植田谷本(うえたやほん)は、埼玉県さいたま市西区の大字。関連する大字である植田谷本村新田(うえたやほんむらしんでん)についても述べる。郵便番号は植田谷本が331-0053[2]、植田谷本村新田が331-0067[4]。
植田谷本は、さいたま市西区南部の沖積平野(荒川低地)に位置する。地区の東側で大宮区三橋に、南側で島根に、西側で三条町に、北側で中野林に隣接する。地区の東側を鴨川が流れ、大規模団地である加茂川団地がある。
植田谷本村新田は上新田と下新田に分かれており、上新田は治水橋付近に2カ所ある。荒川の瀬替えによって中央部の農家は移転した。植田谷本とは隣接していない。
もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡植田谷領に属する植田谷本村で古くは植田郷に属していたと云われている[5]。植田谷本は殖絶とも書かれた。村高は『武蔵田園簿』では346石(田29町余、畑13町余)、「元禄郷帳」では354石余、「天保郷帳」では374石余。助郷は中山道大宮宿に出役していたが、正徳・安永年間は日光御成街道大門宿にも当分助郷を負担していた。化政期の戸数は30軒で、村の規模は東西10町、南北6町余であった[6][5]。鎌倉期開山の新義真言宗林光寺には1591年(天正19年)に寺領10石が寄進されていた[5]。足立右馬允遠元の館跡と伝えられる物が地区の東端に所在していた[6]。慶長年間に伊奈備前守によって鴨川と古入間川の合流点に土手(備前堤)を築き広さ100町歩の「関沼溜井」と称するため池が造成され、周辺8ヶ村の田を灌漑していた[6]。地名は26ヶ村を擁する植田谷領の中心地であった[5]ことによる。江戸期に植田谷本村の持添新田として植田谷本村新田が成立した[6]。植田谷本村・植田谷本村新田は明治12年から明治22年までは、植田谷領本村・植田谷領本村新田と呼称されていた[6]。
2017年(平成29年)9月1日時点の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[13]。
地内に鉄道は敷設されていない。大宮駅まではバスで25分ほど。
下内野 | 三橋(五丁目・六丁目)
上内野 | 西内野 | 宮前町
上野本郷 | 内野本郷 | 指扇 | 指扇領辻 | 指扇領別所 | 清河寺 | 高木 | 中釘 | 西新井 | 西大宮 | 平方領々家 | 宝来 | 峰岸
プラザ
飯田新田 | 植田谷本村新田 | 塚本 | 塚本町 | 土屋 | 西遊馬 | 二ツ宮 | 湯木町
飯田 | 植田谷本 | 佐知川 | 三条町 | 島根 | 昭和 | 中野林 | 水判土