荒川沖駅(あらかわおきえき)は、茨城県土浦市荒川沖東2丁目にある東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)常磐線の駅である。事務管コードは▲421104[3]。
当駅は土浦市の南部に位置し、同市荒川沖地区の中心市街地、隣町の阿見町中心市街地[4][注釈 1]と陸上自衛隊霞ヶ浦駐屯地[5]の最寄駅である。2005年8月につくばエクスプレス線が開業するまでは、南隣駅のひたち野うしく駅とともにつくば市中心市街地の最寄り駅であった。
相対式ホーム2面2線を有する地上駅である[1]。ホームに接する上下本線のほか、その間に中線があり、貨物列車の待避や土浦駅発着の列車の折り返しなどに使われる。以前は上り線が島式ホーム1面2線で3番線があり、特急列車などの待避に使われていた。橋上駅舎で[1]、JR東日本水戸支社管内の駅では初めての橋上化されたものである。
JR東日本ステーションサービスが駅業務を受託する業務委託駅(土浦駅管理)であり、みどりの窓口や自動改札機、指定席券売機、Suica対応自動券売機・自動精算機が設置されている。改札口やホームにLED式の発車標が設置されている。
バリアフリー対応のため、2005年(平成17年)頃にコンコースから西口駅前広場やホームとを連絡するエスカレーターとエレベーターが設置された。東口駅前広場と連絡するエレベーターは駅と直結していた「さんぱる」(2015年1月閉店・2017年6月解体、現在跡地は「DO Football Park 荒川沖」)の入口前に2002年(平成14年)頃に設置されている。
コンコースには、コンビニエンスストア型売店「NEWDAYS ミニ荒川沖1号」が設置されている。
(出典:JR東日本:駅構内図)
2009年(平成21年)8月1日より、土浦駅・神立駅と同じ組み合わせで、1番線は『きらきら星変奏曲』、2番線は土浦市のイメージソング『風の贈り物』にそれぞれ変更された[7]。
JR貨物荒川沖駅は、2008年(平成20年)3月時点、臨時車扱貨物のみを取り扱っており、定期貨物列車の設定はない。
2006年(平成18年)までは駅前にある日立セメント荒川沖サービスステーションのセメント荷役設備とそれにつながる専用線があり、当駅にはセメント(日立駅発送)の到着があった。また、1985年(昭和60年)頃までは駅東方にある陸上自衛隊霞ヶ浦駐屯地に向かう専用線も存在していた。
JR東日本によると、2023年度(令和5年度)の1日平均乗車人員は7,062人である[利用客数 1]。
2000年度(平成12年度)以降の推移は以下のとおりである。
所在は土浦市であるが、稲敷郡阿見町との境界線も近く、同町の事実上の玄関口の一つでもあり、同町方面への路線バスも発着する。また、2005年に首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスが開通するまではひたち野うしく駅とともにつくば市域への主要なアクセス駅の一つであった。つくばエクスプレス開業後は利用者が減少しているものの駅勢圏の割合が広く、土浦市南部一帯・つくば市・阿見町のほか、自家用車などにより美浦村や稲敷市まで東西に広がる。一方で南北には隣駅があるため駅勢圏の広がりは小さい。
茨城大学阿見キャンパス、茨城県立医療大学、茨城県立並木中等教育学校、常総学院中学校・高等学校、茗溪学園中学校・高等学校などの学校や産業技術総合研究所など筑波研究学園都市の研究所、さらに「あみプレミアム・アウトレット」「イオンモールつくば」へのバスによるアクセス駅でもあり、通勤・通学・利用客も多い。
西側は旧水戸街道荒川沖宿の市街地に隣接する。駅周辺は古くから宅地化されているが、東側方面を進むと徒歩10分ほどで郊外的風景が広がる。戦前には東口近辺に荒川沖競馬場があり、賑わっていたが、1938年に軍馬資源保護法が施行されたことで廃止された。西口には岡谷館製糸場の荒川沖工場が操業していたが、跡地は現在宅地・商業地として細分化されている。
駅から少し離れた幹線道路沿いにはロードサイド型店舗が多く立地する。
なお、土浦市街までは離れており、当駅と土浦駅間の営業キロも6.6キロと、常磐線土浦駅以南では最も長い[注釈 2]。水戸街道の土浦宿までの間にある中村宿に対応する常磐線の駅は設置されなかった。
「荒れる川の奥」の意味が荒川沖の語源と言われており、荒川とはかつてしばしば氾濫していた近くを流れる乙戸川のことである[8]。
旧荒川沖宿、土浦市乙戸・中村・西根、つくば市方面。
土浦市荒川沖東、阿見町荒川本郷・うずら野方面。
「荒川沖駅」停留所にて、関東鉄道の路線バスが発着する。
「荒川沖駅東口」停留所にて、関東鉄道の路線バスが発着する。