1965年南アフリカグランプリ (1965 South African Grand Prix) は、1965年のF1世界選手権の開幕戦として、1965年1月1日にプリンス・ジョージ・サーキットで開催された。
レースは85周で行われ、ロータスのジム・クラークがポール・トゥ・ウィン、フェラーリのジョン・サーティースが2位、BRMのグラハム・ヒルが3位となった。後にドライバーズチャンピオンとなるジャッキー・スチュワートのF1デビュー戦でもある。
レース概要
ジム・クラークが平均時速100mph(約160.934km/h)を超える速さでレースを支配し、ジョン・サーティースとグラハム・ヒルに30秒差を付けてポール・トゥ・ウィンでホグマネイ[注 1]を祝った。
1965年の開幕戦は、最終ラップでサーティースが劇的なチャンピオンを獲得した前年のメキシコGPからわずか5週間後の元日に始まった。これは、マシンが新しい1965年製ではなく、1964年製であることを意味していた。さらに、エンジンの最大排気量が1.5Lで行われるのが1965年で最後となるため、ほとんどのチームは翌1966年に新たな3.0L用の新車を製造する前に、もう1年、既存のマシンを使用し続けることを決めた[1]。
前年のコンストラクターズチャンピオンのフェラーリは、前年同様サーティースとロレンツォ・バンディーニのラインナップだが、エンツォ・フェラーリが250LMのGTカー公認を巡るイタリア国内スポーツ当局との論争によりライセンスを持っておらず、チーム監督のエウジェニオ・ドラゴーニによってエントリーされた[1][2]。前年後半に登場した水平対向12気筒エンジン[注 2]を搭載した1512の開発熟成に手間取ったため、V型8気筒の158と併用した[3]。
ロータスはクラークとマイク・スペンスのまま変更なく、BRMはリッチー・ギンサーがホンダへ移籍したため、新人ジャッキー・スチュワートがヒルのパートナーとなった[1]。ブラバムはダン・ガーニーとジャック・ブラバムが引き続きドライブするが、タイヤはこの年から本格参入したグッドイヤーに変更された。これにより、長らく続いていたダンロップのワンメイク状態に終止符が打たれた[4]。クーパーはブルース・マクラーレンのチームメイトとして、新たにヨッヘン・リントを迎えた。ロブ・ウォーカーは引き続きブラバムを走らせ、ドライバーもヨアキム・ボニエとジョー・シフェールの両者とも残留した[1]。
予選はクラークがフロントローに並ぶサーティースとブラバム[注 3]に1秒近い差を付け、ポールポジションを獲得した。2列目にスペンスとヒル、3列目にバンディーニ、ボニエ、マクラーレン、4列目にガーニーとリントが続いた[1]。
レースはクラークがストレートでリードし、チームメイトのスペンスが続き1-2体制を築いた。しかし、43周目にスペンスがスピンし、サーティースの猛追を受ける。60周目にスペンスが再びスピンしてしまい、サーティースとヒルに抜かれた[1]。
レース終盤、クラークが誤って1周早くチェッカーフラッグが振られてしまうハプニングがあったが、彼は戸惑わずに無視して、正規の周回数でフィニッシュした。優勝したクラーク、2位サーティース、3位ヒルが表彰台を獲得、スペンスは4位に終わった。マクラーレンが5位、F1デビュー戦のスチュワートは早くも6位に入賞した[1]。
エントリーリスト
- 追記
- ^1 - エントリーしたが出場せず[6]
- ^2 - エンジンが準備できず
結果
予選
- 追記
決勝
- ラップリーダー[9]
第1戦終了時点のランキング
- ドライバーズ・チャンピオンシップ
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- コンストラクターズ・チャンピオンシップ
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- 注: トップ5のみ表示。ベスト6戦のみがカウントされる。
注釈
脚注
参照文献
外部リンク