松音知駅(まつねしりえき)は、北海道(宗谷支庁)枝幸郡中頓別町字松音知にかつて存在した、北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はマネ。事務管理コードは▲121905[3]。
歴史
駅名の由来
当駅付近の頓別川東側に2つの独立峰があり、それぞれアイヌ語で「ピンネシㇼ(pinne-sir)」(男である・山)、「マッネシㇼ(matne-sir)」(女である・山)と対になって呼ばれていた。当駅はそのうち後者から名づけられたものである[7]。
駅構造
廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。ホームは、線路の北西側(南稚内方面に向かって左手側)に存在した[8]。分岐器を持たない棒線駅となっていた。かつては2面2線の相対式ホームを有する、列車交換可能な交換駅であった。
無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の北西側に位置し、ホームに接していた。構内は周囲より高台に位置していたため駅舎は高床式[9]になっており、駅前広場から駅舎出入口までは木の階段を上る必要があった[8]。
駅周辺
山の中にあった[8]。
利用状況
乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
年度
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乗車人員
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出典
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備考
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年間
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1日平均
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1921年(大正10年)
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62
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[11]
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1935年(昭和10年)
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31
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1953年(昭和28年)
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82
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1978年(昭和53年)
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12
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[12]
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駅跡
1997年(平成9年)時点では地元住民曰く個人の別荘になっており、駅舎・ホーム・レール・腕木式信号機が残され、ほぼ現役当時の姿を保っていた[13]。2010年(平成22年)時点でも同様で、この時点で旧天北線の駅舎では唯一、現存する駅舎となっていた[14]。2011年(平成23年)時点でも同様であったが、地元の人々による保存で、駅舎は模擬展示とのことである[9]。開口部は模造で、駅舎内に立ち入ることは不可能となっている[9]。
現在の所有者は、敷地内立ち入りおよび撮影禁止を表明している[15]。
隣の駅
- 北海道旅客鉄道
- 天北線
- 周磨駅 - 松音知駅 - 上駒駅
脚注
- ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、905頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 1948年撮影航空写真(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス)
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、240頁。doi:10.11501/1873236。https://doi.org/10.11501/1873236。2023年2月11日閲覧。
- ^ 内閣印刷局, ed (1916-09-27). “鉄道院告示 第46号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (1248). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2953359/1.
- ^ “日本国有鉄道公示第148号”. 官報. (1972年9月14日)
- ^ 「通報 ●天北線上音威子府駅ほか11駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1973年9月14日、4面。
- ^ 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻〉、2018年11月30日。ISBN 978-4-88323-114-0。
- ^ a b c 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)188ページより。
- ^ a b c 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社、2011年9月発行)244-245ページより。
- ^ a b c 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)16ページより。
- ^ 中頓別町史 平成9年5月発行 P397/8,855
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、893頁。doi:10.11501/12065814。https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814。
- ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くIV』(JTBパブリッシング、1997年12月発行)24-25ページより。
- ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)15-17ページより。
- ^ 松音知駅とは - 松音知駅長
関連項目
外部リンク