中野林(なかのばやし)は、埼玉県さいたま市西区の大字。郵便番号は331-0057[2]。
地理
さいたま市西区南部の古入間川[注釈 1]が作り出した沖積平野(荒川低地)上に位置する[4]。地区の西部および中央部から東部にかけて古入間川によって形成された自然堤防も複数見られる[4][5]。北側は鴨川や新川が流れ下り、西側には荒川の河川区域を隔てる荒川堤防の左岸堤防が南北に築かれている。荒川堤防ではさいたま築堤事業によって、堤防のかさ上げ工事が実施されている[6]。
東側で大宮区三橋(四丁目)や西区大字植田谷本に、南側で三条町や昭和に、西側で二ツ宮に、北側で大字飯田や水判土に隣接する。大字飯田の南西部に中野林のごく小さな飛地がある。土地利用としては住宅地などが混在する農地であり、西部は低地を埋め立てて造成した一戸建ての住宅団地が立地する[5]。
歴史
もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡植田谷領に属する中野林村で、古くは水判土荘に属していたと云われている。中野林は中ノ林とも記す[4]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では307石余(田24町余、畑17町余)、『元禄郷帳』では310石余、『天保郷帳』では338石余であった[4]。助郷は中山道大宮宿に出役していたが、正徳・安永年間は日光御成街道大門宿にも出役していた。化政期の戸数は40軒で、村の規模は東西18町余、南北14町余であった[4]。村の南方に飛地の入会地を領していた。村内に関沼溜井があり灌漑用水としていた。水判土村との境界には鴨川に排水する悪水堀も存在していた[4]。
地内には観音寺のほかに最勝寺、西福寺があったが、観音寺以外は明治初年に廃寺となっている[4]。
中野林村に存在していた小字
世帯数と人口
2019年(平成31年)1月1日時点の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[14]。
交通
鉄道
地区内に鉄道は敷設されていない。最寄駅としては指扇駅[15]や下記バスを利用して大宮駅などがあるが、何れも駅まで遠く徒歩圏ではない。
道路
バス
大宮駅西口方面からの路線バスが運行されている。
- 西武バス大宮営業所
- 地区内は「観音寺」、「大宮光陵高校」、「中野林」停留所が設置されている[16]
- さいたま市コミュニティバス
- 地区内はさいたま市民医療センターから川越線指扇駅を経由して同線西大宮駅に至る「西区コミュニティバス」が通り、「中野林」、「中野林南」停留所が設置されている[17]。
施設など
脚注
注釈
- ^ 今の荒川の旧流路のことで、概ね現在の新川および鴨川にかけての流れに相当する。
- ^ 「旧高旧領取調帳データベース」の検索結果も参照。
出典
参考文献
関連項目
外部リンク