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河端 龍(かわばた りゅう、1976年11月10日[1] - )は、京都府城陽市[2]出身の元プロ野球選手(投手)。
西城陽高ではエースとして1994年夏の第76回全国選手権に出場[2]。1回戦の対大垣商業戦で完投するも、7失点(自責点4)で敗退。
龍谷大学時代は先発投手として活躍。1995年、1年生にして頭角を現し新人賞を受賞している。その後も1997年春と1998年春の2度のMVPの他、最優秀投手賞3度受賞、ベストナイン3回など、エースとして大活躍[2]。大学選手権では1997年の3年時は初戦九州東海大戦に先発し5-4で勝利、翌1998年の4年時は初戦完投から全試合で先発し準々決勝では亜大を5-3で下し、準決勝で準優勝した東海大に0-2て惜敗したもののベスト4。大学通算28勝9敗、防御率1.62。
1998年度ドラフト会議にてヤクルトスワローズから5位指名を受け[1]、同じ龍谷大学の本郷宏樹(4位指名)と共に入団。
1999年4月28日の対読売ジャイアンツ2回戦(大阪ドーム)で、ルーキーながら一軍初登板を果たす。この試合で二岡智宏から初の奪三振を記録している。
2000年シーズンは右肘の故障により、手術とリハビリにあてた1年となった。
2001年シーズンに復活すると、中継ぎに定着してチームのリーグ優勝と日本一に大きく貢献。6月24日に中継ぎで初勝利。
2002年シーズン以降も、チームに欠かせないセットアッパーとして頼れる存在であった。
2005年5月12日の対北海道日本ハムファイターズ戦には、ローテーションの谷間の先発を任される。プロ入り後初の先発ながら、6回無失点で見事に勝利をあげている。
2006年シーズンは開幕前に右肘の手術を受け、そのリハビリにより、一軍二軍共に登板することはできなかった。
2007年シーズンは二軍スタート。リハビリをしながら9月にファームに復帰し、3試合を無失点に抑える。
2008年10月1日、現役引退を表明。10月12日、神宮球場でのレギュラーシーズン最終戦(横浜ベイスターズ戦)で3年ぶりに一軍登板を果たし、斉藤俊雄を三振で抑え、10年間の現役生活を終える。試合終了後に引退セレモニーが行われた。
2009年1月よりチーム付広報に就任[1]。
ヤクルトジュニアチームのコーチも務め[1]、2018年には侍ジャパンU12代表コーチを務めた[3]。