヨタのCI マークと TOYOTA のエンブレムが併設されている。
型式名は、前輪駆動 モデルはEP82、四輪駆動 モデルはEP85、ディーゼルエンジンモデルはNP80。このモデルから全てのガソリンエンジン がDOHC化(1N型ディーゼルエンジンのみSOHCを継続)され、1気筒あたり4バルブ となった。
初期のGTはシャーシに対して出力が上回っていたため、アクセルを踏み込むと強いトルクステア やホイールスピンを生じる事から、しばしば「じゃじゃ馬」的な車と評された。後のマイナーチェンジで足回りやブースト圧 が見直され、トルクステアもやや落ち着いたものとなる。ターボエンジンモデルもさることながら、NAエンジンモデルも歴代最高の出力を誇ったことや価格の低さを買われてレースに多用されている。例えば、富士スピードウェイ で行われている富士チャンピオンレース のN1400クラスや筑波サーキット で行われている筑波シリーズのTTC1400クラス(いずれも排気量1.4L以下の市販車をベースとしたN1レース)は、2023年 現在、事実上このEP82型のワンメイクレースとなっている[10] [11] 。
1989年販売型は、SiはEFI仕様100PSで5MT/4AT、S・キャンバストップ・X-Limitedが電子制御キャブレター仕様で5MT&3AT、ソレイユ系は電子制御キャブレター仕様で4MT/3ATという組み合わせだったが、中期型からは全グレードでガソリンエンジンがEFI化したのに伴い、SiはSに改称のうえ(iはinjectionのiのため)統合された。4WD車とディーゼル車は、ソレイユ系でも5MT/4ATが組み合わされる。
特別仕様車は、1992年改良型にGTリミテッド、ソレイユL "Memorial"、ソレイユL "Can"、1994年改良型にソレイユL "Jeans Package" 等があった。ソレイユ系の特別仕様車はいずれも、手動調整/可倒式カラードドアミラー、運転席ワンタッチ式パワーウィンドウ&電磁式パワードアロック、大型ドアトリム、ラジオレス+2スピーカー、X-Limitedと同意匠のフルホイールキャップ、リヤドアのアームレストが特別装備として用意されていた。Canは電動系の装備は付かないがエアコン、ストライプ、防眩インナーミラーが標準装備された。カタログモデルのソレイユL(3/5ドア)はセミキャップ付スチールホイールとストライプテープ式の車名・グレード名ロゴ、2本スポークのウレタン製ステアリング・ホイール、ヘッドレストなしリヤシートが特徴である。廉価グレードでありながら、中期型から運転席ワンタッチ式パワーウィンドウ&電磁式パワードアロックがメーカーオプション設定されていた。最廉価グレードのソレイユは、当時のカローラバン/スプリンターバンよりも小さく取り回しの良いビジネスカー(いわゆる営業車)を求める法人需要に応えるグレードとしてのポジショニングもあり、センターキャップ付スチールホイール+155-SR13タイヤ、AM電子チューナーラジオ+1スピーカー、手動開閉式ドアガラス、可倒式ドアミラー(他グレードのものとは意匠が異なる)などの必要最低限の装備に絞られ、フロントワイパーはOFF/LO/Hiと2段階の設定であった。マニュアルエアコンはディーラーオプション設定であった。リヤワイパー、リヤウィンドゥデフォッガー、4-ABS、運転席SRSエアバッグ、フォグランプ、パワーステアリング、デジタル時計、トノカバーなどの設定はなかった。
一部特別仕様車を除いて、GTはパワーウィンドウ&パワードアロック、エアコン、フルホイールキャップはすべてオプション設定。
4WDモデル改FRドリ車 仕様が雑誌「ドリフト天国 」によって制作された。モチーフは前述のKP61型でフェンダーミラー がついている。
1989年 (平成 元年)12月 - フルモデルチェンジ。CMキャラクターにはレピッシュ が、CMソングには彼らが歌う「パヤパヤ」がそれぞれ起用された。キャッチコピーは「青春のスターレット」。
1990年 (平成2年)8月 - ソレイユLとXリミテッドに4WDモデルを追加、リアシート3点式シートベルトを全車にオプション設定、キャンバストップ系とソレイユ系にも4輪ABSを設定するなど一部装備を向上させた。
1992年 (平成4年)1月 - マイナーチェンジ。フロントバンパー、グリルの意匠変更とGT、Gi、S、Xリミテッドにバックドアにリアコンビランプ を横長に見せるガーニッシュが追加され、更にソレイユLには1989年販売型には非装備となっていたトリップメーター が、Xリミテッドには1989年販売型には非装備となっていたタコメーター がそれぞれ標準装備となった。ガソリンエンジン全てがインジェクション 仕様となり出力が向上、このため一部グレードの見直しが図られた。全車に運転席SRSエアバッグ とABSがメーカーオプションで設定され安全性の向上が図られた。ガソリン車の車体側面のサイドドアプロテクションモール、ソレイユ系のストライプテープ、の上に「16VALVE EFI」のロゴタイプが添えられた。
