歩兵第57連隊(ほへいだい57れんたい、歩兵第五十七聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。
駐屯地は歩兵第2連隊と同じ佐倉城址(現在の佐倉城趾公園)。公園内には弾薬庫跡、訓練用施設などの遺構が残存している[1]。
沿革
- 2月 - 二・二六事件の鎮圧のため東京市へ出動する
- 4月30日 - 満州駐剳、チチハルに駐屯する
- 以後7年間、満州孫呉に駐屯し赤軍や匪賊との小競り合いが続く
- グアムに第3大隊を派遣
- 7月 - アメリカ軍が上陸開始(グアムの戦い)、マンガン山で激戦を繰り広げるも損害大
- 8月11日 - 第3大隊は玉砕する
- 11月1日 - 連隊主力はレイテ島オルモックに上陸
- 11月4日 - リモン峠の戦いが始まる。米陸軍第24師団と戦闘。第24師団の損耗激しく、後に米第32師団、第11空挺師団が増援され日本軍は劣勢に。第二大隊長の長嶺秀雄少佐も三度負傷[2]。
- 12月 - リモン峠からの撤退命令で、第一師団司令部にたどり着いた頃には連隊の兵力はわずか90名程で、ほとんど全滅状態であった[3]。カンギポットへ転進
- 1月 - セブ島へ転進
- 5月 - 遊撃戦に転換する
- 8月 - 終戦
- 8月18日 - 両軍による停戦式が執り行われる
歴代連隊長
歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐)
代 |
氏名 |
在任期間 |
備考
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1 |
勝賀瀬元 |
1905.7.13 - |
中佐
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2 |
小沢徳平 |
1906.3.12 - 1907.10.4 |
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3 |
竹迫弥彦 |
1907.10.7 - 1912.9.28 |
中佐、大佐昇進
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4 |
湯地藤吉郎 |
1912.9.28 - 1915.8.10 |
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5 |
金谷範三 |
1915.8.10 - 1916.5.2 |
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6 |
福原佳哉 |
1916.5.2 - |
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7 |
林銑十郎 |
1918.7.24 - |
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8 |
野口猪雄次 |
1920.1.30 - |
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9 |
原田敬一 |
1922.2.8 - |
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10 |
安田郷輔 |
1923.2.1 - |
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11 |
山中三郎 |
1924.2.4 - 1925.3.18 |
現職で死去
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12 |
山崎定義 |
1925.3.18 - |
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13 |
佐藤信亮 |
1927.2.10 - |
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14 |
大串敬吉 |
1928.3.8 - |
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15 |
小松原道太郎 |
1930.8.1 - |
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16 |
今村均 |
1932.4.11 - |
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17 |
羽守清一郎 |
1933.8.1 - |
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18 |
山口直人 |
1935.3.15 - |
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19 |
秦彦三郎 |
1937.8.2 - |
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20 |
木村松治郎 |
1938.7.15 - |
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21 |
斎俊男 |
1939.8.1 - |
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末 |
宮内良夫 |
1941.12.1 - |
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脚注
- ^ “佐倉城址公園内連隊遺構マップ - 佐倉市” (PDF). 佐倉市 (2018年3月). 2018年8月26日閲覧。
- ^ 太平洋戦争 最後の証言 第二部 陸軍玉砕編 小学館、2011年、173頁。
- ^ 太平洋戦争 最後の証言 第二部 陸軍玉砕編 小学館、2011年、174頁。
参考文献
- 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 『官報』
関連項目