高田 茂(たかだ しげる、1893年(明治31年)6月23日[1] - 1958年(昭和33年)[2])は、昭和期の政治家。長野県飯田市長。旧名は上原 悌三郎[1][2]。
来歴
長野県北安曇郡池田町村[2](現池田町[3])で、上原義一郎の四男として生まれた[1]。旧制大町中学(現長野県大町岳陽高等学校)を経て[2]、旧制東京高等蚕糸学校卒業[1][2]。1929年(昭和4年)下伊那郡上飯田町(現飯田市)の旧庄屋で長野県会議長を務めた高田茂の養子となり、同名を襲名した[1][2][3]。
1933年(昭和8年)上飯田町会議員、1937年(昭和12年)飯田市会議員を経て[1]、1947年(昭和22年)に施行された初の公選による飯田市長選挙で当選し、1955年(昭和30年)3月まで2期務めた[1]。1947年(昭和22年)4月の飯田大火の影響で延期となった第1回参議院議員通常選挙に対応し、市街地の復興などに尽力した[1][2][3]。また、同年10月に県北を中心に行われた昭和天皇の戦後巡幸では、善光寺に宿泊した昭和天皇に復興状況を奏上する機会を得た[4]。
親族
脚注
参考文献
- 『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。
- 宝月圭吾編『長野県風土記』旺文社、1986年。
- 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。