柿の木坂(かきのきざか)は、東京都目黒区にある町名。現行行政地名は柿の木坂一丁目から柿の木坂三丁目。目黒通りの坂。柿ノ木坂、柿木坂とも書く。
目黒通りは、東隣の品川区から目黒区に入って権之助坂を目黒川向けて下り、目黒新橋を渡ってから再び油面方向に向けて金毘羅坂を上る。このあと柿ノ木坂陸橋交差点で環七通りを過ぎ、再び呑川の谷に向けて下る。この坂が柿の木坂である。坂を下りきったところで東急東横線のガードをくぐる。この地点は都立大学駅に近い。
地名としての柿の木坂は、坂の北西一帯の地域である。全体は、北西 - 南東方向にやや細長い三角形をしており、北西から南東に呑川柿の木坂支流が縦貫している。南東辺を目黒通り、北東辺を環七通り、西辺を柿の木坂通り(区道)が通っており、柿の木坂二丁目と柿の木坂三丁目の間を東西に駒沢通りが通っている。
2021年(令和3年)4月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
住宅地の地価は、2021年(令和3年)1月1日の公示地価によれば、柿の木坂2-25-25の地点で82.5万円/m2となっている[6]。
町名としての柿の木坂(柿ノ木坂)は、1932年(昭和7年)に成立した。同年、目黒区が成立したときに荏原郡碑衾町大字衾の小字東柿木坂北、東柿木坂南、東三谷、東下通、東谷戸、東曾根、東中丸が目黒区柿ノ木坂町となった。1965年に柿ノ木坂町に中根町の一部を合わせた地区に住居表示が実施され、坂に近い南東から、柿の木坂一丁目、柿の木坂二丁目、柿の木坂三丁目となった。
1985年(昭和60年)5月6日、柿の木坂3丁目1番地の環状7号線外回り野沢交差点で、ガソリンと灯油を積載したタンクローリーが横転。数時間にわたり火災が発生した。住宅兼店舗1棟全焼、消防士1名が軽傷を負った[7]。
旧:荏原郡衾村。坂の名のいわれには諸説ある。
地主は、小杉金重、小杉辰蔵、小杉忠次郎、小杉紋太郎などがいた[9][10]。
町域に東急東横線が通るが駅はなく、町域からすぐ南の中根に都立大学駅がある。
東急バスが目黒通り、環七通り、柿の木坂通り、駒沢通りに路線網を展開し、特に都立大学駅北口バス停がこのエリアのターミナルとなっている。
目黒通り上の路線は、東は目黒駅まで頻繁に運行されており、最遠は東京駅まで行ける。西は等々力駅や桜新町駅、二子玉川駅などへ。柿の木坂通りには渋谷駅や多摩川駅、東京医療センターへの路線が、駒沢通りには恵比寿駅から目黒区総合庁舎(区役所)、柿の木坂を通り用賀駅への路線、環七通りには大森駅と新代田駅を結ぶ路線が通る。
この項目は、日本の地理に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:日本の地理)。