清水 重美(しみず しげみ、1900年(明治33年)8月20日[1][2] - 1999年〈平成11年〉1月6日[3])は、昭和期の地方公務員、政治家。長野県飯田市長。男性。
長野県下伊那郡飯田町(現飯田市)で、清水宗一、あき の長男として生まれた[1]。1916年(大正5年)3月、長野県組合立竜東農学校卒業[2]。1919年(大正8年)公立実業学校教師となる[1][2]。1939年(昭和14年)長野県技師に転じ[2]、県立農業講習副所長を務め[1][2]、1952年(昭和27年)長野県経済部農業改良課長、1954年(昭和29年)南佐久地方事務所長を歴任[1][2]。1955年(昭和30年)飯田市助役に就任し[1][2]、13年間在任した[2]。
松井卓治市長の後継者として[2]1968年(昭和43年)10月、飯田市長選挙に当選し[2]、1972年(昭和47年)10月まで1期務めた[1][2][2]。在任中は老人福祉センターの建設や、県下初の自然環境保全条例の制定などにあたった[2]。
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