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簾内 政雄(すのうち まさお、1945年5月12日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手(投手)。
満州で生まれるもすぐに引き揚げた。能代高では1963年、3年生の時にエース、四番打者として夏の甲子園に出場[1]。1回戦は長浜北高を大差で降すが、続く2回戦で林田真人のいた岡山東商業高に敗退した[2]。
高校卒業後は、社会人野球の日本鉱業日立へ入社[1]。1965年の都市対抗野球に日立製作所の補強選手として出場。同じく富士重工業から補強された高橋恒夫と左右の二本柱を組み、チームの準々決勝進出に貢献[3]。これを含め都市対抗野球大会には3年連続出場した。
1965年のプロ野球ドラフト会議で東京オリオンズから5位指名を受けるも拒否し、日本鉱業に残留。1967年の第22回東京スポニチ大会では4試合完投、決勝で日本石油の平松政次からホームランを打ち初優勝に貢献、自らも最高殊勲選手に選出された。
同年のプロ野球ドラフト会議でサンケイアトムズから2位指名を受け入団[1]。
1968年10月1日には読売ジャイアンツから初勝利を記録、10月3日には初先発を果たす。1970年には中継ぎとして38試合に登板、翌1971年には5勝を挙げるが、その後はあまり活躍できず、1976年限りで現役を引退[1]。
スリークォーターからのスライダー、大きなカーブ、フォークを武器とした。
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