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この項目では、元プロ野球選手について記述しています。作家の同名の人物については「石田雅彦 (作家)」をご覧ください。 |
石田 雅彦基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
埼玉県川越市 |
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生年月日 |
(1967-04-24) 1967年4月24日(57歳) |
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身長 体重 |
178 cm 80 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
左投左打 |
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ポジション |
投手 |
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プロ入り |
1985年 ドラフト1位 |
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初出場 |
1989年7月21日 |
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最終出場 |
1991年6月15日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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石田 雅彦(いしだ まさひこ、1967年4月24日 - )は、埼玉県川越市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。2021年現在は、千葉ロッテマリーンズの打撃投手。
来歴・人物
川越工業高では2人いたエースピッチャーのうち左のエースであった。1985年春の関東大会で準優勝。夏は埼玉県大会決勝戦で5点リードを守りきれず、立教高校に逆転負け[1]。
社会人野球チームから内定が出ていたが、1985年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから1位指名を受け入団。
しかし、プロでは2年目の春季キャンプで左肘の靭帯を部分断裂するなど、在籍9年間でリリーフでの2試合しか登板がなく、1994年に現役を引退[1]。引退後から現在までロッテの打撃投手を務めている[1]。
1アウトも取れなかったため、通算防御率が無限大という珍記録を残した(厳密には0で割ることはできないため無限大ではない。ゼロ除算参照。この記録を残した選手にはほかにブラッド・ツイドリーなどがいる)。
石田が引退した翌年に黒木知宏が入団。石田が着けていた背番号54を引き継いだが、黒木は後に球団から背番号をエースナンバーの18への変更を打診された際に拒否している。この理由は背番号が54に決まった際、石田に「お前の為に54番を温めておいたよ」と言われたのを黒木が恩義に感じていたためである[1]。なお、石田はその2倍の数である108を付けている。
詳細情報
年度別投手成績
記録
背番号
- 54 (1986年 - 1994年)
- 108 (1995年 - )
脚注
- ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、43ページ
関連項目
外部リンク