酒井 忠宝(さかい ただとみ)は、江戸時代後期から末期の大名。播磨姫路藩の第6代藩主。雅楽頭系酒井家19代。
旗本・酒井忠讜(ただなお:「言に黨」、第4代藩主・酒井忠実の5男)の長男。本家に男子がなく、先々代忠実の孫にあたることから、第5代藩主・忠学(忠讜の従兄弟にあたる)の婿養子となる。弘化元年(1844年)、忠学の死去に伴い家督を継ぐ。嘉永6年(1853年)、25歳で死去し、跡を従弟で養子の忠顕が継いだ。
分家・支流
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