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設楽町(したらちょう)は、愛知県北東部の北設楽郡に属する町。
奥三河と呼ばれる東三河地方北部に位置する。美濃三河高原に囲まれた山間部の町であり、自治体面積の約9割を山林が占める。地質は、中央構造線から近く、領家花崗岩や領家変成岩が分布する。また、北設楽郡の中心的な町である。
町ではあるが人口は海部郡飛島村より少ない。
古くから人の活動が見られ、川向市場口では旧石器時代の石器が見つかっている。
狩猟採集社会だった縄文時代には食糧が豊富だったため多くの人々が生活した。中央構造線から近く、黒曜石の産地にもなった。
しかし、弥生時代になると、山間部の水田開発が困難なため、ほとんど人が住んでいない状態になった。
古墳時代になると名倉盆地に人が住み始めたが、稲作は容易でなく経済力が弱く、小規模な古墳しか見つかっていない。
律令時代に加茂郡賀禰郷等の一部となる。
平安時代末から、高橋新荘(足助荘)、設楽荘(富永荘)の一部として荘園開発がなされ、境川が両荘の境界となった。
戦国時代になると、山家三方衆の菅沼氏が田峯城を拠点として支配するようになったが、やがて武田信玄や、織田信長、徳川家康の勢力下となり、武田信玄によって津具金山の開発も行われた。また、武田信玄の侵攻で領域化されたことで、16世紀(寛永 - 延宝頃)に賀茂郡や宝飯郡から設楽郡に移った。
江戸時代には幕府領や挙母藩領などであった。
2004年(平成16年)4月8日に設楽町・津具村合併協議会が設置され、2005年(平成17年)9月30日には合併を行うことで合意に達した。2005年(平成17年)10月1日に新たに設楽町が発足すると、2005年(平成17年)11月20日には奥三河総合センターで新設楽町誕生記念式典を開催し、同年11月21日には「設楽町章及び設楽町旗の取扱要領」を制定した。2007年(平成19年)1月1日には設楽町町民憲章を制定した。
旧設楽町役場の庁舎は古く、老朽化に伴う耐震性の問題解消などのため、2014年(平成26年)1月6日に新庁舎に移転して業務を開始した。
2005年日本国際博覧会(愛知万博)では「一市町村一国フレンドシップ事業」が行われた。名古屋市を除く愛知県内の市町村が120の万博公式参加国をそれぞれとしてフレンドシップ相手国として迎え入れた[3]。
2005年時点の15歳以上就業者数を見ると、第一次産業が706人、第二次産業が787人、第三次産業が1,697人となっており、第三次産業従事者の割合が過半数を占める。また、過去の数値と比較すると、1965年時点ではそれぞれ3,937人、853人、1,859人であり、第一次産業従事者の減少が目立つ。
1990年と2005年を比較すると、農家数は1,122軒(旧津具村を含む)から843軒に減少した。内訳を見ると、第二種兼業農家の割合が減少し(50.8%から32.4%へ)、代わって自給的農家の割合が増加した(31.3%から44.8%)。 主な生産物は収穫量順に、水稲(1,459t)、トマト(1,499t)、キャベツ(359t)、大根(109t)、茶(66t)となっている。
名倉地区では、成田牧場など牧畜も行われている。
事業所数(従業員4人以上)は、1975年度の41から5年後の1980年度に57にまで増加した。しかしその後は減少傾向にあり、2004年度は15となっている。工業品の出荷額等を見ると、1975年度に75.4百万円であったが1990年度に419.5百万円にまで増加した。その後は3億円台で推移し、2004年に409.4百万円と、再び4億円台に乗せた。
特産としては関谷醸造の日本酒などがある。
店舗数は一貫して減少傾向にある。1974年度と2004年度を比較すると、209から102に減少した。対して販売額は、140,294万円から378,012万円に、また1店舗当たりの販売額では684.4万円から3,706.0万円に、それぞれ増加しており、店舗の大規模化を示している。
設楽町では中部電力株式会社が電気を供給している。
現在の設楽町域のうち旧津具村域を除く地域で初めに電気事業を手がけたのは、旧田口町にあった田口電灯、後の豊川電気である。同社は1917年(大正6年)に開業し、設楽町の前身4町村のうち田口町・名倉村へ電気の供給を始めた。その後段嶺村も供給範囲に追加している。残る振草村は、豊川電気ではなく本郷町(現・東栄町)の本郷電気製材が1924年(大正13年)に供給範囲に編入した[4]。
設楽町域に電気を供給していた豊川電気・本郷電気製材の2社は1938年(昭和13年)から翌年にかけ中央電力へと統合され[5]、続く配電統制により1942年(昭和17年)に中部配電へと統合、この地域は同社の供給区域へと編入された[6]。戦後の電気事業再編で1951年(昭和26年)に中部電力が発足すると同社の供給区域に組み入れられ[7]、現在に至っている。
小中学校に在籍する児童・生徒数は、1995年時点で676人(旧津具村を含む)であったが、2007年時点で429人に減少している。愛知県立田口高等学校は、設楽町立設楽中学校、豊根村立豊根中学校、東栄町立東栄中学校と連携した中高一貫教育を行っている。自治体内には名古屋大学の山地畜産実験実習施設(旧草地研究所)がある。
2005年以降に閉校したもののみ記載
町内に空港は存在しないが、ヘリポートが津具地区に存在する。
かつては田口鉄道(後の豊橋鉄道田口線)や設楽森林鉄道が営業していたが、いずれも1960年代に廃止されており、それ以降は町内に鉄道路線は存在しない。
2005年(平成17年)の道路延長は、町全体で491.8 km(実延長)。うち規格改良済延長は311.7 kmで改良率は63.4%、舗装済道路延長は431.9 kmで舗装率は87.8%となっている。
設楽町には400以上に及ぶ町道が存在し、独自の町道標識を持つ[注釈 1]。また、旧津具村にも設楽町道の標識が設置されている[注釈 2]。以下は路線名の例。
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