1965年イタリアグランプリ (1965 Italian Grand Prix、正式名称:XXXVI Gran Premio d'Italia) は、1965年のF1世界選手権第8戦として、1965年9月12日にモンツァ・サーキットで開催された。
BRMのジャッキー・スチュワートがF1初勝利を挙げ、チームメイトのグラハム・ヒルが2位で1-2フィニッシュを達成した。ブラバムのダン・ガーニーが3位となった。
レース概要
背景
ロータスはレギュラーのジム・クラークとマイク・スペンス(英語版)に加え、地元出身のジェーキ(Geki、本名はジャコモ・ルッソ)をスポット参戦させた。ホームグランプリとなるフェラーリは、レギュラーのジョン・サーティースとロレンツォ・バンディーニが1512で、スポーツカードライバーのニーノ・ヴァッカレッラ(英語版)が158でスポット参戦し3台体制とした(ルドビコ・スカルフィオッティも1512でエントリーされたが、参加しなかった[1])。ブラバムはダン・ガーニーとデニス・ハルムに加え、ジャンカルロ・バゲッティがスポット参戦した[2]。前戦ドイツGPを欠場したホンダはRA272に大改修を施し、エンジン搭載位置が下げられ、弱点だった重量過多を解決すべく軽量化を行い、ボディやサスペンションも改められた後期型(RA272改とも呼ばれる[3])で残り3戦に臨み[4]、ドライバーもリッチー・ギンサーとロニー・バックナムの2台体制に戻った。
予選
クラークが2番手のジャッキー・スチュワートに0.2秒の差でポールポジションを獲得し、3番手のサーティースまでがフロントロー[注 1]、グラハム・ヒルとバンディーニが2列目、バックナムはヨッヘン・リントとスペンスとともに3列目を占めた[2]。
決勝
スタートでクラークが首位をキープし、スチュワート、ヒル、バンディーニが続き[2]、サーティースはクラッチに問題が発生して後退する[5]。クラーク、スチュワート、ヒルがデッドヒートを繰り広げ[2]、スタートで出遅れたサーティースもこれに加わって一度は首位に立ったが、クラッチが全く使えなくなってリタイアした[5]。後方でも同様のスリップストリームの攻防が見られ、レースは先が読めない展開となった。2台のBRMとの攻防を繰り広げ続けたクラークは63周目に燃料ポンプのトラブルでリタイア(10位完走扱い)し、連勝は6[注 2]でストップした。ヒルは勝利への準備を整えたように見えたが、残り2周となったパラボリカでミスを犯し、スチュワートがトップに立った[2]。スチュワートはヒルに3.3秒差を付け、F1デビュー8戦目で初勝利を挙げた[6]。ホンダのバックナムとギンサーはともに第2集団まで上がるのが精一杯で[4]、2台ともリタイア(ギンサーは14位完走扱い)に終わった。
エントリーリスト
- 追記
- ^1 - 当初、No.2はサーティース、No.8はスカルフィオッティでエントリーされていたが、サーティースが練習走行でNo.2とNo.8の2台を走らせ、No.8で出走した[8]。
- ^2 - マシンが準備できず[9]
結果
予選
決勝
- ラップリーダー[12]
- 1-2=クラーク、3=ヒル、4=クラーク、5=ヒル、6=スチュワート、7=クラーク、8-9=スチュワート、10=クラーク、11-14=スチュワート、15=サーティース、16-17=スチュワート、18=クラーク、19-20=スチュワート、21=クラーク、22-24=スチュワート、25-26=ヒル、27=クラーク、28=ヒル、29-32=スチュワート、33-36=クラーク、37=スチュワート、38=クラーク、39=スチュワート、40=ヒル、41-43=スチュワート、44=クラーク、45=ヒル、46=クラーク、47-49=スチュワート、50=ヒル、51=クラーク、52=スチュワート、53-54=クラーク、55-56=ヒル、57=クラーク、58-69=スチュワート、70-71=ヒル、72=スチュワート、73=ヒル、74-76=スチュワート
- クラーク - 19周、ヒル - 13周、スチュワート - 43周、サーティース - 1周
第8戦終了時点のランキング
- ドライバーズ・チャンピオンシップ
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- コンストラクターズ・チャンピオンシップ
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- 注: トップ5のみ表示。ベスト6戦のみがカウントされる。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
注釈
脚注
参照文献
外部リンク