越智 通雄(おち みちお、1929年4月23日 - 2021年1月30日) は、日本の大蔵官僚、政治家。位階は正三位。
衆議院議員(8期)、経済企画庁長官(第41・44代)、金融再生委員会委員長(第2代)を歴任。日韓親善協会中央会会長。
来歴・人物
東京生まれ。東京高師附属中(現・筑波大附属中・高)卒業。同期生に大川慶次郎、大島通義、岡野行秀、三浦公亮など。
旧制一高を経て、東京大学法学部法律学科を卒業後[1]、大蔵省に入省。ニューヨーク副領事、福田赳夫大蔵大臣秘書官、主計局調査課長などを経て退官。
1972年の第33回衆議院議員総選挙で賀屋興宣の後継として旧東京3区より出馬し当選(当選同期に小泉純一郎・加藤紘一・山崎拓・石原慎太郎・三塚博・村岡兼造・保岡興治・瓦力・野田毅・深谷隆司など)。自民党では福田→安倍→三塚→森派に所属した。
選挙ポスターは、名前を仮名で書くと回文になることを意識したものになっていた。選挙の際、「上から読んでも『おちみちお』、下から読んでも『おちみちお』、中に「み」のあるおちみちおです」と選挙カーで連呼していた。中選挙区時代の選挙区は(世田谷区、目黒区の)東京3区で小坂徳三郎、小杉隆、栗本慎一郎などと争っていた。
1996年以降は小選挙区制の実施に伴い東京6区を地盤としたが、選挙区当選はなく1996年の第41回衆議院議員総選挙で比例復活したのみである。
銀行局銀行課長補佐、衆議院大蔵委員長、自民党金融問題調査会長、金融再生委員会委員長などを務め、銀行、保険、証券等の分野とパイプを持つことから金融族とされている[2][3]。
2000年の秋の叙勲で勲一等旭日大綬章受章[4]。
2021年1月30日13時5分、老衰のため死去[5][6]。91歳没。死没日をもって正三位に叙される[7]。
発言
金融再生委員会委員長在任中の2000年2月19日、栃木県の金融機関関係者への講演で、「検査の仕方がきついとかあったら、どんどん直接おっしゃってください。最大限考慮しますから」と発言。「手心発言」として論議を呼び、委員長辞任につながった[8]。その後、2000年6月の総選挙で落選した。
履歴
家族・親族
外部リンク
脚注
衆議院大蔵委員長 |
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経済安定本部総務長官 | |
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経済審議庁長官 | |
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経済企画庁長官 | |
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経済財政政策担当大臣 | |
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