第百七十九号哨戒特務艇

第百七十九号哨戒特務艇
基本情報
建造所 船体:自念造船鉄工所
兵装艤装:佐世保海軍工廠
運用者  大日本帝国海軍
第二復員省/復員庁
運輸省
海上保安庁
保安庁警備隊
 海上自衛隊
艦種 特務艇(1944年11月)
掃海艦(1945年12月)
掃海船(1948年5月)
掃海艇(1954年7月)[注釈 1]
級名 第一号型哨戒特務艇(1944年11月)
うきしま型掃海船(1951年12月)
うきしま型掃海艇(1954年7月)
建造費 1,350,000円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 マル戦計画
竣工 1945年4月25日
除籍 1945年11月30日(日本海軍)
1948年1月1日(復員庁)
1952年8月1日(海上保安庁)
1962年3月31日(海上自衛隊)
改名 第百七十九号哨戒特務艇(1944年11月)
哨特第百七十九号(1945年12月)
MS-29(1948年5月)
哨特第一七九号(1948年8月)
おおしま(1951年12月)
要目(哨戒特務艇・計画時)
基準排水量 238トン
水線長 28.50m
水線幅 6.14m
吃水 2.35m
機関 400型中速ディーゼル1基、1軸
出力 400bhp
速力 9.0ノット
燃料 重油26トン
航続距離 8ノットで4,000カイリ
乗員 34名
兵装 25mm機銃 連装1基、単装2基
12センチ噴進砲2門
爆雷12個、魚雷落射機2基
搭載艇 短艇1隻
レーダー 13号電探1基
ソナー 三式水中探信儀三型1基
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第百七十九号哨戒特務艇[注釈 2](だいひゃくななじゅうきゅうごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の72番艇[注釈 3]太平洋戦争の終戦時に残存し、戦後は所属と艇名を変えながら一貫して掃海に従事した。

艇歴

マル戦計画の特務艇、第2121号艦型の179番艇、仮称艦名第2299号艦として計画。1944年11月5日、第百七十九号哨戒特務艇と命名されて第一号型哨戒特務艇の66番艇に定められ、本籍を佐世保鎮守府と仮定。1945年4月25日、船体概成により株式会社自念造船鉄工所から佐世保海軍工廠へ引き渡し。5月20日竣工し、本籍を佐世保鎮守府に定められ、連合艦隊第二十二戦隊第二監視艇隊に編入。哨戒線へ出撃した記録は残されていない。7月1日、第二監視艇隊から削除され呉防備隊に編入。

終戦時残存[注釈 4]。11月30日、海軍省の廃止に伴い除籍。

1945年12月1日、第二復員省の開庁に伴い、呉地方復員局所管の掃海艦に定められ、同局掃海部仙崎支部所属と定められる。また、同日から艦名を哨特第百七十九号としている。

1946年6月15日、復員庁の開庁に伴い、所属を仙崎掃海部に改められる。8月20日、仙崎掃海部が廃止され、所属を下関掃海部に改められる。

1948年1月1日、復員庁が廃止され、運輸省に移管。5月1日、海上保安庁に編入され掃海船MS-29となる。8月20日、船名を哨特第一七九号 MS-29に定められる。

朝鮮戦争勃発後、日本国内の重要港湾に対する共産側潜水艦による機雷敷設が予想されたため、1950年7月14日にアメリカ極東海軍司令部から日本に対して東京湾佐世保港の毎日掃海(以下「日施掃海」という)が指示された。東京湾は、本船ほか7隻を第三管区海上保安部航路啓開部に組み入れ、8月23日から日施掃海を実施した。10月9日、東京湾に展開していた元哨戒特務艇は、本船を除き朝鮮水域へ派遣されることが決まったため、1951年1月28日までは本船の修理もあって日施掃海を中断し、1951年1月29日から1952年7月31日まで再び日施掃海を実施した。日施掃海に従事中の1951年12月1日、船名をおおしま MS-29に改正。

1952年4月19日から5月4日までの間に実施された父島二見港の特別掃海では本船も参加する予定だったが、他船と比較して船体の状態が悪かったため、本船の代わりにたかしま MS-26が参加した。

1952年8月1日、保安庁警備隊に移管され、第二幕僚監部西部航路啓開隊下関航路啓開隊第6掃海隊に編入。1954年1月15日、大湊地方総監部函館基地隊第2掃海隊に編入。

1954年7月1日、保安庁警備隊は海上自衛隊に改組。掃海艇となる[注釈 1]。大湊地方総監部函館基地隊第2掃海隊に編入。1957年9月1日、艇番号をMSI-689に改正。1962年3月31日、海上自衛隊から除籍された。

脚注

注釈
  1. ^ a b 世界の艦船『海上自衛隊全艦艇史』p. 42による。世界の艦船『日本海軍護衛艦艇史』p. 115では、「昭和27年8月1日保安庁警備隊に移管、掃海艇に分類」としている。
  2. ^ 本来の艇名表記は第百七十九號哨戒特務艇(1945年12月1日以降は哨特第百七十九號)。
  3. ^ 本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇第33号哨戒特務艇第34号哨戒特務艇第156号哨戒特務艇第176号哨戒特務艇第177号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は66番艇、これら6隻を含めると通算で72番艇となる。
  4. ^ 福井静夫『昭和軍艦概史III』p. 122では、「20.11中旬 座礁沈没」とあるが、その後の艇歴との相関がとれない。
脚注

参考文献

  • 海軍省
    • 昭和19年11月5日付 達第363号、内令第1234号、内令第1236号。
    • 昭和20年5月20日付 内令第445号、内令第446号。
    • 昭和20年7月1日付 内令第587号、内令第588号。
    • 昭和20年7月16日付 秘海軍公報 第5070号。
    • 第二十二戦隊戦時日誌。
  • 第二復員省復員庁
    • 昭和20年12月1日付 内令第5号、内令第7号。
    • 昭和21年6月15日付 復二第5号。
    • 昭和21年8月20日付 復二第182号。
  • 運輸省海上保安庁
    • 昭和23年8月20日付 運輸省告示第230号。
    • 昭和26年12月24日付 海上保安庁告示第31号。
  • 保安庁警備隊海上自衛隊
    • 昭和27年8月1日付 保安庁訓令第3号。
    • 昭和28年9月16日付 政令第281号。
    • 昭和28年12月28日付 警備隊内訓第27号。
    • 昭和29年7月1日付 海上自衛隊内訓第1号。
    • 『朝鮮動乱特別掃海史』、1961年2月。[1]
    • 『航路啓開史』、2012年 [2]
  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
  • 世界の艦船 No. 613 増刊第62集 『海上保安庁全船艇史』、海人社、2003年。
  • 世界の艦船 No. 630 増刊第66集 『海上自衛隊全艦艇史』、海人社、2004年。
  • 福井静夫 『昭和軍艦概史III 終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』、出版共同社、1961年。
  • 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
  • 丸スペシャル No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、潮書房、1981年。

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