1994年 (平成6年)5月 - マイナーチェンジ。同時に特別仕様車「ソレイユL "Jeans Package" 」を発売。CMキャラクターとして女性ミュージシャン のCHARA を起用。CMソングには、CHARAの「あたしなんで抱きしめたいんだろう? 」と山下久美子 の「スウィート・ガールズ・パレード 」が起用された。6年間続いたキャンバストップの生産・販売終了。
1995年 (平成7年) 12月 [12] - 生産終了。在庫対応分のみの販売となる。
1996年 (平成8年) 1月 - 5代目にバトンタッチして販売終了。
5代目 EP9#/NP90型(1996年 - 1999年)
CMは加藤紀子 と蛭子能収 が起用された。キャッチコピーは「わたしのケライ」。衝突安全ボディ、“GOA ”となる。型式名は前輪駆動モデルはEP91、四輪駆動モデルはEP95、ディーゼルエンジンモデルはNP90。
スポーティーな外観を持つモデルは、それぞれ、4E-FE 型エンジン(1.3L)を搭載した自然吸気 モデルグランツァS (Glanza S) 、4E-FTE型エンジン(1.3L)を搭載したターボ モデルグランツァV (Glanza V) という名称になり、3ドアのみラインナップされた。
このモデルよりエアバッグ やABS を標準装備とし、当時のコンパクトカーとして安全への配慮も十分に行われた。特にシートベルトプリテンショナー/フォースリミッターは当時かなりのコストが掛かるため、高級セダン以外は装備が進んでいるとは言えなかったが、ターセル 兄弟ともども1997年にクラス初として標準装備されただけでなく、先代まで最廉価グレードで省略されていたトリップメーターもこのモデルでようやく標準装備となった。
ターボモデルは本格的なスポーツ走行を目的とし、快適装備を省いたモータースポーツパッケージ (MSP) も用意された。EP91型のターボモデルは、駆動系の保護と過度のホイールスピン を防いで安全性に配慮し、1速発進時に過給圧 を抑える機構が追加されている。任意でブースト圧を低く設定できる「ローモード・スイッチ」は先代から引き継がれている。
4E-FE型エンジンを搭載した自然吸気の通常モデルはルフレ (Reflet / Reflet f / Reflet x) という名称になり、3ドアと5ドアがラインナップされた。EP82型搭載のEFIエンジンと同型式だが、環境性能・運転性などを重視したチューン により、最大出力が下がっている。
EP91系ターボモデルは、グランツーリスモシリーズ や首都高バトル01 といったレースゲームに登場している。
1995年 (平成7年)12月25日 - フルモデルチェンジを発表。
1996年 (平成8年)1月8日 - 販売開始。
1997年 (平成9年) - 各社のレトロ 調モデルの追加に合わせ、クラシック風のドレスアップモデルとしてカラット (Carat )が登場。自然吸気エンジン全車に TDI (Toyota Direct Ignition System) を採用。上位モデルのルフレxは、内・外装デザイン以外の性能は自然吸気スポーツモデルのグランツァSと同等であった。
1998年 (平成10年)1月 - マイナーチェンジ。フロントバンパーとテールレンズの意匠変更とウインカー レンズのクリアレンズ化、およびルフレf、ルフレxのヘッドランプ がマルチリフレクター化された。ルフレとカラットはカットレンズのままであった。(グランツァ系はマイナーチェンジ前からマルチリフレクターが採用されている)。プリテンショナー&フォースリミッター機構付シートベルトとブレーキアシストを標準装備し、さらなる安全性を高めた。同年10月に特別仕様車 としてカジュアルRV(RV風) のリミックス (Remix) (ラシーン に対抗したモデル。5ドアのみ)もラインナップされ、バリエーションを拡充。
1999年 (平成11年)1月13日 - 実質的な後継車種であるヴィッツ が登場したが、その後も継続して生産・販売となる。
1999年 (平成11年) 7月 [14] - オーダーストップに伴い生産終了。以降は在庫対応分のみの対応となる。
1999年 (平成11年)8月5日 - ヴィッツ に1.3L車が追加された[注釈 13] のに伴い販売終了。パブリカスターレット名義から通算して5代26年[注釈 14] の歴史に幕を下ろす事となった。
