桜井 憲基本情報 |
---|
国籍 |
日本 |
---|
出身地 |
茨城県猿島郡境町 |
---|
生年月日 |
(1948-04-09) 1948年4月9日(76歳) |
---|
身長 体重 |
180 cm 77 kg |
---|
選手情報 |
---|
投球・打席 |
右投右打 |
---|
ポジション |
投手 |
---|
プロ入り |
1966年 第1次ドラフト1位 |
---|
初出場 |
1967年8月16日 |
---|
最終出場 |
1971年6月27日 |
---|
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
---|
|
|
桜井 憲(さくらい けん、1948年4月9日 - )は、茨城県猿島郡境町出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
来歴・人物
中学時代から投手で、地元茨城から進学した日大一高では、エースとして1966年の春季関東大会決勝で浅野高を降し優勝。夏の都大会では6回戦で敗退したが、本格派右腕として各球団から注目された。高校同期に投の二本柱であった保谷俊夫、捕手の村上修(富士重工業)がいた。
1966年第1次ドラフト会議で東映フライヤーズから1位指名を受け入団[1]。1967年8月19日に南海ホークスを相手に初先発。しかし野村克也に本塁打を喫し、1回途中で降板を余儀なくされる。同年のジュニアオールスターにも出場。1968年には30試合に登板、うち10試合には先発として起用される。8月11日には因縁の南海ホークスから初完投勝利を果たすが、同年は2勝に終わる。1970年にも3勝をあげるが、1972年からは登板機会がなく、1974年に引退した[1]。
長身からの速球に威力があり、スライダーや右打者がのけぞるような大きなカーブを武器とした。高校時代から読書家で成績優秀であったという。
引退後はゴルフのティーチングプロを務める[2]。
詳細情報
年度別投手成績
年
度 |
球
団 |
登
板 |
先
発 |
完
投 |
完
封 |
無 四 球 |
勝
利 |
敗
戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝
率 |
打
者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬
遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴
投 |
ボ 丨 ク |
失
点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P
|
1967
|
東映
|
2 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
-- |
-- |
.000 |
7 |
1.1 |
3 |
1 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
3 |
3 |
27.00 |
2.25
|
1968
|
30 |
10 |
1 |
0 |
0 |
2 |
6 |
-- |
-- |
.250 |
376 |
86.1 |
93 |
12 |
29 |
3 |
2 |
33 |
1 |
1 |
56 |
52 |
5.44 |
1.41
|
1969
|
19 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
1 |
-- |
-- |
.500 |
121 |
27.0 |
33 |
1 |
5 |
0 |
2 |
14 |
0 |
0 |
19 |
14 |
4.67 |
1.41
|
1970
|
26 |
12 |
1 |
0 |
0 |
3 |
8 |
-- |
-- |
.273 |
349 |
82.2 |
89 |
10 |
25 |
0 |
1 |
32 |
0 |
0 |
44 |
40 |
4.34 |
1.38
|
1971
|
8 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
-- |
-- |
.000 |
65 |
14.0 |
17 |
3 |
6 |
1 |
1 |
10 |
4 |
0 |
12 |
11 |
7.07 |
1.64
|
通算:5年
|
85 |
24 |
2 |
0 |
0 |
6 |
17 |
-- |
-- |
.261 |
918 |
211.1 |
235 |
27 |
65 |
4 |
6 |
91 |
5 |
1 |
134 |
120 |
5.12 |
1.42
|
記録
背番号
- 32 (1967年 - 1973年)
- 54 (1974年)
脚注
関連項目
外部リンク
|
---|
第1次ドラフト |
- 1位:桜井憲
- 2位:島谷金二(入団拒否)
- 3位:久保陽二(入団拒否)
- 4位:加藤秀司(入団拒否)
- 5位:千葉剛(入団拒否)
- 6位:笠原弘道(入団拒否)
- 7位:尾関洋司(入団拒否)
- 8位:井上弘昭(入団拒否)
- 9位:末永幸士(入団拒否)
|
---|
第2次ドラフト | |
---|