1947年の南海ホークス(1947ねんのなんかいホークス)では、1947年の南海ホークスの動向をまとめる。
この年の南海ホークスは、職業野球公式戦再開2年目のシーズンである。
概要
戦中、近畿日本鉄道に統合されていた旧南海鉄道の事業一切が、シーズン中の6月1日に南海電気鉄道へ譲渡され、球団の親会社も南海電鉄へ移行。これにあわせて球団名を「南海ホークス」に改称した。前年球団創設以来初の優勝を成し遂げたチームは鶴岡兼任監督のもと、2連覇が期待されたがこの年は同じ在阪球団の阪神が首位を独走し、南海は終始苦戦を強いられた。親会社が近鉄から南海に変更された6月以降は阪神や中日との差が広がり、優勝の阪神に19ゲーム差をつけられチームは3位で終了した。投手陣は別所昭がチーム勝利数の半数を稼ぎ、中谷信夫や丸山二三雄も2桁勝利をあげるなど先発陣が活躍し防御率は2点台前半と健闘した。打撃陣はリーグ1位の196盗塁と走りまくったが、本塁打は24本でリーグ6位に終わった。
チーム成績
レギュラーシーズン
1947年日本野球連盟順位変動
順位 |
5月終了時 |
6月終了時 |
7月終了時 |
8月終了時 |
9月終了時 |
最終成績
|
1位
|
大阪 |
--
|
大阪 |
--
|
大阪 |
--
|
大阪 |
--
|
大阪 |
--
|
大阪 |
--
|
2位
|
中日 |
0.5
|
中日 |
1.5
|
中日 |
6.0
|
中日 |
5.5
|
中日 |
8.5
|
中日 |
12.5
|
3位
|
南海 |
2.5
|
南海 |
7.0
|
南海 |
10.0
|
南海 |
10.5
|
南海 |
11.0
|
南海 |
19.0
|
4位
|
金星 |
7.5
|
阪急 |
10.0
|
巨人 |
13.0
|
阪急 |
14.5
|
阪急 |
12.5
|
阪急 |
20.5
|
5位
|
阪急 |
8.0
|
巨人
|
阪急 |
14.5
|
巨人 |
15.0
|
巨人 |
16.5
|
巨人 |
22.5
|
6位
|
太陽 |
8.0
|
金星 |
12.5
|
東急 |
18.0
|
太陽 |
17.5
|
太陽 |
21.5
|
東急 |
28.0
|
7位
|
東急 |
8.5
|
太陽 |
13.0
|
太陽 |
18.5
|
東急 |
22.0
|
東急 |
24.5
|
太陽 |
28.0
|
8位
|
巨人 |
9.0
|
東急 |
14.0
|
金星 |
20.0
|
金星 |
23.0
|
金星 |
25.5
|
金星 |
37.5
|
できごと
選手・スタッフ
[2]
表彰選手
ベストナイン
|
選手名 |
ポジション |
回数
|
別所昭 |
投手 |
初受賞
|
出典
|
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1930年代 | |
---|
1940年代 | |
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。 |