5ドアルフレX(前期型)
5ドアルフレX(後期型)
ルフレfリミテッド(後期型)
グランツァV(前期型)
グランツァV(前期型)
グランツァS(後期型)
カラット(後期型)
リミックス
リミックス リア
6代目 K1##R型(2020年 - )
6代目スターレットの兄弟車であるグランツァ
スズキが生産するスズキ・バレーノ のOEMとして2020年9月からトヨタ自動車からアフリカでの営業業務の全面移管を受けた豊田通商がアフリカで発売[15] 。21年ぶりの復活となった。
ボディサイズが全長3995mm×全幅1745mm×全高1470mmの5ドアハッチバックボディで、乗車定員は5名である。
搭載されるエンジンは1.4Lガソリンで、最高出力92馬力、最大トルク130Nmを発揮。トランスミッションは4速ATと5速MTとなる。
車両型式と姉妹車
型式(かたしき)表記はトヨタの通例どおりで、"KP## "、"EP## "などである。最初のアルファベットはエンジン型式、後のアルファベットの"P"は車種「スターレット」を意味する。"P"は初代モデルであるパブリカスターレット、および先代のパブリカ から引き継いだもので、Pの型式は後継車種であるヤリス (2020年まではヴィッツ )にも引き継がれている。
トヨタ自動車は、スターレットとサスペンションやエンジン、トランスアクスル などのパワートレインを共用し、型式が"L "でハッチバックが類似車であるターセル 、コルサ 、カローラII が存在するが、スターレットは単独の型式"P "であり、姉妹車 ではない。両系列ともに第2開発センターの車種であるが、開発チームも分かれている。なお、セラ は3代目スターレットをベースにした車であり、足回りやシートが共通である。
車名の由来
小さくても輝いて欲しいと言う願いから 英語で「小さな星」の意味の名詞 「starlet」となった
脚注
注釈
^ スターレットの後継車にあたるヴィッツ も発売当初(1999年1月から同年8月の一部改良まで)は、5代目スターレットとの併売だったほか、更に日本市場におけるヴィッツの後継車にあたるヤリス も発売当初(2020年2月10日から同年3月31日まで)は3代目ヴィッツとの併売だった。
^ エンジン、外装の他、内装にも材質、装備の品目等によるグレードが設定されており、内外装色、トランスミッションなども含め、ある程度自由な組み合わせが可能で、ユーザーが自分の好みに合わせられるという販売システム。
^ 1976年 (昭和51年)2月 以降は設定がなくなる。
^ 販売中止後、市場を直接受け継ぐ国内向けの1000 ccモデルは長らく現れず、1998年 (平成10年)9月 にダイハツ・ストーリア のOEM となるデュエット が発売されるまでトヨタで国内向けにおける1000 ccクラスの小型乗用車は22年間、空白となり、1,000 ccエンジンのトランク が付いた(非ハッチバック 機構の)4ドアセダンは1999年 (平成11年)8月発売のプラッツ まで空白となる。
^ 初代パブリカの開発経緯に見られるように、トヨタは大衆車の安易なFF化に対しては懐疑的であった。FF化後も、一旦は等長ドライブシャフト の縦置きエンジン で市場の反応を伺うなど、横置きエンジン +ジアコーサ式の採用にも大変慎重であった。
^ TBS 系列 の朝の情報番組 「おはよう720 」、および「おはよう700 」内の、トヨタ車で世界を走破する企画、「キャラバンII」の延長で、横田紀一郎を中心とするメンバーもほぼ同じ。これ以降、トヨタはパリ=ダカの市販車無改造クラスを中心にラリーレイド にも参戦する。
^ これは元ラリードライバーで、後にトヨタのワークスチームとしてWRCやF1を率いた、オベ・アンダーソン の運転によるものであった。
^ DX-Aの5速MT車で販売期間は1981年 (昭和56年)8月 - 1984年 (昭和59年)10月
^ 寒冷地仕様車 は設定なし
^ ターボモデルはバンパー組み込みフォグランプ内蔵大型エアロ風バンパーとボンネット上のエアースクープ。
^ フロントグリル形状変更に伴い、バンパー下部のフォグランプをグリル埋込み仕様へ変更
^ 雪道や降雨時等、滑りやすい路面を走行することを考慮し、スイッチ1つでブースト圧を抑える機能を追加。スイッチON-110馬力⇒90馬力
^ 追加当初は4WD車専用だったが、後のマイナーチェンジでFF車の上位グレードにも1.3L車が設定された。
^ パブリカスターレットの元となった無印パブリカを含めた場合は通算して7代38年となる。
出典
関連項目
外部リンク