1980年の南海ホークス(1980ねんのなんかいホークス)では、1980年の南海ホークスにおける動向をまとめる。
このシーズンの南海ホークスは、広瀬叔功監督の3年目のシーズンである。
概要
前年アキレス腱断裂で離脱していた門田博光が復帰し、開幕直後は門田とカルロス・メイが牽引役となってチームは好スタートを切り4月を首位で終えるが、4月30日から7連敗を喫し一気に借金生活に突入すると、5月下旬から4連敗・5連敗と負けが込みチームは5位に転落。後期に入ると開幕8試合で1勝7敗と早々と最下位が定位置となり、大混戦の優勝争いを尻目に南海だけが蚊帳の外に置かれ、結局2年ぶりの年間最下位。チーム打率はリーグ3位と健闘したが、チーム防御率は5点台後半と、広瀬監督就任以降悪化する一方で、チームの低迷を食い止められなかった広瀬は責任を取り辞任。日程消化の都合で11月に行われた前期最終戦に勝利し、前期5位だけは確保し、広瀬は26年間在籍したチームを去った。カード別成績では後期に優勝争いを演じた西武に11勝14敗1分と健闘し、5位の阪急にも12勝14敗と互角だったが、2位ロッテには7勝17敗2分と大きく負け越した。広瀬監督辞任を受け、この年まで阪神タイガースの監督を務めたドン・ブレイザーが後任の監督に就任し、ブレイザー監督は「考える野球」でチームの立て直しを図ることになる。
チーム成績
レギュラーシーズン
1980年パシフィック・リーグ順位変動
前期
順位
|
4月終了時
|
5月終了時
|
前期成績
|
1位
|
南海 |
--
|
ロッテ |
--
|
ロッテ |
--
|
2位
|
ロッテ |
1.0
|
近鉄 |
2.0
|
近鉄 |
1.5
|
3位
|
阪急 |
1.5
|
日本ハム |
2.0
|
日本ハム
|
4位
|
日本ハム |
3.0
|
阪急 |
3.5
|
阪急 |
6.5
|
5位
|
西武 |
4.5
|
南海 |
4.5
|
南海 |
7.0
|
6位
|
近鉄 |
5.0
|
西武 |
6.0
|
西武 |
7.5
|
|
後期
順位
|
7月終了時
|
8月終了時
|
後期成績
|
1位
|
日本ハム |
--
|
日本ハム |
--
|
近鉄 |
--
|
2位
|
ロッテ |
0.5
|
ロッテ |
0.5
|
日本ハム |
0.5
|
3位
|
西武 |
0.5
|
西武 |
2.0
|
ロッテ |
2.0
|
4位
|
阪急 |
3.0
|
近鉄 |
3.0
|
西武 |
2.0
|
5位
|
近鉄 |
4.0
|
阪急 |
3.5
|
阪急 |
6.5
|
6位
|
南海 |
10.0
|
南海 |
15.0
|
南海 |
16.0
|
|
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
オールスターゲーム1980
できごと
選手・スタッフ
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監督 | |
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コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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練習生 | |
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表彰選手
ドラフト
出典
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1930年代 | |
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1940年代 | |
---|
1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。 |