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左:ホームの様子 右:窓口の様子(2010年5月)
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足寄駅(あしょろえき)は北海道足寄郡足寄町北1条1丁目にあった北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の駅(廃駅)である[5]。国鉄・JR北海道池北線時代の事務管理コードは▲110506[6]。
歴史
駅名の由来
駅構造
地上駅。廃止時は相対式ホーム2面2線を有した。
- のりば
- 1番のりば…ふるさと銀河線上り本別・池田方面
- 2番のりば…ふるさと銀河線下り陸別・北見方面、上り(池田からの折り返し列車)
廃止時まで社員配置駅(末期には駅長と助役の2名配置)であった。末期には窓口は平日の7時50分から16時15分まで営業していたが、廃止前1ヶ月程度の期間は土日祝も営業していた。ふるさと銀河線乗車券・回数券・定期券のほか、北海道旅客鉄道(JR北海道)管内の普通乗車券・特急券・指定席券も取り扱っており、これらについては補充券による発行が行われていた。末期には改札業務は行われていなかった。
そのほか駅舎には十勝バス案内所、売店があった(拓殖バス案内所は路線廃止により2005年(平成17年)9月30日で営業終了)。
そのため2005年(平成17年)9月まで、ちほく高原鉄道、十勝バス、拓殖バス、道の駅きっぷと4種類のきっぷが買える駅だった。
駅2階には、地元出身の松山千春のギャラリーが設けられている他、駅前には、ヒット曲「大空と大地の中で」が流れ、本人の筆跡で書かれた歌詞と肖像画がデザインされた歌碑が設置されている。
白糠線・北十勝線の分岐駅となる予定だったが、白糠線は中足寄駅方面へ一部の路盤が完成したのみ、北十勝線は一部区間の測量を行っただけで、いずれも未成線に終わった。
朝6時に当駅始発・池田行きの列車があった。[10]
駅跡地・周辺
駅舎は改築時から複合施設とされており、道の駅あしょろ銀河ホール21として廃駅の後も使われている。廃止後、旧駅事務室にはNPO法人あしょろ観光協会が入居し、十勝バス足寄案内所の業務を受託している。なお建物内リニューアルにより、現在の事務所は旧駅事務室部分とは異なる。
駅舎周りは線路撤去後に駐車場の拡張など道の駅関連の再整備が行われ、駅舎内のホーム部分とレールは一部をモニュメントとして残した他、食堂・売店の拡張に充てられた。
駅舎を出て正面やや南側にあったバス乗り場は、旧線路跡北側に復元された旧駅舎を模した建物(ただし玄関の位置は左右逆。多目的観光交流施設で、障害者就労支援施設「ゆめ風ひろば」等がある[11])前に移された。
足寄森林鉄道
- 1922年(大正11年):足寄川上流へ幹線敷設工事着工。
- 1923年(大正12年):足寄貯木場10.47ha設置。
- 1927年(昭和2年):幹線33.147km敷設。10t蒸気機関車運用。
- 1945年(昭和20年):この時点までに幹線37.700km、支線10.114km敷設運用。
- 1949年(昭和24年)- 1954年(昭和29年):幹線支線合わせて21.8kmを延長。
- 1956年(昭和31年):運用機関車をすべてディーゼルに転換。B5t加藤製2台、B7t酒井製3台。
- 1960年(昭和35年):廃止。トラック輸送に切り替え。
- なお、昭和23年における保有機関車は以下の通り[12]。
- 10tコッペル製4台、10t鉄道省製2台。
隣の駅
- 北海道ちほく高原鉄道
- ふるさと銀河線
- 仙美里駅 - 足寄駅 - 愛冠駅
参考資料
- 足寄町史 昭和47年発行
- 東北海道の林業 帯広営林局 昭和44年発行
脚注
関連項目
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足寄駅に関連するカテゴリがあります。