『長渕剛LIVE』(ながぶちつよし・ライブ)は、日本のミュージシャンである長渕剛の初のライブ・アルバム。
1981年3月5日に東芝EMIのエキスプレスレーベルからリリースされた。『風は南から』(1979年)から『乾杯』(1980年)までのアルバム3枚から選曲されている他、ライブのみのオリジナル曲も収録されている。
オリジナル・アルバムに関して「なぜギター1本でやらないのか」という内容のファンレターが来た事を切っ掛けにリリースが決定、1980年から1981年にかけてのライブから抜粋して収録され、大半が長渕剛本人によるギター弾き語りで進められている内容となった。
オリコンチャートでは最高位4位となった。
前作『乾杯』(1980年)リリース後、長渕は単独ライブツアー「長渕剛コンサートツアー'80」を9月8日から翌1981年1月9日まで開催した。
シングル「順子/涙のセレナーデ」(1980年)がミリオンセラーを獲得し、10月5日にはそれに次ぐシングル「ヒロイン」(1980年)をアルバム『乾杯』からのシングルカットとしてリリースするも、同曲はあまり売り上げが伸びずヒットには至らなかった。
それ以外の活動として、10月よりTBSラジオにて『ナウ・ジェネレーション/長渕剛のアピール26』、ニッポン放送にて『長渕剛のひたすら60分』のパーソナリティーを務め始める。
そんな折、長渕の元に寄せられた手紙の中に「なぜレコードもギター1本でやらないのか」という投げ掛けがあったため、それに対する返答として本作のリリースが決定された[1]。長渕は「ステージは俺の姿勢と本音。いわゆる俺の裸の生きざま。レコードは一人のミュージシャンとしての音楽に対する挑戦状」という考え方を持っており、前述のハガキをきっかけに「裸の俺の生きざまをレコードで証明するとしたら、これはもうライブ盤しかない」との思いから本作のリリースに踏み切った[1]。
文芸雑誌『文藝別冊 長渕剛 民衆の怒りと祈りの歌』においてライターの五井健太郎は、「八〇年から八一年までのいくつかのライブを抜粋して収録した、この時点でのベスト盤的内容のライブアルバムである本作の聴きどころは、観客たちと楽しそうにコミュニケーションをとって歌う長渕のすがたであろう」、「その場での即興の盛りあがりを存分に示すこれらの曲からは、フォークシンガーとしてののかれのライブがこのときひとつの完成を見ていたことがわかる」と表記されている[2]。
1981年3月5日に東芝EMIのエキスプレスレーベルより、LP、カセットテープの2形態でリリースされた。LP盤には4Pステージフォトが付属、また「乾杯」「さようならの唄」の2曲を収録したアンコールシングルが付属していた。カセット盤にはそれぞれA面とB面のラストに1曲ずつ分かれて収録されている。
1985年11月1日にはCDにて初めてリリースされたが、4Pステージフォトは省略され、「乾杯」「さようならの唄」はボーナスとして13、14曲目に収録されている。。その後2006年3月8日に24ビット・デジタルリマスター、紙ジャケット仕様で再リリース、4Pステージフォトは縮刷された物が付属されている。
歌詞カード、及びライナーノートは、長渕の自筆によるもので、ライナーノートには、昭和56年1月14日記載の表記がある。
このアルバムに於て、フォトグラファーに大川奘一郎の名が見られるが、後に至るまで長渕のアルバムやライブの写真は、殆どが大川の撮影によるものである。
文芸雑誌『文藝別冊 長渕剛 民衆の怒りと祈りの歌』において五井は、「セピア色のジャケット写真が渋い。流れる長髪にサングラス、シックなロングコートに垂らされたマフラーのそのすがたから漂うのは、どこか中性的な雰囲気だ。いまの長渕しか知らないファンにはかなり意外なものであろう」と表記されている[2]。
オリコンチャートでは最高位4位となり、売り上げは約11万枚となった[4]。また、2006年の再発版では最高位227位となった[5]。
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