福田 紀彦(ふくだ のりひこ、1972年〈昭和47年〉4月20日[1] - )は、日本の政治家。神奈川県川崎市長(公選第18代)。元神奈川県議会議員(2期)。
来歴
川崎市立長沢小学校、川崎市立長沢中学校卒業後、父親の転勤によりアメリカ合衆国ジョージア州アトランタに移住。アトランタマッキントッシュハイスクールを卒業[2]。
米国ファーマン大学政治学専攻卒業後、衆議院議員松沢成文の秘書、公設第一秘書などを務める[2]。
2003年、神奈川県議会議員選挙(川崎市宮前区)に民主党公認で初当選し、県議会最年少議員となる。2007年、神奈川県議会議員選挙で2期目当選[2]。
県議会では、税、医療・福祉、教育、環境などの分野を中心に各常任委員会、特別委員会の委員を務める。また、県の審議会としては神奈川県市町村合併推進審議会、生涯学習審議会、労働審議会、神奈川県国土利用審議会などそれぞれの委員を務める。「マニフェスト大賞」の、2008年度・2009年度の実行委員長として活動[2]。
2009年10月、川崎市長選挙に無所属(民主党推薦)で出馬するが、現職の阿部孝夫に敗れ落選(阿部:145,688票、福田:117,456票、投票率:36.09%)。
その後、神奈川県知事松沢成文の秘書、早稲田大学マニフェスト研究所客員研究員を経て、2013年、川崎市長選挙に再び無所属で立候補。
選挙戦では、川崎市財政局長を辞し、自民・民主・公明3党の推薦、及び阿部孝夫川崎市長(当時)から事実上の後継指名を受けて無所属で出馬した秀嶋善雄、日本共産党の推薦を受け無所属で出馬した市民団体役員の君嶋千佳子を破り、当選を果たした(福田:142,672票、秀嶋:139,814票、君嶋:85,475票、投票率:32.82%)[3][4]。
同年11月19日、川崎市役所に初登庁し、正式に第12代川崎市長に就任した。2017年、川崎市長選挙に再び無所属で立候補し、再選。
2021年10月、3期目当選。
市政
「川崎未来エナジー株式会社」を設立
脱炭素社会の実現に向けた先導的な取組として、令和4年3月に「市域の再生可能エネルギー等利用拡大に向けた廃棄物発電有効活用計画」を策定し、再エネ電力の供給や太陽光発電等の電源開発、エネルギーマネジメント技術を活用した取組の3つを柱とする、地域エネルギー会社の設立に向け取組を進めてきた。2023年8月24日に開催した「川崎未来エナジー株式会社設立発起人会」において、出資者間で会社設立に関し合意したことを受け、会社設立に向けて準備を進め、同年10月に「川崎未来エナジー株式会社」が設立された。[5]
政策・主張
朝鮮学校への補助金不交付・創設
川崎市長就任後の2013年12月10日、川崎市議会定例会本会議において、神奈川県による県内の朝鮮学校への補助金の予算計上見送りを受け、川崎市内の朝鮮学校への交付が予定され、予算に計上されていた初級学校2校で教材購入等に供される整備等補助金、教職員向けの研修費補助金、保護者に授業料のため月6千円を補助する児童等保護者補助金の3種、計840万円を交付しない意向を表明し[6]、同年度の交付を見送った。2014年2月、交付を見送った3種の補助金を廃止し、健康診断等に用いる外国人学校児童等健康・安全事業補助金、地域間交流に用いる外国人学校児童等多文化共生・地域交流補助金の2種の補助金を創設した。現時点で市内の外国人学校は朝鮮学校のほかになく、事実上朝鮮学校への補助金となる[7]。翌2015年にも同名目で児童への支援策として256万円の予算を計上し、福田市長は「この形で今後も継続していく。朝鮮学校だから特別ということではなく子供の安全、安心、健康のための補助金だ」と述べた[8]。
2019年12月12日、本会議での「川崎市差別のない人権尊重まちづくり条例」全会一致の成案の際「川崎市の取り組みが、他の自治体や国に伝わっていく意味で、大きな意味がある。一里塚だというふうに思う」と述べた[9]。
その他
- 2020年3月25日、LGBTなど性的少数者のカップルが婚姻に相当する関係にあると認める「パートナーシップ宣誓制度」を導入すると発表した。同年7月1日に実施された[10][11]。
- 福田市長は台風19号で被害のあった市民ミュージアムの財政管理の責任を怠ったとして市民団体より住民訴訟を2020年9月2日に起こされる[要出典]。2024年2月28日、横浜地方裁判所から原告請求を棄却するとの判決が言い渡された。[12]
- 福田市長は、政務活動費の支出を適正にする義務を怠り多額の違法支出の存在を放置していたとして、市民団体より住民訴訟を2020年11月2日に起こされる[要出典]。
栄典
脚注
外部リンク
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