第百三号哨戒艇[2](だいひゃくさんごうしょうかいてい)とは、大日本帝国海軍の鹵獲艦艇の一つ。元はアメリカ海軍の掃海艇フィンチ (USS Finch (AM-9)) 。
概要
1942年(昭和17年)4月11日、フィリピンのマニラ湾ギャビテ港で日本軍の攻撃により撃沈。マニラの第百三海軍工作部が浮揚修理した。
艇歴
- 第百三号哨戒艇長
- 今里七郎 予備大尉/大尉:1943年4月1日[8] - 1945年3月11日[9]
脚注
- ^ 昭和18年4月1日付 内令第544号。この数字は特修兵や臨時増置された人員を含まない。
- ^ 昭和18年4月1日 海軍大臣 逹 第63号。「昭和18年1月~8月 達(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12070118500
- ^ 昭和18年4月1日付 達第63号。
- ^ 昭和18年4月1日付 内令第568号。
- ^ 昭和18年4月1日付 内令第583号。
- ^ 『日本海軍編制事典』、p. 366。
- ^ 昭和20年3月10日付 内令第228号。
- ^ 昭和18年4月1日付 海軍辞令公報(部内限)第1085号。
- ^ 昭和20年3月30日付 秘海軍辞令公報 甲 第1759号。
参考文献
関連項目