桑原 和男(くわばら かずお、1936年〈昭和11年〉2月23日 - 2023年〈令和5年〉8月10日)は、日本のお笑いタレント、喜劇俳優。福岡県小倉市(現:北九州市)出身。本名:九原 一三(くはら かずみ)。吉本新喜劇の座員として吉本興業に所属し、一時は座長も務めた。座長退任後は専科や若手育成も兼ねた座長格の主演、重鎮クラスなどの形で出演し、生き字引のような存在で吉本新喜劇を支え続けた。
1955年に地元の常磐高等学校を卒業。教師を志望していたため福岡の教育大学を受験し、その後夢路いとし・喜味こいしに師事する[2]。初舞台は1956年で、「原あち郎・こち郎」の芸名で漫才の舞台に立った。漫才脚本家秋田實が立ち上げた劇団「宝塚新芸座」に所属した後、漫才活動を経て、1961年、吉本新喜劇の前身「吉本ヴァラエティ」に入団する。一時期、新喜劇の名座長として知られる平参平と「平参平・源五郎(みなもと ごろう)」名義でコンビを組んだり、中之島大学と「中之島大学・小学」名義でコンビを組んだりして地方興行に出演していたこともある。
1969年に吉本新喜劇の座長に昇格した後、1972年からは座長経験者が後進へ道を譲るために設置されていた「専科」に入り、主に脇役として平参平や原哲男らと共に新喜劇の黄金時代を支えた。
1989年の「新喜劇やめよッカナ?キャンペーン」で岡八朗や花紀京など長く新喜劇を支えてきた同志が新喜劇を去ってゆく中、池乃めだかと共に重鎮クラスとして残留し、後に座長となる内場勝則ら若手の育成に尽力した。
座長時代までは普通の好青年役が多かったが、小柄でやさしい顔立ちであることから、専科入りして以降は、母親役やおばあさん役といったいわゆる女形を務めるようになった。『吉本コメディ』(讀賣テレビ放送)でも、主演のコメディNo.1、木村進、間寛平と共演する際は決まって女装姿で登場し、原哲男と夫婦役を務めることが多かった。このころは、警官や番頭など男役を演じることもまだ少なくなかったが、近年ではおばあさん役(舞台上での役名は桑原和子)以外で出演することは極めて稀であり、公式プロフィール写真もおばあさん役に扮したものが使われていた。ばってん荒川と並び、男性芸人でおばあさん役をやらせたら右に出るものはいないと称されるほど、桑原のおばあさん役は新喜劇ファンならずとも関西ではお馴染みのキャラクターとなっていた[注釈 1]。
阪神淡路大震災が発生した際、吉本興業は直ちに全ての所属芸人の安否確認を行ったが、桑原のみ連絡がつかず、一時は消息不明かと報道された。
2000年7月に急性心筋梗塞を患い、一時休養していたが、同年12月に復帰している。
2016年に80歳を超えるも精力的に活動を続けていたが、82歳となった2018年5月に体調不良により出演予定だった定期公演を休演。以降のスケジュールも全てキャンセルとなり休養に入った。 その後は同年9月に開催された「コヤブソニック2018」で4か月ぶりに舞台復帰。2019年3月には吉本新喜劇60周年記念の特別公演「60周年だよ!よしもと新喜劇」に出演し久しぶりにNGKの舞台に登場した。9月には前年に続き「コヤブソニック2019」に出演。10月には神戸市での地方巡業公演に2日間出演し、体調に配慮しながらの活動を続けていた。
2023年8月10日、老衰のため神戸市内の病院で死去[3][4]。87歳没。生前最後の舞台出演は2020年10月の「よしもと大笑い祭り寄席」であり、その後も2022年11月になんばグランド花月に来場し、車椅子で新喜劇を観覧していた[2]。